117:いちゃいちゃ

 

「なぁ、アウト。お前、もう少ししっかりしたらどうだ……」

「ウィズ、酔ったのか?今、和らぎ水をいれてやるから待ってろ」

「俺はお前が心配で仕方がない……。こんなんじゃ、俺が少しでも目を離すと、いつの間にかとんでもない事に巻き込まれていそうだ。しかも、それに全く気付かずとんでもない事の渦中でとんでもない事をやってのけて、ともかく、とんでもない事をしでかしてそうだ」

「とんでもない祭りか?」

「……とんでもないな」

 

 きっとウィズは仕事が忙しくて疲れているのだろう。そのせいで酔いも早いに違いない。きっとそうだ。

 

 俺が「ウィズの仕事をしている所を見に行こうかな」と言った時、ウィズは言ったのだ。

「お前が来るなら、大がかりな掃除が必要だな」と。ウィズはきっと忙し過ぎて片付ける暇のなかった仕事場を、俺が来るという事で急いで片付けをしているに違いない。

 

 別に俺は多少ウィズの周囲が汚かろうが気にしないのだが、ウィズはきっとそれが許せない性格なのだ。

 この店を見ればわかる。この店はいつだって綺麗に保たれている。

 

「掃除が終わったら言う。そしたらいつでも遊びに来い」と言ってくれたあの日から、ウィズがこの酒場を開ける時間が少しだけ遅くなった。

 

 俺が軽く遊びに行くと言ったせいで、ウィズには大変な苦労を掛けてしまっている。俺は、カウンターに突っ伏すウィズの頭に手を乗せると、ゆっくりとその頭を撫でてやった。

 とてもサラサラとして指通りの良い髪の毛が俺の手に絡む。美しい人間は髪の毛だけでも美しいなんて、本当にズルい。

 

「ウィズ。お疲れ様」

「……お前が言うか」

「俺が言わなきゃ他の誰が言うんだよ」

「それもそうだな」

 

 突っ伏したまま、俺の手にされるがままになっているウィズに、俺は調子に乗って撫でる手を止める事はしなかった。触り心地がとても良い。

 

「おーい、そこ。イチャイチャしてんじゃねーぞ」

「なんだ?アボード。俺は、別にウィズを慰めてるワケじゃないぞ」

「ハイハイ。ワカリマシタワカリマシタ。お前が馬鹿って事が分かりました」

 

 またしても“いちゃいちゃ”だ。俺は別に落ち込んでいるウィズを慰めている訳ではない。ウィズの労をねぎらってやっているのだ!そして、お前からバカ扱いは一切受け付けるつもりはない!

 

 何故なら、アボードこそ、先程トウからアホ扱いされていた真の阿呆だからだ!

 

「つーか、お前明日この続き借りに行くのか?」

「続きがあるかは分かんないけど、貸してくれた子に頼むつもり」

「ふーん、なら俺も付いていってやろうか?」

 

 そう言ってニヤリと不敵な笑みを浮かべ口にされた、アボードからの予想外の提案に、俺は思わず目を瞬かせた。そして、そんな俺よりも先に驚喜の声を上げたのはバイだった。

 

「っ!本気っすか!兄貴!兄貴が一緒に行ってくれるんなら心強い!おい!良かったな!アウト!兄貴は本気で格好良いから、きっとアバブちゃんも更に続きを本気で探してくれるかもだな!?」

「た、確かに……!」

 

 確かにそうだ。我が弟ながら、アボードは確かに格好良いのだ。そして、その格好良さは男女問わず幅広く通用する事は“弟志願”の件でも明らかである。それに、アバブはアボードが職場に来たと俺が連絡を受ける度に、心底嬉しそうな顔をしていた。

 

「よし!アボード、お前も来い!アバブもきっとお前が来れば更に続きを必死に探してくれるかもしれない!」

「まかせとけ。俺にかかれば、どんな女もイチコロだ」

「おいおいおいおい!アボード。何を言ってるんだ。明日は俺と二人で城下の見回り当番だろうが。サボる気か?そんな事、俺は認めないぞ」

 

 そう、ハッキリと厳しい目をアボードへ向けるトウに、俺は思わず目を瞬かせて問いかけた。

 

「そうなの?」

「そうだ。だからアウト、バイ。悪いがアボードは明日は行けない」

「えーっ!見回りなんて、お前が一人でやればいいじゃんか!」

「なら、アボードの替わりにバイ、お前が俺と見回りをするか?」

「それは絶対にいやだ!!」

「……即答か。なら、諦めるんだな」

 

 トウの言葉に俺は先程まで急上昇していた気持ちがシュンと落ち込むのを感じた。仕事があるなら無理ではないか。まったくアボードのヤツ、期待させやがって。

 

 そう言った思いも込めて俺がアボードを睨んでやると、アボードはやれやれといった様子で椅子から立ち上がり、トウの肩へと自らの腕を回した。

 

「誰が見回りをしねーっつたよ。城下の見回りだろ?だったら、このクソガキの職場の前だって城下じゃねぇか?俺達はたまたま見回りの途中にコイツらに会う事だって可能性はゼロじゃねぇ。なぁ、トウあのクッソつまんねぇ仕事の中に、そういう多少は面白そうな偶然があったって罰は当たんねぇだろう?」

「それは、そうだが……」

「ほんっと、ちょっと。ちょっとだけ見回りの回り方に決まりなんてねーだろ?久々に漫画も読めたし、ちょっと他にも読むモンねぇか聞きたいんだよ!あと、普通にお前と二人の見回りつまんねーし!」

「お前が他のヤツと組むと疲れるからって上官に言って俺とペアになるようにしてる癖に文句言うなよ!?俺だってお前とばっかりのペアは嫌だ!飽きたぞ普通に!俺だって別のヤツと組みたい!」

 

 アボードからの失礼極まりない言葉に、とっさにトウの本音がポロリと出た。トウは穏やかで、何でも受け入れるような優しいヤツだと思っていたが、こうしてアボードと話していると多少の子供っぽさも垣間見えて、俺は何故か少しだけ安心した。

 

 それはバイも同じだったようで、普段ではあまり見れない子供のような事を言うトウの姿に、妙な表情を浮かべている。

 

「ほら、お前だって飽きたんだろ?お前は固すぎるんだよ。やっぱり変わらぬ日常業務への一時の刺激ってヤツは自分で取り入れるべきだ。それでこそ、日頃から緊張感を絶やさずいれるってもんだ。な?な?な?」

「あぁ、もう。アホの癖に上手い事言って……」

「あ゛ぁ!?誰がアホだって!?」

「あー、分かった分かった。……仕方がない。少しだけだぞ」

「っし、ほら。かっこいい俺達も同席してやるから、なんか他にも漫画がねぇか聞けよ?クソガキ」

「目的が、すり替えられて、いる……?」

 

 完全にアボードの目的が「何か別のマンガを借りること」になっているが、まぁこの際理由は何だってかまわない。こうして格好良い男の手札が増えていく事は、今回の件にとって決して損ではないからだ。

 

「じゃあ、明日は4人でアバブに会いに」

「俺も行こう」

「っへ?」

 

 俺は突然割って入って来て予想外の言葉を放つウィズに、一体ウィズが何を言ったのか最初は理解できなかった。

 

 ウィズが一体何をするって?

 のそりと重たい体をカウンターから起こすウィズに、俺はカウンターの内側から俯くウィズの表情を読み取るべく屈んで顔を覗き込んで見た。そこには、いつも見ている筈なのに、やっぱり美し過ぎて眩暈を覚えそうなウィズの素晴らしい顔面があるだけだ。

 

「ウィズが、なんだって?」

「明日のその集まり、俺も同席しよう」

「えっ、えっ!いいの!?ウィズも来てくれるの!?仕事忙しいのに!?片付けも大変なのに!?」

「ああ。お前は俺が目を離すと、なんだかとんでもない事に巻き込まれていそうだからな」

 

 そう、静かに頷くウィズに俺は思わず興奮を抑えられるにカウンターから身を乗り出していた。ウィズが一緒に来てくれるなんて夢のようだ。ウィズは俺の思う顔の良い男の中でもダントツで美しい。これで全ての手札が揃ったといえる。

 

 けれど、俺にとってはそんなの今の感情を作り出す、ほんの僅かでしかなかった。

 

「っっっ!」

 

 俺にとって、俺にとっては。

 

「っやったー!これで、明日もウィズに会える!」

 

 そう、明日は夜勤でこの店に来れないから、ウィズとはもう会えないと思っていた。けれど、ウィズが来てくれるなら、明日もまたウィズと会えるという事だ。

 

 その事実が、俺を飛び跳ねさせる程嬉しかった。

 

 というか、実際飛び跳ねた。もうすぐ26歳だけど、俺の体は宙へと軽く浮き上がるくらい嬉しかったのだ。

 

「……まったく。本当にお前ってやつは」

 

 ウィズが何かを言っているようだ。けれど、喜びで飛び跳ねる俺にはよく聞こえなかった。

 それに、皆が俺を呆れて見ているのだって飛び跳ねながらしっかりと感じている。その視線にはきっとウィズも含まれているだろう。

 

 きっと、子供っぽいとか、ガキだとか、坊やだとか思ってるに違いない。

 けれど、それで良いんだ。俺はウィズの言うように、読み取るのが下手くそだから、俺自身も分かりやすくないと、自分の気持ちも分からなくなってしまうかもしれない。

 

 俺は、明日もウィズに会えて嬉しいというこの感情を、この想いを。注意深く探さないと分からないような感情にはしたくない。

 

「ったく、イチャイチャしやがって」

 

 そう、飛び跳ねる合間に聞こえてきたアボードの言葉に、俺は「別に誰も慰めてない!」と言い返すのも忘れて飛び跳ね続けた。