108:説教-トウ-

 

「何だよ。こっち来んなよ。クソ」

「それは聞けないな」

——バイ。

 

 トウの余りにも静かな声色に、バイはいつもの勢いを失くして体を少しだけ後ろに引かせた。しかし、そんなバイに対し、トウはバイの目の前ギリギリまで近づき、そのままバイがそれ以上後ろに逃れられない程、容赦なく追い詰めていた。

 

「バイ」

「……んだよ」

「こっちを見ろ」

「い、いやだ」

 

 いやだ、というその言葉の、なんと弱弱しい事か。これが、本当にあのバイだろうか。いつもはトウに憎まれ口を叩き、何一つ言う事は聞かない。そんなバイに、いつもトウは優しく苦笑するばかりだったのに。

 

 俺は確かに目の前で繰り広げられる珍しい光景に目を奪われていた。そして、そんな俺の視線が、まさに先程バイが俺へと向けていた視線と同じであるという事に、この時の俺は事態を追うのに必死で、まったく理解できていなかった。

 

「これは上官命令だ。お前に拒否権はない」

「っ」

 

 急にトウの口調が普段のソレとは一線を画したものになる。きっとこの声は、トウが騎士団の“隊長”として部下達をまとめる時に出す声なのだろう。

それを証明するように、先程まで頑なにトウの方など見ようともしなかったバイの視線が勢いよく向けられる。

 

「皇国騎士法度第3条1項」

「……皇国騎士は、いついかなる時も任務以外の私益行為で、その武器を行使してはならない」

「そうだ。もちろん一般人に使用するなどもっての他だ。それを、バイ。お前は先程、上官である俺の目の前でハッキリと破ろうとした。これは規則違反であり、罰則対象だ」

「は、い」

 

 罰則。

 その言葉の重さに、俺は思わず目を見開いた。

いや、さすがにこれはあんまりだろう。あんなの、俺達のちょっとした軽口の延長線上みたいなものじゃないか。罰則という言葉の重さが、余りにも俺達の軽口から生じたモノにしては重過ぎる気がして、俺は一瞬声を上げようと口を開きかけた。

 

「クソガキは黙ってろ」

 

 その瞬間、俺の元にアボードからカウンターを拭いた台拭きが軽く投げ渡される。軽く投げられたソレを、俺は落とさぬようにその両手に掴み取った。

カウンターの向こうではトウの言葉が止む事なく続いている。

 

「俺の事が気に食わないのは良い。殴るのも、蹴るのも、お前の俺に対する暴力の全てを、俺は許そう。何故なら、俺はお前の上官であり、同じく力を持った騎士だからだ。お前の全てを受け止め、お前の責は俺の責である事を俺は受け入れる事を誓って、俺はお前を隊へと迎え入れた」

「……」

「けれど、アウトは違う。彼はお前の言うように確かに“男”ではあるが、一般人だ。俺達の拳一つが彼らにとっては剣や銃弾と変わらない凶器だ。俺達の職務は一般市民の盾になる事であって、その守る相手を自ら傷付けようとするなんて言語道断だ」

 

 トウの口から出る言葉は、いつもよりハッキリ、そして声も大きかった。特に“言語道断”という部分の語尾の強さと言ったら、バイが怯みに怯んで一瞬だめ深く目を瞑る程だ。

 

トウって怒るとこんなに怖いヤツだったなんて、本当に知らなかった。普段温厚な人間を怒らせてはいけないとはよく言ったものだが、本当にその通りである。

 

けれど、どうしてだろう。怒っていて、とても怖い顔をしているのに。

 

 トウがバイを見る目は、どうしてこんなに優しく見えるのだろうか。

 

「それに、バイ。お前は“男”という生き物を、根本的に勘違いしている」

「…………」

「男は、その腕っぷしで全てを手にしてこそ男なんて……そんな愚かな事をお前に教えたのは、誰なんだろうな」

「……だまれ」

「そんな事を言うのは、きっとまだ自分の手綱の握り方すら知らぬ子供だ。腕っぷしの強さだけで手に入るモノなんて、この世には何もありはしないのに」

「…………うるさい」

「お前は女性には驚くほど無償の優しさを振る舞うだろう?お前の元に集まる女性達は、お前が腕っぷしで手にした者ではない筈だ」

「…………うるさい、うるさい」

 

 力なくバイから放たれる拒絶の力を持たぬ「うるさい」という言葉は、最早ただのバイの泣き声に近かった。確かに、バイの女性に対する優しさは、俺が最初に思っていたような“軽い”モノではなかった。

 

——-今日は1日よく頑張ったね。えらい、えらい。女の子はみんなえらいよ。

 

 あの時のバイの言葉が、俺の耳をつく。

あんな女性を尊重した言葉を、出会って間もない女の子にかけられるバイは、確かに優しい男だと思う。女性達がバイを見て心から微笑む事が出来るのは、きっと顔が良いからだけではない。

確かにバイという男の言葉が口から出まかせではないと、女性達も伝わるからだろう。

 

「他者に優しくあれる事が大事なモノを手にできる唯一の手段だ。腕っぷしの強さなんて、それを補強する一つの手段でしかない。あんな子供の言うような薄っぺらい“男像”なんて、お前には必要ない。早く忘れるんだ」

「っ!」

「バイ?分かってくれたのなら、ほらお前もアウトに謝るんだ」

「…………」

 

 最初のトウの厳しい口調はどこへ行った。その位、今のトウのバイへ向けられる言葉は、優しさしか残っていなかった。

 

そして、なんだか聞いている俺はトウが格好良く見えて仕方がなくなっていた。

男の本当の強さは優しさであり、腕っぷしの強さはそれを補強する一つの手段だなんて。

 

 俺もいつかどこかで口にしてみたい台詞だ。言う練習をしておこう。

 

「お前が言っても歯が浮くだけだから、絶対言うなよ」

「っは!何?俺、まさか……」

「口に出てんだよ。雰囲気ぶち壊しか、このクソガキが」

「あちゃあ」

 

 どうやら俺は無意識に口に出していたらしい。そのせいで、それまでバイの方を優しい目で見ていたトウが、いつの間にかこちらを見て苦笑している。

 あぁ、いつものトウに戻ってしまった。その流れで、俺が未だに黙りこくるバイにチラと目を向けると、そこには衝撃の光景が出来上がっていた。

 

「バイ?」