118:あなたの気持ちをきかせて

◆◇◆◇

 

 

王子様はぼくに言った。

 

『帰らないで。ずっとここに居たらいいじゃないか。ここにはなんでもあるよ。キミも楽しいって言ってたじゃないか。ずっと、ずっと一緒に遊ぼうよ』

『だめだよ。ぼくは帰らないと。朝になったらお父さんとお母さんが起こしにくる。それまでに帰らなきゃ』

『お願いだよ、おれの大事なともだち。帰ろうとしないで』

『王子様、ぼく、明日も遊びに来るよ。約束する』

『そんな事をいって、誰もおれの所には戻ってこなかったじゃないか!』

 

そう言って怒った王子様は、ぼくを月の黒点の部屋に閉じ込めた。

真っ暗なそこはなにも見えない場所で、ぼくはとても心細くてシクシクと泣いた。

 

かえりたい、かえりたいよう。

 

あんなに一緒に楽しく遊んだのに、どうしてこんな事をするのだろう。

さっきまで一緒だったファーもここには居ない。

 

ひとりはいやだよう、こわいよう。かえりたい、かえりたい。

 

ぼくはそうやって、ずっとずっと泣き続けた。

 

 

◇◆◇◆

 

 

 ぱたん。

 きみとぼくの冒険。第4巻の最後の一行。それを読み終えた僕は静かに本を閉じた。これはまだインの他には誰にもしてあげていない。

 

 だから、この村でこのお話を知っているのは、僕とインだけだ。まぁ、きっと明日にはこのお話も村中の子供達が知るところになるのだろうが。

 

 それでも、今は僕とインの二人だけ。

 

『…………』

『イン?』

 

 二人だけの秘密の隠れ家で、僕は黙り込むインの顔を覗き込んだ。

 覗き込んだ先には、余りに衝撃を受けてしまったのか、口をポカンと開けたまま、どうしようもない程感情の整理がついていないインの姿が、そこにはあった。

 

『イン?』

『わからない。オレ、わからないよ。オブ』

『ん?』

 

 インは茫然とした様子で僕の手の中にある【きみとぼくの冒険】第4巻を見つめていた。読む前から多少は衝撃を受けるだろうな、と予想してはいたが、まさかここまでインを揺さぶる事になろうとは。

 

 僕は手の中にある本をもう一度静かに開いてみた。

 

『どうして、王子様は主人公を助けてくれたり、一緒に遊んだり。凄く良い友達だったのに、最後、あんな事をしたんだ?また来るよって言ったのに……約束だって言ったのに、どうして信じられないんだろう』

『イン、王子様は寂しいんだよ』

『でも、明日も来るって“ぼく”は言ったよ』

『口約束じゃ信じられなかったんだ。もし来てくれなかったらって考えたら怖くなったんだよ。きっと』

『そう、王子様は言った?そう、書いてあった?』

『書いてないけど……でも、イン。ねぇ、王子様の気持ち、分からない?』

『オレには、むつかしい……』

 

 説明しながら、僕はどうしてインが月の王子様の気持ちを分かってくれないのだろうかと、少しだけ苛立った。

 

 絵本の中にある絵をインも見た筈だ。

 なんでもある月の国だけど、逆にそこには王子様の”ほんとう”に望むモノは何もなかった。甘いおやつも、星のオモチャも。欲しいモノは何だってあった。自分達を縛る大人は誰もおらず、そこには邪魔者も居ない代わりに何もない。

 

 広い広い国に、王子様はポツンと一人だけで暮らしていたじゃないか。

 

『ねぇ、イン。王子様の気持ち、分かってあげてよ』

『でも、王子様は“ぼく”を閉じ込めたよ。帰りたいって泣いてるのに。“ぼく”の気持ちはどうなるの?お父さんにもお母さんにも、ファーにも会えない』

 

 分からない。

 そう、インが口にする度に、何故だか僕が王子様の代りに傷を負っているような気分になってきた。そう、最初にこの本を読んだ時は気付かなかったけれど、この月の王子様は“僕”そっくりだったから。

 

 僕は僕でも。

 この月の王子様は“イン”に出会った後の“僕”そのもの。

 

 なんでもあるのに、何もない。そして、そんな中で会えた初めての心からの“大切”。だからこそ月の王子様はどうしたら良いのか分からなかったんだ。

 帰ると言って自分に背を向ける大切な人に、ここに居て欲しいと伝える術を、王子様は知らない。なんと言っても、王子様はずっと“ひとりぼっち”だったのだから。

 

 一緒に駆け回って、一緒に飛び回って、一緒に笑い合って、帰らないでって、ずっと一緒に居てって。それが全部、王子様には初めて。

 

『イン、王子様の事悪い奴だって思う?嫌いって思う?』

 

 僕は恐る恐るインに尋ねてみる。王子様を通して、自分を重ねて質問する。

 だって、この王子様のように、僕もいつか寂しさでいっぱいになったら、インを閉じ込めてしまうかもしれない。泣いても出してあげない。ここから出さないって。

 

 それで嫌われてしまうと、分かっていても。

 

『嫌いになれない。けれど酷い事をずっとされたら、もしかしたら最後は嫌いだって思うかもしれない』

『……イン』

『でも、オレは嫌いになりたくないから聞く。オレは、オブみたいに頭が良くないから……言ってくれなきゃ分からないから。……だから、嫌いになる前に「君の気持ちを教えて?」って聞く』

 

 インは一言一言噛み締めるように言った。僕の目をジッと見つめながら。

 

 なんという事だろう。インは『わからない』なんて口では言いながら、本当は僕が月の王子様越しに、僕自身がインにこの質問をしたのだと“分かって”いるんじゃないだろうか。

 

 インは全部、全部、全部。

 

『王子様にさ、オブの言うように寂しいんだって言われたら、オレだったら今度はオレの家に王子様を連れていく。そしたら、この後も一緒に居られるだろ?それが難しいなら、どうしたらずっと一緒に居れるか、王子様も一緒に考えてもらう。きっと“僕”にとっても王子様は大切な友達なんだから一緒が良いと思ってるんだよ。そうやって、一緒に考えて出した答えなら、きっと二人共笑顔で約束できる筈なんだ』

『……イン』

 

———だから、言って欲しい。二人で“これから”を考えるために、まずは王子様に言って欲しい。寂しいよって。だから、ずっと一緒に居たいんだって。

 

 そう、少しも逸らさず放たれるインの言葉に、僕はただ静かに頷いた。

 あぁ、イン。キミって本当に不思議だね。キミはこの物語の続きを知らない筈なのに。どうしてそんな風に言えるんだろう。

 

 もしかしたら、この本の主人公はインなのかもしれない。そして、僕は月の王子様。きみと僕の冒険はもしかしたら、僕達の冒険なのかも。そう思うと、僕はより一層この物語が愛おしく感じられて仕方なかった。

 

 きみとぼくの冒険。第5巻。第1章。

 

 タイトルは。

 

 

 

【あなたの気持ちをきかせて】