102:童顔の飲んだくれ

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 俺は歌う事が好きだ。

 別に、上手いという訳ではない。むしろ、アボードには「悲鳴みたいな声で歌ってんじゃねぇ!この下手くそ」と、何度罵声を受けたか知れない。

 

 こういう俺のような“下手だけど好きな事”というのを“下手の横好き”というらしい。アボードが教えてくれた。

俺は別に横好きだってかまわない。縦から好きでも下から好きでも斜めから好きでもいいじゃないか。

どこから好きでも、好きな事には変わりないのだから。

 

 

「ふんふふ、ふんふふ、ふふふ」

 

 

 最近、俺には仕事の帰りにちょっとした習慣がある。それは、俺の好きな事の一つでもある「歌を歌う」に少しだけ関係している事だ。

 

 

「おーい!ヴァイスー!」

「あ!アウト!来たねー!僕、待ちくたびれたよー!」

 

 そう言って広場にともる街灯の下で軽やかに飛び跳ねてくる、一見すると少年のように見える彼に、俺も走って駆け寄った。

 

「さぁ、アウト!聞かせて、今日は良い日だった?」

「普通の日だった!でも仲良しの同僚が今日も休みで少しつまらなかったかな」

 

 紺色の髪を靡かせて、風に揺れる花のように無邪気に笑う彼。名をヴァイスというのだが、彼は最初に必ず「今日も良い日だった?」と尋ねてくる。

 

「普通の日かぁ!ま!“普通”は尊いからね!ひとまず、良い日って事にしておこう!」

「ははっ、結局良い日になったな!」

 

 ただ、何をどう答えてもヴァイスに掛かれば最終的に“良い日”にされてしまう。けれど、確かにニコニコと無邪気な笑みを浮かべて笑う彼を見ていると、良い日だったような気がしてくるので不思議だ。

そんな彼は、どこからどう見ても10代半ばの子供のように見えるのだが、実は俺よりも年上らしい。

 

 らしい、と言うのはそれがヴァイスの自称であるからだ。にわかには信じられないが、どちらかと言えば、俺も年齢よりは下に見られる事が多いので、そこにはツッコまないようにしている。

 

「ヴァイスは?今日は良い日だった?」

「ぜんっぜん!最近、僕の職場は殺伐としてるんだよ!今まで研究しか興味のなかった頭の固ったいカチコチ男がさぁ、急にね、昔の記録を暴いて不正の弾糾し始めたからもう、たいへん!現場は大混乱だよ!僕にとっては、良い迷惑さ!」

 

 そう、ぐったりとした様子で肩を落とすヴァイスに俺は思わず笑ってしまった。自分は「良い日だった?」なんて、まるで自分も良い日だったかのように尋ねる癖に、当のヴァイスは全くと言って良い程、良い日を過ごせていない。

 

「僕はいつか彼に、仕事中に携帯しているフラスコの中身が酒だとバラされないか、不安で仕方ないよ!」

「あはは!それはバラされた方が良いかもな!」

「ひどいなぁ、もう」

 

 そう、口を窄めるヴァイスの顔は、やはりどこからどう見ても、10代半ば。いや、下手をするとまだ中等学窓に在学する年齢でもおかしくないように見えるのに。

 

見えるのに、なぁ。

 

「さて、今日1日の振り返りはここまでさ!アウト、例のモノは買ってきてくれた?」

「もちろん、ほら!」

 

 俺は鞄の中から1本の中瓶を取り出し、ヴァイスへと差し出した。

差し出した瞬間。ヴァイスの少年のようなキラキラした目が、飢えた獣のよう色を放ち始める。

 

「はわわわわ!僕はこの1本の為に今日も殺伐とした現場で、働いたといっても過言じゃないよ!僕の生きる価値そのものよ!神に感謝を!」

「大袈裟だなぁ」

「大袈裟なもんか!僕はこんなナリだからね!いつでもどこでも酒が買えるアウトとは違うのさ!」

 

 ヴァイスは俺の差し出した中瓶を受け取り、うっとりとした表情で酒瓶に頬ずりをした。あぁ、彼は根っからの酒中毒者だ。

ヴァイスは“見た目”が10代半ばに見えるだけで、その中身は飲んだくれで、仕事中も酒で喉を癒す、最高にだらしのない大人だ。

 

「アウト、感謝するよ!はい、お金!あとは感謝のしるしに、」

「はいはい!今日は“よるのさんぽ”が良い!」

「今日も、だろう?アウトはこの曲が好きだねぇ」

 

 そう、俺が定期的にこの広場でヴァイスと落ち合うのには理由がある。

 

 

——-夜のさんぽ。星は、私の心の道しるべ。月は、心を照らす優しき光。

 

 

 ヴァイスは吟遊詩人だ。

そして、俺はヴァイスの歌を聞く、客だ。

いや、どうやら先程の話を聞く限りでは、本職は別にあるようなので、副業が吟遊詩人という事なのだろう。ウィズの酒場のようなモノだと、俺は考えている。

 

初めてヴァイスの曲を聞いた時は、あれはいつだっただろうか。

 

「はぁっ、良い声だ」

 

 俺は冬の夜の冷たい空気を一気に吸い込んで、聞こえてくる旋律に耳を傾けた。

 

いつだったかなんて忘れてしまった。けれど、副業というだけあって、ヴァイスの舞台はいつだって夜だ。仕事終わりにどこからともなく現れて、この広場で歌を披露していく。

しかし、昼間ならいざ知らず、夜の広場というのはただただ閑散としており、人なんて集まりはしない。

 

しかも今は冬だ。いくら曲と歌声が美しくとも、客はいつだって俺一人。

 

 

——-夜の風は私と踊る。流れ星の手紙が運ぶ嬉しい便りを片手に、私は踊る。

 

 

彼が此処で歌を歌っていた時、たまたま通りかかったのが俺だったのだ。ただ、それだけ。

けれど、きっかけはどうであれ、それ以来僕はヴァイスの歌の虜だ。

 

「ふふふ、ふふふん、ふんふふん」

 

俺は、美しい歌声を披露するヴァイス共に、下手くそ承知で共に音階を刻む。きっと他の吟遊詩人ならば、こんな事をされたら顔を顰めてしまうに違いない。自分の美しい旋律を邪魔するな!と。

 

「あははっ!いいね!僕、乗ってきたよ!」

 

けれど、ヴァイスは違う。俺が下手な鼻歌で共に歌うと、それはそれは嬉しそうに、今度は踊り出すのだ。

 

 

——ランララ、ランララ、ラララララ

 

 

 俺はそんなヴァイスの人柄や歌声に、すぐにヴァイスの歌声愛好者になってしまった。

そう、さほど多くはない賃金を、給料日前にも関わらず、彼の足元に置かれた帽子に投げ入れてしまうくらいには。

 

「ラララララララ~」

 

以前、それをアバブに伝えたところ、そういうのを“ナゲセン”と言うのだと教えてくれた。ナゲセンは、個人の芸術家達の息を長引かせる大事な行いだから、是非続けた方が良いとも言われた。

 

ヴァイスの歌声は俺のお気に入りだ。

出来れば細く、長く続けていってほしい。

あぁ、手帳に“ヴァイスの歌声”も追加しておかなければ。

 

けれど、“ナゲセン”をする俺にヴァイスは言った。

 

『お代は良いから、このお金で酒をたんまり買って来てくれないかい?』

 

 それからだ。

俺はこうして定期的に仕事帰りにヴァイスの舞台を聞かせてもらう為に、彼に酒を買って手渡す。ヴァイスのお金で。

 あぁ、まったく。本当に、おかしなヤツである。

 

 

——今夜の散歩はどうだった?私はとても最高の気分。ねぇ、アウト?

 

 

“夜のさんぽ”はヴァイスの創作曲だ。

だからいつも最後はヴァイスの好きに歌いきって終わる。俺の名を呼んで、軽やかに舞っていた体をフワリと柔らかく静止させ、酒瓶の線を勢いよく抜いた。

 

シュッ!というアルコールの音が空気と共に抜ける音が響いたかと思うと、ヴァイスは先程まで美しく歌い上げていた口に、その中瓶を一気にねじ込んだ。

素晴らしい歌い手の姿は、今この瞬間姿を消し、残るはだらしのない飲んだくれの姿だけである。