103:俺がお気に入り

 

 

「っはああぁぁ!歌った後の酒ってどうしてこんなに甘美なんだろうねぇ!」

「歌ってる時との差が凄い……」

「なんだって?」

「いいや、何も。今日も良い歌だったよ。ヴァイス」

 

 パチパチと俺はたった一人だが、心を込めて拍手を送る。そんな俺に、ヴァイスは酒瓶から口を離すと、恭しくお辞儀をした。

 

「ねぇ、アウト?明日は?明日は来れる?」

「ごめん、明日は夜勤で来れないんだ」

「ちぇっ!って事は、次に会アウトに会えるのは来週かぁ。残念!」

 

 そう、口を窄めて拗ねるヴァイスは俺ではなく酒が目的なのだ。ヴァイスはその幼い容姿から、自分で酒を店で買う事が出来ない。可哀想な童顔の吟遊詩人だ。

 

「まったく都合良い事ばっかり言って。俺じゃなくて、酒が目当てだろ?」

「いいや!僕は酒も愛してるけど、アウトもお気に入りなのさ!君の事はここ最近、とっても大事、大事さ!」

 

 こうも素直に自分自身を“お気に入り”などと言われると照れてしまう。そして、俺も誰かのお気に入りになれるなんて。

それは自分のお気に入りを指折り数えるのと同じくらい嬉しいではないか!

 

「どうも、前のお気に入りとは、もうすぐお別れになりそうだからね。アウトが現れてくれて、僕本当に嬉しいんだ!」

「お別れ?友達が引っ越しでもするのか?」

「そんなトコ。けど、アウトのお陰で僕は寂しくないよ!神に感謝だね」

 

 そう言って笑うヴァイスの横顔は、本当に嬉しそうで、それを見た俺は「今日はやっぱり良い日だったよ!」と最初の問に対して訂正を入れようかと思った程だった。

 

「ヴァイス。週末もやってくれたら、俺は酒を持って聞きにくるけど?」

「いいや、週末は週末で、僕は別の芸術活動があるからね。僕は多忙なんだ」

「へぇ、機会があったらそっちの芸術活動とやらも教えてくれよ」

「うーん、どうかな。こっちの活動は排他的だからね。仲間に聞いてみるよ」

 

 一体何の芸術活動をしているというんだ。俺はヴァイスの得意気な姿に、思わず吹き出すと、高く登り切った月を見上げ「さてと、」と背伸びをした。

 

「もう行くのかい?」

「ああ、今日も良い歌をありがとう。ヴァイス」

「あぁ、こちらこそ良い酒と喜びの日々を、ありがとう。アウト」

 

 この後は、ウィズの酒場だ。俺も最近は色々と忙しい。1日がもっと長ければ良いのに、そう最近は思わない日がない。俺は横掛けの鞄を「よいしょ」と背負い直すと、ヴァイスに背を向けた。

 

「アウト!」

「ん?」

 

 背を向けた瞬間、ヴァイスの声が耳に響く。

 

「来週は、アウトの分の酒も持っておいでよ!」

「ん?」

「もちろん、キミが酒を買って来てくれるお礼に、アウトの酒代は僕が出すよ!」

「…………いいな!それ!」

「おまけに僕の歌を付けるよ!大盤振る舞いさ!」

「最高じゃないか!」

 

 俺は客の筈なのに、どうして演者であるヴァイスからここまでしてもらえるのか。酒が買えない彼にとって、俺はきっと冗談抜きで生命線なのかもしれない。

 いやはや、童顔というだけで、本当に可哀想なヤツである。

 

「じゃあ、来週!楽しみにしてるよ!」

「分かった!じゃあ、来週な」

「うん!また来週ね!」

——僕の、お気に入り!

 

 僕の、お気に入り。

俺が、誰かのお気に入りになれるなんて。俺は最後に一声響いてきた、ヴァイスの高い、美しい声で放たれた言葉に、耳が熱くなるのを感じた。

 

 そして、ふと気になって俺はもう一度振り返った。恥ずかしいけれど、俺にとってもヴァイスの歌声はお気に入りだよ、と伝えようと思ったからだ。

 

 けれど、

 

「あれ?」

 

 振り返った先には、もう誰も居なかった。まるで、そこには元々誰も居なかったかのように閑散とした広場があるだけ。

チカと、街灯の灯りが色砂の飛び火によって短く瞬いた。

 

「もう居ない……ほんと、風みたいなヤツだな」

 

 俺は、次会った時に伝えるか、と俺は誰も居なくなった広場に今度こそ背を向けると、足取り軽やかにウィズの店へと向かった。