「……お前ら二人が本気でなかった事は分かる。けれど、口にしているうちに酒が入ると勢いがついて、現実になってしまう事は往々にしてよくある事だ。それを覚えておかなければならない。事が起こってからでは遅いんだ。起こった後、あの時は酔っていたからなんて言い訳は通用しない。時はいかにしても巻いて戻す事は出来ないのだから」
「ごめんなさい」
俺は最早「ごめんなさい」しか言えなくなってしまった人形のようだった。ウィズの言う通りだ。俺はこうして釘を刺されなければ、いつか愚かな事をしていたかもしれない。
「ごめんなさい」
「……もういい。分かったならいいんだ」
やっとウィズの表情が緩む。けれど、俺の中の冷たさはなくならない。
どうやら、俺にとってこの店に来れなくなるという事実が、どれほど俺の中に大きな穴を生む事になるのか、俺はこれっぽっちも理解していなかったらしい。
最悪だ。あぁ、最悪だ。俺はいけない事を言ったし、しようとした。
俺はもっと反省しなければならない。
「俺、今日、帰る。いけいない事したから、反省する」
「え?」
「お金、ここ置いとく」
「あ、いや」
俺は今日はもう酒を飲む資格がない気がする。いや、実際ないのだろう。俺はとても愚かな事をしてしまったのだから、今日はこれ以上飲まずに帰るべきだ。
「アウト?」
そんな俺にウィズは今の今まで浮かべていた、無感情でスンとした表情が一気に崩れ去ったのを、俺は間近で見た。どうして正しい事を言ったウィズが、そんな顔をするのか、俺には欠片も分からなかった。
「ごめんなさい。また来ます」
「ちょっ、アウト」
俺はカウンターの内側に置いていた自身の鞄に手をかけると、なんとなく一度頭を下げてみた。きっと、俺はたった1度の叩頭では足りないのだろうが、そうそう何度もここで頭を下げていては、4人も酒が飲み辛いだろう。
「待て待て。帰る、必要はないんじゃないか。落ち着くんだ。アウト」
そう言って慌てて椅子から立ち上がったウィズは、何を焦っているのか、焦った拍子に手元にあった自身の酒をひっくり返した。その瞬間、今日全員で飲んでいた薄黄色の酒が、カウンターを一気に濡らす。
「いや、マスター。まず、アンタが落ち着けよ。おい、クソガキ。帰る前に拭くもん寄越せ」
「す、すまない。いや、俺は落ち着いているのだが。アウトが」
「俺は別に慌ててないよ。はい、アボード」
俺は手に持っていた鞄を一旦置くと、明らかに動揺しているウィズにではなく隣に座るアボードへと台拭きを手渡す。
「コイツは昔から叱られると、一人で半日部屋に籠るんだよ。そういう奴なんだ。明日になったら、何でもねぇような顔して、またここに来るだろうさ。気にする事ぁねぇよ」
「い、いや。そうは言っても」
「いや、明日は夜勤だから来ないよ」
「っ!」
そう、明日の夜勤を思い出して、俺は一瞬にしてゲンナリした。
だとすると、実質、今日明日は酒を飲めない事になるのだ。俺が愚かな事を言いさえしなければ、今日は楽しく酒を飲んで明日の夜勤に備えられたものを。という事は、俺が次にウィズに会えるのは、約束の週末という事になる。
あぁ、俺は本当にバカだ。
「アウト。俺は悪くないが、悪かった。帰る必要はない」
「ごめん、俺、ちょっとウィズが何を言ってるのか分からない」
そして、本当にウィズが何に対して焦っているのかも一切分からない。そう、ウィズは正しくて、俺が間違っていた。ウィズは何も“悪くない”のだ。
そう、俺が心の底から首を傾げていると、それまで黙って俺達の様子を見ていた筈のトウが、妙に存在感のある声でクツクツと笑い始めた。
「ウィズ。お前、昔偉そうに俺へ説教していた事をそのまま自分がやってるじゃないか」
「トウ……」
「多分だが、アウトにはきちんとお前の本心を伝えないと、きっと何も伝わらないぞ」
「……そんな事、お前にだけは言われたくない」
ウィズが憎々し気な様子で自身の右隣りに座るトウへと視線を移す。そんなウィズに「違いない」と苦笑するトウの姿は、どこか23歳程度の年齢では醸し出せない程の、重厚な雰囲気を醸し出していた。
「ウィズ、お前がアウトにも分かりやすい言葉で伝えられるようになるまで、俺が時間稼ぎをしてやろう。俺も今回ばかりは上司としてバイに言うべき事があるからな」
「なんだと?」
トウの不思議な物言いに、ウィズだけでなく俺も首を傾げていると、トウは俺の方を見て、その顔に爽やかな笑みを浮かべた。それはまるで、ビィエルの初級教本に出てくる“ハラグロゼメ”の青年のような笑みだった。
「アウト、もう少ししたら、きっとウィズもお前に分かるように話してくれるだろう。だから少し帰らずに待ってやってくれないか?」
「俺はちゃんと分かってるよ。俺が悪かったって」
「……まったく、なら今回の件、謝るべきはお前だけじゃない。だから、そう言う意味でももう少し帰るのは待ってくれ」
「……?」
そう、トウはそれまで浮かべていた爽やかな笑みを一瞬で仕舞うと、自身の席から立ち上がり、ウィズを挟んで隣に座るバイの元へと歩を進めた。
そんなトウにアボードは「やっと隊長らしい顔しやがって」と静かにテーブルを拭き続けている。