120:たすけて、ウィズ

 

「ちょっ!ちょっ!ちょっ!アウト先輩!頭沸いてるんですか!?皆さんの前で何を堂々と出してるんすか!?」

「なんで?ダメだった?」

「ダメっすよ!こないだも言ったじゃないっすか!これは私と二人の時に出してくださいって!もう忘れちゃったんですか!こんちくしょう!」

「ああ!大丈夫だよ、アバブ。その本、ここに居るみんなも読んでるから」

「ぎゃあああああ!全然大丈夫じゃないですってそれ!?はっ!?はっ!?なになに!私が仕事休んでたからって嫌がらせですか!?」

 

 何故か悲鳴を上げ始めたアバブは俺に縋りつくように、俺の上着を引っ張り始めた。いや、だから余り女の子は男相手にこんなに体を近寄らせるべきじゃない。

今日と言う今日はきちんと言って聞かせないと。

 

「アバブ?前から言おうと思っていたけど、女の子がやたらと男に体をこうして近づけるもんじゃない。アボードが昔言っ言ってたんだ。男は狼なんだって。狼分かる?強い犬だよ。危険な生き物って事だ」

「強い犬って!ってか違う!違う!いやいやいや!アウト先輩!アンタは体よりも、私の心の内側の内側を他者に全開放させているって事に気付いてくださいよっ!何見せてんすか!何見せてんすか!何やってるんすか!?うあああああ!!」

 

 アバブはそれまでの礼儀正しい“女の子っぽい”姿から一転して、目を血走らせた何か別の生き物のようになってしまった。

 あれ?俺は何か間違ってしまっただろうか。

 

「どうした?アバブ。いや、今日はさ、その教本が余りにも面白くて素晴らしいって事でさ、アバブにどうしても続きを見つけて欲しくてお願いに来たんだ。皆その本の続きが気になって仕方が無いんだよ」

「だから言ったじゃないっすかぁ……それの続きはないって。だってそれはアウト先輩用に……あぁぁもう。何の拷問だよ、コレ。マジで最悪なんだけど!マジでありえねー!」

 

 そう、アバブは本格的にその場に蹲ると顔を足の間埋め、腕で完全に顔を見えないように隠してしまった。アバブのこんな姿、本当に初めて見る。

 そして、ここまで来て俺はやっと自分が何らかの間違いを犯してしまった事に気付いた。

 

「アバブ!ちょっ、どうしたんだよ!」

「……もうアウト先輩なんか嫌いっす」

「……ええっ!なんで!?俺、なんか気に障る事言った?言ったならごめん、謝るから。俺、この教本凄く面白くって、本当に凄く好きで、皆にも読んでほしくってさ。バイも一緒にコレ読んで二人で続きはどうなるのかなって話してて。カイシャクチガイも起こったりしてさ、だから他の人にも読んで一緒に釈義?ってやつを正しくしたくって」

「…………」

 

 もう返事すらしてくれなくなったアバブに、俺は顔を上げて回りで様子を伺うバイやトウ、アボード、そしてウィズに助けを求めた。すると、バイもどこか焦った様子でアバブの蹲る背中に手をかけた。

 

「アバブちゃん、大丈夫?この本、俺も読んだんだけど、ほんっとにこんなに面白い読み物読んだの初めてで、俺も続きが読みたいと思ったんだよ。なんていうか、主人公の気持ちが痛い程分かるっていうか、ハラグロゼメのアイツ。俺、かなりムカついたりもするんだけど、アイツってやっぱ格好いいんだよな。嫌いなんだけど、好き?みたいな。ちょっと言い方わかんないんだけどさ。だから、ほんと俺も続きが読みたいんだよ。どこに続きがあるのか、手がかりだけでも教えてくれると、嬉しいな、なんて?」

「…………」

 

 ピクリとも動かないアバブ。そんなアバブに俺とバイは二人で顔を見合わせて、どうしたものかと思案した。

 ただ、いくら顔を見つめ合って思案しても、良い案など浮かぶ筈もない。

 

 もう一度顔を上げる。向けられた先に立つ、トウとアボードは巡回中の為、騎士の制服を着ている。そのせいか、帰宅途中の通行人達が何事かとチラチラこちらを見てくるのを、トウが「なんでもありませんから」と手を振ってかわしてくれている。アボードに関しては論外で、大きな欠伸を一つ放ってくるだけだった。

 

 あぁ、一体どうすればいいんだ!

 

「ねぇ、アバブ……この本」

「だからっ、ねぇって言ってんだろ!?続きなんて!」

 

 取り付く島は、やはり一つもない。

 こんな風に苦し気な声で発せられる、しかもいつもと口調も異なる返答に、俺はもうそれ以上何も言えなくなってしまった。きっとこの調子では、誰が作者かなんてきっと聞いても教えてくれないだろう。

 

 それどころか「アウト先輩なんか嫌いです」と言われてしまった手前、もう俺とは話してくれないかもしれない。俺のしでかした何が、アバブをこんなにも追い詰めたのかは分からないが、それはきっと俺が“ぎょうかん”を読み取るのが苦手なせいだろう。

 ウィズに言われた“台詞に頼るな”という言葉を、まさか教本以外の、こんな所で身をもって知る事になるなんて。

 

 あぁ、どうしたら良いのか分からない。アバブが何に対してこうも怒っているのか。俺があの教本を皆に見せた事が、どうしてこんなにもアバブを怒らせる事になってしまったのか。

 

 分からない。分からない。言ってくれなければ分からない。

 けれど、言ってくれないからといって、それを理由に理解を放棄するのは、ただの甘えである事を俺は最近になって知った。

 言ってくれなければ確かに分からない。けれど、理解しようとしなければ、やっぱり分からないままなのだから。

 

「アバブ、ごめん。それでもやっぱり、俺。分からないんだ……」

 

 俺は最後に蹲るアバブの隣からウィズを見上げてみた。

——ウィズ、どうしよう。助けて。

 

 口には出さなかったが、俺は思わずウィズの目を見て思ってしまった。だって、俺には分からないから。考えても、考えても。どうしても分からない。

 

「…………はぁっ」

「ウィズ?」

 

 すると、それまで黙って此方の様子を見ていたウィズが、俺と目を合わせた瞬間、お決まりの「まったく」という台詞と共に、その足を一歩だけ前へ進めた。そのせいで、ウィズは蹲るアバブのすぐ前で、アバブを見下ろすような態勢になっていた。

 

「……急に大勢で押しかけて申し訳なかったな。君には大変申し訳ない事をしたと思っている。ただ、俺の知り合いにも同じような趣味を持つ者がいるが、あの本の完成度は、彼の手元にある何よりも勝っていると感じた」

「……もう、放っておいてください。あの本の続きはどこにもないっすから」

 

 あぁ、ウィズでもダメか。取り付く島はどこにもなく、アバブは完全に陸の孤島に閉じこもってしまった。俺がその遠い島に行くには、何か乗り物に乗るか、アバブが「来ていいですよ」と橋を架けてくれるしかない。

 俺は蹲るアバブの顔をどうにか覗けないかと、首を傾げた時だった。

 

「続きが無いのであれば、描いてくれないか?これは、キミがアウトの為に描いたものだろう?」

「っっっっっ!!!!!」

 

 そう、ウィズが静かに放った魔法のような言葉に、アバブは蹲って隠していた顔を一気に上げた。ちょうどアバブの顔を覗き込もうとしていた俺は、急に現れた真っ赤な顔に息を呑んだ。その顔は怒っている訳でも、ましてや俺を嫌っているような顔でもなく。

 

 ただただ、真っ赤だった。

 

——-え?今ウィズは一体何と言った?続きを描いて、くれないか?

 

「なっ、なっ、なっ、なん、なんで」

「いや、もしくはもう既に続きは描いてあるのかもしれないな。アウトの事だ、きっとこの本のどこがどう素晴らしいかは、既に聞き及んでいるのだろう。彼は……アウトは、この通り考えが足りない、行間も読めない、配慮もない、色々と足りない男ではあるが、素晴らしいモノは素晴らしいと難なく口にできる、嘘のない人間でもある。俺達のような他人にまで作品を見せたのにも、君の描いたものを他者にも共感してもらいたいという、純粋な好意だ。あまりアウトを責めないでやって欲しい」

「…………やめてくださいよ。あんな恥ずかしいゴミ。私、アウト先輩が何でも聞いてくれるから、ちょっと調子に乗ってしまっただけで。そんな」

「ゴミなんて、自分の描いたものを、そう卑下するものじゃない。その卑下は、自分だけでなくその作品を素晴らしいと言ってくれた人間まで侮辱する言葉だ。そうなれば、俺はキミを許せなくなる。『自分の作ったモノに自信を持て』なんて、俺は創作者ではないから簡単には言えない。だが、その作品を読んだ一読者として言わせてもらうとすれば、キミには才能があるんじゃないか。そういう作品を描く“才能”が」

 

 俺は目の前で交わされる会話の一つ一つを、ゆっくりと頭の中でみ砕いていった。俺は“ぎょうかん”の読めない、配慮のない、色々と足りない男なので、ゆっくり一つ一つ考えないと物事を理解できない。

 

 チラと共にアバブの顔を覗き込んでいたバイを見る。バイは俺と同じように驚いた表情を浮かべながら、けれどその目には何かキラキラと輝く光を沢山湛えていた。そして、それはきっと俺も同じ。

 

 一つ、一つ、ゆっくりと頭の中で整理して、分かる事、それは。