112:最強の手札からの

 

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 前回までのあらすじ

 

 どうしてもアバブの貸してくれた“びぃえる”の初級教本の続きを手に入れたかった俺は、俺の持つ格好良い男の手札を全て用意してアバブの元へと向かった。

 

何故なら、女の子というのはすべからく“顔の良い男”というのが好きだからだ。

 それを、俺はよく知っている。この、俺の手札の1枚である、自信満々の得意気な表情を浮かべるバイという男のお陰で。

 

「アバブ!ほら!ほら!ほら!みーんな、顔が良いだろ?好きだろ!女の子にとって所詮男は顔なんだろ!?」

「なんなんすか!?ちょっと、いや大分と恨み節が入ってきてますけど、アウト先輩何か好きな子を顔の良い男に寝取られでもしたんすか!?こわいっす!」

 

 俺は札遊びの時に、良い手札が手元にあったら惜しみなく全てを場に出す種類の人間だ。変な駆け引きは苦手だし、出しどころもわからない。だから、最初に良い手札は場に全て放り投げる。

 

そう、強い手札は全部、一気に場に並べてこそ、効果を発揮するものだと俺は考える!

 

「さあ!夜勤まであまり時間がない!さっそく、この顔の良い男達を紹介しよう!」

 

俺の持つ格好良い男の手札とは、ウィズ、アボード、トウ、バイの計4人を指す。自分で言うのもなんだが、これは凄い手札が揃っていると思う。

 これならアバブからどんな要望が来ても、応えられる自信しかない。そして、俺は一人一人の名前と、俺の思う“ゾクセイ”を添えてアバブに説明をする為に、4人の方を振り返った。

 

 全員が全員、それぞれが四者四様の表情を浮かべて俺の方を見ている。皆、今日は来てくれてありがとう。

 

 本当にありがとう!

 

 俺は昨日の酒場での俺の協力要請に応えてくれた4人に心からの感謝すると共に、意識を昨日の夜へと飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

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——-酒、ぐざい。

 

 そう言って、涙を止めて目を瞑るバイの鼻水を、俺は仕方がないので台拭きは止めて俺の服の袖で拭ってやった。バイは本当に酒が弱いので、台拭きについた酒を鼻孔から摂取するだけでも、酔う可能性があるのではと過剰な心配をしてしまったからだ。

 

 そして、そんな事になった場合、一番苦労するのはこの俺だ。もうあんな意識のない成人男性を抱え、寮の階段を上るなんて絶対にやりたくない。

 

「お前ら、何二人でイチャイチャしてんだ」

「いちゃいちゃ?なんだそれ。慰めるって意味か?」

「あー、ハイハイそう言う意味だよ。さっさと戻ってこい、テメェら。こっちの説教はもう終わらせてやった」

「だいたい、なんでお前が二人に偉そうに説教をしてるんだ。それについて俺が説教してやろうか」

 

 俺はアボードの隣で頭を抱えて落ち込んでいる二人を見て、なんだか可哀想な気がしてならなかった。この二人は圧倒的に“正しかった”にも関わらず、何故か今、彼らの目に浮かび上がっているのは、そこそこ大きな罪悪感。何がどうなったら、この“正しい”二人に対し罪悪感を覚える程の説教を垂れこめるというのだろうか。

 

 我が弟ながら俺以外の他人にも、ここまでの暴君、いや“はいすぺいけめん”を発揮するなど予想外だ。見ていられない。兄として今ここで正さなければ。

 

「最近のお前のはいすぺいけめん具合は目に余るぞ。兄として俺が説教してやる。そこに座りなさい」

「はぁ?お前がこの俺に何を説教しようってんだ?あ?つーか、はいすぺいけめんって何だ」

「悪くない人に説教をしたらいけないという当たり前を教えてやる説教だ!はいすぺいけめんについては黙秘する」

「だっる。つーか、お前帰るっつってたじゃねぇか。帰んねぇのかよ?ハ、ン、セ、イの為に」

 

 そう、ハンセイの部分にこれでもかと言う程の強調譜を付けて言い募ってくるアボード。

しかし、内容だけ聞けば、それは確かに俺に向けられている事は一目瞭然の筈なのに、何故かアボードのその目はウィズへと向けられていた。

 

そう、頭を抱え、何故か分かりやすく落ち込んでしまっているウィズの方へ。

 

「っは!そうだった!」

「お前のハ、ン、セ、イはその程度だって事か。あーあ。反省の色、見えずだな。こんなんじゃあ、マスターの説教も浮かばれねぇよ。いや、もしかしたらマスターはお前のバカさ加減に、最早説教をする気も失せているかもな」

「ぐ……」

 

 そうそう、そうだった。

俺は悪い事をした反省の為に、今日は酒を飲まずに家に帰ろうとしていたのだ。そんな事をすっかり忘れて、自分の悪い部分など棚に上げ、弟を説教するという更なる悪行を積み上げる所だった。

 

「……えと」

 

 居たたまれない。あぁ、居たたまれない。

 アボードの言葉に、俺が恐る恐る視線を移すと、そこにはなかなかに珍しい表情を浮かべたウィズの姿があった。

 

「ウィズ……」

 

 俺の捉えたウィズの姿。

それは、驚くほどに目を見開き、俺と視線が合った瞬間、気まずそうに視線を他所へと逸らすウィズの姿だった。

 あぁ、これは完全に怒りを通り越して呆れている表情だ。俺はこれ以上ウィズに怒られたくもないし、呆れられたくもないし、そして嫌われたくもない。

 

 これ以上、俺は愚かな事をする前に、今日はこの店を立ち去るべきだ。

 

「お前への説教はまた今度だ、アボード。ごめん、バイ。じゃあ、俺反省の為に帰るから、また明日な」

「……お前、帰るのかよ。なら俺も帰る。お前ん家に」

「いや、なんで俺ん家?寄宿舎に帰れよ」

「今日は寄宿舎には帰りたくない」

 

 そう、どこかに居る特定の誰かに当て付けるように放たれたその言葉の中には、最早俺の意見など一つも聞く意思は皆無であるようだった。さすが、末っ子。相手の意見や都合など一切気にしていない。

 

「……はぁっ、もう仕方ないなぁ。けど、反省する為に帰るんだからな。だから、家に来てもゼツラン酒はまた別の日だぞ」

「いいよ。それより、また一緒に教本の話し合いしようぜ。カイシャクチガイについては、話し合いで決めるしか方法ないしな!」

 

 そう、先程まで号泣していた大の男が、今や不敵な笑みを浮かべ、まるっきり機嫌も直ってしまっていた。余りの素早い変わり身に、逆に俺がついていけない。

 

あぁ、そうだ。こういうのを「イマナイタカラスガモウワラッタ」と言うのだ。これは、アボードが子供の頃、泣き止んだ俺に対してよく使っていた言葉だ。俺はこの呪文のような言葉をアボードに言われる度、なんだか少しだけ悔しい気持ちになっていたものだ。

 

「わかったよ、ほら。じゃあ行くぞ」

 

 未だに俺の背に腕を回したままのバイを俺はちょっと力を込めて押しのけた。少し、いや、かなり鬱陶しかったので、早いとこ離れて欲しいのだ。

 そんな俺に、バイは少しだけムッとした表情を浮かべたが、帰るなら帰るで俺から離れなければ帰れないので、結局は何も言わず渋々といった様子で腕を離していった。

 

「じゃ、俺達帰るな。今日は本当にごめんなさい」

「……アウト」

「ウィズ、また週末な。約束した場所で待ってるから」

 

 そう、口に出した瞬間、ウィズから逸らされていた筈の視線が、再び俺の元へと戻って来た。加えてウィズは何か言いたい事でもあるかのように、一瞬だけ口を開きかける。

 

俺はそんなウィズの一連の行動に「まさか」と空恐ろしい予感が頭を過るのを感じた。

あぁ、もしかしたら、ウィズは俺に呆れ過ぎて週末の約束も嫌になったかも。俺が余りに愚かで物覚えも悪いヤツだから、貴重な週末を俺と過ごしたくなくなったのかも。もう、俺となんて一緒に居たくないのかも。

 

かも、かも、かも。

けれど、それって本当に“かも”?

 

その瞬間、俺は本能的に「早くここから逃げなければ」と思った。

それだけは、俺がいくら悪い事をしたのだとしても絶対に嫌だったからだ。だから、俺はウィズが俺に向かって呼びかけてくる声に対し、聞こえないフリをする。