113:知ってか知らずか

 

 

「……おい、アウト」

「バイ。早くお前も帰る準備しろ」

 

 

 俺はウィズが余計な事を言う前に早くこの場を去らなければ、とザワつく心を必死に抑え、カウンターの内側に放り投げていた鞄を急いで取りに走った。しかし、そんな俺の心などお見通しかのように、次の瞬間、ウィズにしては珍しいまでの大声が、店内に響き渡った。

 

「アウト!」

「っ!!」

 

 反射的に俺はカウンターの近くでピタリと体が固まってしまっていた。まるでウィズの言葉には不思議の力でもあるかのように俺の体を支配する。ウィズのマナが言葉に乗って俺の体を乗っ取ったのでは?なんていうバカな事を本気で考えてしまう位には、俺はウィズの大声に混乱していた。

 

「アウト、待つんだ」

「……な、なんで。俺、帰るよ。帰って反省をしないといけないから」

「バイと帰って楽しく解釈違いについて意見を出し合う事を、お前は“反省”と呼ぶのか」

「ぐ」

 

 痛い所を突かれてしまった。既に、俺の中で“ハんせイ”と言う言葉が訳の分からない呪文のようになって頭を駆け巡るばかりだ。

 “はンセい”とは一体何だっけ?

 

「ご、ごめんなさい」

 

 反射的に口を吐いて出る謝罪。そんな俺にウィズはとっさにその美しい手で自身の口元を覆った。

 

「いや、ちがう。ちがうんだ。こんな嫌味な事を言いたいのではなく……」

 

 カウンターの横で固まる俺に対し、ウィズが眉間に皺を寄せ、どこか必死な表情で俺に近寄ってくる。そんなウィズに俺は聞きたくないと首を横に振った。聞いたら最後、週末の楽しい予定が無くなってしまうかもしれないのだ。

 

 ウィズはきっと分かっていない。俺がウィズと過ごす週末を、どれほど楽しみに、指折り数えて過ごしてきたかなんて。

 

「アウト、悪かった。いや、俺は悪くないのだが」

「分かってる。ウィズは悪くない。悪いのは俺。ちゃんと分かってるよ。もう二度とあんな事言わないから。だから、あの、もう帰るから」

「俺はそんな事が言いたいんじゃない。……あぁ、コレじゃお前には伝わらないんだったな。どう言えばいい……。幼い頃は簡単に出来ていた事が、何故こうも年を重ねると難しくなってしまうのか。もどかしいな」

 

 そう、ウィズはどこか歯痒いそうな表情を浮かべ、先程まで片手で口元を覆っていた手は今や力強い拳となって彼の横に携えられている。

 

「アウト」

 

 あぁ、ウィズ。ちゃんと伝わっている。大丈夫だ、俺は分かってるから。頼むからそれ以上はもう何も言わないでくれ。

 

「聞いて欲しい」

 

 けれど、そんな俺の想いなど一切ウィズには伝わっていなかったようで、いつの間にかウィズは俺の目の前に立っており、ガシリ腕を掴まれていた。

 あぁ、これでもう俺は逃げられなくなった。ウィズの言葉を聞かなければならなくなった。

 

 楽しい予定も、もう無くなってしまうに違いない。

 

「……ウィズ、ごめんって。謝るから、もう帰らせて」

「頼む、待ってくれ。アウト。俺の話を聞いてくれ」

「う」

 

 あぁ、そんな顔をするなんてズルいじゃないか。ウィズ。

 そんな必死な顔をされたら、俺はもう聞くしかない。それが、どんなに俺にとって不都合で嫌な話でも、聞こえなかったフリなんて、もう、できっこない。

 

「アウト、その。俺はお前と違って、あまり素直に心の内を表に出す事が得意ではないんだ。お前は知らないかもしれないが、普段の俺は、余り口を開く種類の人間ではない。だから、下手なんだ。いろいろと。いらぬしがらみや、自尊心なんかが邪魔をするせいだろうな。たまに自分でも嫌になる。だから、心のままに振るまえるお前を、俺は時々羨ましく、眩しく思う」

「……うん?」

 

 俺は頷きながら、けれど心はハッキリと首を傾げていた。ウィズの口から出される言葉は、どうも俺の予想とは違う。

 もしかしたら、ウィズは週末の予定をナシにしようとしているのではないのかもしれない。

 

「だから、その。何が言いたいのかと言えば……俺は」

「……」

 

 珍しく口ごもるウィズに、俺はやっと先程の俺の考えが俺の杞憂であった事を察した。どうやら、ウィズはとても頑張って俺に何か伝えようとしてくれているだけらしい。

 

「先程の俺の言葉は、中身は正しいかもしれないが、言い方が正しくなかった。ただ、アルコールの危険性を伝えたかっただけなのに、無駄にお前を傷付けてしまった事に対して、俺は“悪かった”と謝罪したいんだ」

「……えっと」

 

 俺はウィズからの予想外の言葉に、思わず目を瞬かせてしまった。ウィズは怒っていない。怒っていないどころか――。

 

「俺は、」

 

 そして、次の瞬間。俺の腕を掴んでいたウィズの手に、これでもかという程の力が加わった。

 

「お前に、此処に居て欲しいと思っている。帰って欲しくないと、そう、思っているという事なのだが……これで、伝わっただろうか?」

 

 そう、耳の先をほのかに赤く染め上げて、必死な様子で口にするウィズは、酔っているのだろうか。あぁ、確かに酔っているのかもしれない。ウィズの後ろにあるウィズのグラスには、既に酒は一滴も入っていないのだから。

 

 まぁ、グラスの中の酒を飲んだのが、ウィズなのかカウンターのテーブルなのか。今となっては知る由もないが、ウィズの必死な気持ちだけはハッキリと伝わってきた。

 ウィズは俺と過ごす週末を、嫌だとは思っていないという事だ。

 

「じゃあ、週末の予定は予定通りでいいってこと?」

「……週末?どうして週末の話が、今ここで出てくるんだ」

 

 俺の問いにウィズが眉間に皺を寄せて首を傾げてくる。力強く握り締められた俺の腕も、未だにその拘束を解かれる気配は微塵もない。

 

 いい加減、腕を離してはくれないものだろうか。

 

「ウィズは俺が嫌になったから、週末の予定を無しにしようとしてたんじゃないのか?」

「なっ!だっ、誰もそんな話はしていなかっただろう!」

「でも、ウィズは俺に呆れ果てただろう?俺が物覚えが悪くて、愚かだから、もう一緒に週末を過ごすのが嫌になったんだと思うじゃないか」

「…………はあっ」

 

 大きな、深い溜息。

 その、力強ささえ感じる溜息が大いに吐き出されると共に、ウィズは天井を仰ぎ見た。それはもう大仰に、片手で俺の腕を掴んだまま、もう片方の手は眉間をつまみ上げるように目元へと添えられている。

 それはさながら、美しい舞台役者が壇上で全身全霊を込めた感情表現をするかの如く様になっていた。

 俺が画家であれば、今すぐにでも筆を手に取り絵画として残そうとしただろう。まぁ、俺は画家でもなければ、片手をウィズに拘束されているので、絶対叶わない行為ではあるのだが。

 

「トウ、俺は先に行かせてもらうぞ」

「……なんだ?急に」

 

 ウィズの、どこか詰まった何かが吐き出されるような勢いのある言葉に、呼びかけられたトウは訝し気な声を上げる。

 そりゃあそうだ。俺もトウの声色に同意である。ウィズは一体何をどうしてしまったのだろうか。