116:異常事態

 

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 結果から言えば、ウィズはあの初級教本を読む事になった。何故かといえば、ウィズの言う“異常事態”が普通に起こったからだ。

 

「つーか、なんでこの主人公は毎度毎度お約束みたいに他の男に尻尾振ってんだ?そして、なんで相手の……腹黒ゼメ?だっけ?こいつは、この主人公を殴らねぇんだ!だいたい、コイツが甘やかすから、このビッチウケ?だっけか。コイツは調子に乗るんだよ!ガツンと行け!ガツンと!」

「はぁっ?アボード。お前……えっ?」

「なんだよ?トウ、そんな驚いた顔して。まぁ、そこそこ面白かった。けど、まぁ出来れば戦闘も欲しいとこだよな。これだけ男ばっかり出てくるんだ。喧嘩の一つや二つあってもおかしくねぇだろ。なぁ、これ、続きは?」

 

 厳密に言えば俺とアボードの読み解き方も異なるのだが、どちらかと言えばアボードの意見は俺寄りだった。そして、そんなアボードの意見に「信じられない」という表情で閉口するトウは、完全にバイと同じ意見のようだ。

 

 そんなワケで最後の一票を投じる為、ウィズは結局俺の望み通りに教本を読む事になったのだ。だから最初から一緒に読んでおけと、あれほど言ったのに。

 

 そんな俺に、ウィズは最後まで「お前ら兄弟の読解力はどうなっているんだ!」という旨の恨み言を言い募りながら、本当にあっけなく教本を読み終えた。

 

 あっけなく読み終えた癖に、内容はもちろん全部余すところなく把握していたようで、解説を待ちわびる俺に、ウィズは高等部の学窓教師のように本で俺の頭を軽くはたき、そして言った。

 

「お前ら兄弟は初等教育の読本解説初級教本から出直してくるように」

 

 信じられない事に、どうやら、読み解き間違っていたのは、なんと!俺とアボードだったようだ!

 俺はその事実がまったくもって信じられず、カウンター越しにウィズへと齧り付くように問いかけた。

 

「なんで!?分かるように説明してくれ!?俺とアボードは何が読み取れてないっていうんだ!」

「やっぱ戦闘が要るって事だろ。ちょうど舞台も男子学窓みたいだし、こう、胸の熱くなるような戦いが、足りてねぇんだと、俺は思ったが。次の話には、この腹黒ゼメが、あれか?途中で出て来た他の学窓の連中をボコボコにするんじゃねぇか!ゼメって攻めって事だろ?いつコイツは攻めに売ってでるんだ?」

「ちょっと待てアボード!なんかお前と俺も違うんだけど!何の話だよ!ソレ!」

「アボードの兄貴って頭悪かったんっすね……だから一人の女と長続きしないんだ」

「あ゛ぁ!?おい、バイ。テメェ歯ァ食いしばれ!」

「いや、アボード。正直言って、今回の件は俺はバイに圧倒的に同意だ」

「あ゛ぁ!?お前はほんっとにバイには甘ぇよな!?周りに示しがつかなくなるような甘やかし方はやめろよ!」

「……これはそう言った類の話じゃないだろう!アボード!俺はお前とこんなに分かり合えない事があるなんて、正直悔しさすら覚えてるぞ!」

 

 もう、何がなんだか分からなくなってきた。俺は1冊の教本を巡って巻き起こっている何かよく分からない熱いモヤモヤした霧の中で、一体どうしたら良いのか分からなくなってきた。

 

「もう!意味が分からない!俺はどうしたらいいんだ!」

 

 いくらウィズが俺の読み取り方が甘いとか間違っていると言っても、やっぱり俺にはどうにも理解が出来ないのだ。なんで、このビッチウケが素直になれないのか。どうしてハラグロゼメは、そんなビッチウケに優しく微笑んだり、突き放したり、行動に一貫性がないのか。

 

 俺にはちっともわからない!

 

「分からない、分からない!俺には分からない!ウィズ、教えてくれよ!」

「……難題だな」

「そう、難題なんだよ!この本は一見分かりやすく見えて、とても深いみたいだ!」

「……難題過ぎる」

 

 そう言って頭を抱えながらもウィズは、二言三言俺にこの教本の読み取り方のコツというやつを教えてくれた。

 

 それは「台詞の無い、登場人物の表情を映すだけの場面では、自分の中で台詞を足すような読み方を心掛けること」とか「登場人物の顔だけではなく風景や手足など、モノ言わぬ対象物に焦点を当てて読んでみる」と言った、本当に高度な技術だった。

 

 最終的には若干怒りながら「台詞に頼るな!」と机を叩いていたウィズは、きっと酔っぱらっていたのだろう。さっきは言わなければ伝わらないと大仰に言っていたのに、今度は言葉に頼り過ぎてはいけないという。

 

 酔って言葉に一貫性が持てなくなってきたに違いない。あぁ、酔っ払いには困ったものだ。そろそろ“和らぎ水”をウィズに出してあげるべきだろう。

 ウィズのその顔は赤く色付き、口角はヒクついて、なんだかとても面白い顔をしていた。

 

「……あぁっ、まったく!ここまで言って分からないなら、作者本人に聞けばいいだろう!」

「作者?聞けるものなら聞きたいよ!俺、こういう本、図書館でも古書店でも見た事ないから、作者をどうやって探せばいいのか分からないんだ!」

「これは公式流通図書の押印がない。という事は、個人が作った個人書だ!店や図書館にある訳ないだろう!」

「個人書!こんなに凄い本が個人書!?信じられない!図書にある本と変わらないように見えるのに……。でも、そうだったのか!個人書なら、貸してくれたアバブに聞いてみるのが一番早そうだな!」

 

 俺はウィズの言うように確かにどこにも公式流通の印が本のどこにも押されていない事を本の隅々を見て確認した。俺は普段本なんて読まないので、ウィズに言われるまで気付きもしなかった。

 そんな俺の様子をウィズは普段のスンとした余裕の表情など一切なくし、カウンターに体の全体重を預けて突っ伏していた。