俺と池田は仲が悪い。
犬猿の仲。
ライバル。
栞を巡る恋敵。
そんな噂が、俺の耳にも届くようになったのは、栞がインフルエンザにかかって3日くらい経ってからだった。
未だに、栞はインフルエンザから回復していない。
あれって、治っても1週間は学校来れないんだっけ。
まぁ、受験前だし、そこらへん気を遣ってるのかもしれない。
まぁ、それは置いておくとして。
まさか、そんな風に周りからも認められるほど俺とアイツの仲に不仲説が生じてくるなんて、まさかの俺も予想外だった。
つか、何。栞を巡る恋敵って。
俺と栞は奇麗さっぱり別れたっつーの。
しかも別れ話した後、夕飯もおごらされたっつーの。
しかし、ままならない周りからの噂とは裏腹に、俺とアイツとの関係は、少し、ほんの少しだけ変化していた。
いや、変化と言うほど大それたモノではないかもしれない。
ただ、あの日から。
俺がアイツに朝の挨拶を向けたあの日から、俺とアイツはよく目が合うようになっていた。
それは授業中だったり、休み時間互いに女子や男子の軍団に揉まれている最中だったり、ふと顔を上げたホームルームの瞬間だったりと。
それは、様々なシチュエーションで、俺はアイツと目が合った。
また、それとは別に俺がアイツを見ていない時、アイツからの視線を感じる事もあった。
だから、多分その逆で、俺の視線をアイツが感じている事もあるのだろう。
まぁ、別にだからと言って、俺とアイツが互いに何か言葉を交わしたりとか、仲良くなったりとかしたわけではない。
だから仲が悪いなどと周りから噂され、その関係を腫れもののように扱われているのだが。
「(………あ)」
そんな事を考えている今。
また、俺はヤツと目があった。
それと同時に俺は小さくアイツに向かって頭を下げた。
すると、向こうも同様に俺に向かって頭を下げる。
その俺達のさりげない動作に気付く者は、この教室には居ない。
いつからだろう。
俺はヤツと目が合うと、こんな風に微妙に会釈するようになっていた。
何故か。自分でもわからない。
……あ、いや。
わからないっつーか……うん。
……間が、もたないからだろう。
目があってジッと見つめ合う、その一瞬が、俺にはどうにも照れ臭くて仕方なかった。
でも、俺がアイツを見れば、アイツも俺を見る。
その逆も然り。
だから、目が合うのは止められない。
でも、その度に目を逸らすのってなんか感じが悪い。
だから、いつの間にか俺はアイツと目が合ったら軽く会釈するようになっていた。
軽い、照れ隠しのつもりだった。
しかし、いつからかアイツも会釈し返してくれるようになった。
ナニコレ、面白い。
アイツからの会釈をきっかけに、俺とアイツは目が合えば会釈するのが癖のようになってしまった。
授業中、会釈し合う俺達って、一体。
どうにもおかしくて、奇妙ではあるが、これを通して俺はやはり確信した。
アイツは、池田 一は悪い奴じゃないと。
きっと、良い奴だ。
じゃなきゃ、こんなに毎回頭下げたりしてこない。
最近じゃ、向こうから会釈してくる事も多い。
しかも軽い笑顔付きで。
しかも、その笑顔が。
どうにも俺が今まで見てきた、アイツが女子に見せる顔愛想笑いとは違っていたから少しだけ、気分がいい。
あれが、アイツのまた別の愛想笑いなのかもしれないが、俺は普段女子に見せてる笑顔よりこっちの方が好きだから……何と言ったらいいのか。
凄く、良いと思う。
だから、俺も自然と笑って会釈する。
こう言うの、いいなぁなんて思いながら。
でも、面白い事に、そんな俺とアイツは学校じゃ仲が悪いって事になってる。
一度も、会話をした事のない俺達が。
だけど、毎回目が合う度に会釈し合う俺達が。
他人からしてみれば、爆裂仲の悪い二人として有名になりつつある。
人間関係とは、それを構築する主体、当人達だけで築かれるものではないんだと、俺はぼんやり思うようになった。
周りの言葉とか、噂とか、見方とか、立場とか。
その時々によって、関係は一変するようにできている。
俺が栞と付き合っていたと言う過去の人間関係を持つ人間だったから、アイツと俺は犬猿の仲と呼ばれる仲になった。
まぁ、他に要因はイロイロあるのだろうが。
でも、ニコリと笑って会釈してくれるアイツの顔を見ると。
やっぱり人間関係の本質は、それを構成する当人達の中にあるんだなぁと思い知らされる。
アイツが転校してきてから、俺は今までつるんでこなかった男子と仲良くなり、今までチヤホヤしてくれていた女子の本性を知った。
おまけに、人間関係構築の不可解さも知った。
うん、知った事ばかりだ。
なんか俺も一つ大人になったなぁ。
なんて、俺がぼんやりとそんな事を思っている時。
「おい!坂本!ちょっといいか!」
突然、担任の俺を呼ぶ声が教室に響き渡った。
周りのクラスメイトはそれぞれ帰る支度をしている。
あぁ、なんか人間関係について考えてるうちに帰りのHRが終わっていたようだ。
なんか、すげぇ。
人間関係について考えていて時間が過ぎるのを忘れていたなんて。
俺、哲学者とか向いてんじゃねぇかな。
とか、ちょっと途方もない事を考えていると、もう一度、俺は担任から大声で呼ばれた。
あぁ、担任、体育教師だからなのか無駄に声がでかい。
うるさい。
「坂本!聞こえてんのか!?」
「はい、はーい。聞こえてます」
俺は慌てて担任の元へ走ると、背中にアイツの視線を感じた。
いや、さすがに今振り返って会釈とかはしませんよ。
そんな事したら、俺、ただのおかしい人だから。
「なんですか、先生」
「おー、お前に頼みたい事があってなぁ!」
うおお、うるさい。
何故、こんな至近距離でコイツはこんなに声を張り上げるんだ。
俺が担任相手に、少しばかり顔をしかめていると、担任はそんな俺の様子になど全く気にした風もなく手に持っていたプリントを俺に手渡してきた。
しかも、それと同時に、コイツは帰りの和やかな教室に爆弾を投下してきた。
「坂本!お前、確か上白垣と付き合ってたよな!?頼むけど、このプリントを上白垣に届けてもらえないか?進路希望調査なんだが、締め切りが近くてな!お前も、彼氏として具合とか気になるだろう!?お見舞いがてら届けてくれないか!?」
「…………」
………一気に静かになる教室。
背中に感じる大量の視線。
はい、これはアイツの視線だけじゃく、その他諸々クラス全員の視線です。
その数38。
俺の体内温度計によると、先程の担任の大声のせいで、クラス内の温度は氷点下にまで下がりました。
確かに、確かに俺と栞は高1の時から付き合ってますけどね。
あの、先生、俺らもう別れたんすよ。
などと言える筈もなく。
俺は生徒よりも情報網に若干の遅れがある、この目の前の担任を見上げると引き攣った顔で、進路調査書を受け取った。
その間も、担任は、クラスの氷点下にまで下がった気温にも、俺の引き攣った表情にも気付くことなく俺の肩をバンバン叩いている。
空気の読めない担任に俺が頭を抱えていると、突然教室の真ん中からガタリと大きな音が響いた。
その音に、必然的に俺は後ろを振り返る。
「(………あ)」
俺が内心小さく声を上げると、音の発信源と俺はまたもやバチリと目があった。
思わず小さく会釈するアイツ。
俺もつられて会釈する。
そう、音の発信源はアイツ、池田 一だったのだ。
クラス中の視線が俺とアイツに集まる。
そのせいで、あいつは一瞬慌てたような顔をすると、慌ててまた席についた。
「なんだー、池田。先生に用でもあるのかー?」
「あっ、いえ!あの、別に……」
どうやら、先程の会釈を自分に向けてなされたものだと勘違いしている担任に、アイツは慌てて首を振ると、チラリと俺を見てきた。
なんだか、その目が何かショックを受けたような、罪悪感に塗れたような、どうにも形容し難い顔をしていたから、俺はどうすべきなのかわからなかった。
一体、どうしたんだ。
今の一瞬で、一体何があったんだ。
俺がグルグルとそんな事を考えていると、担任はまた俺の肩をバンバン叩いて「頼んだぞ!」と教室を後にした。
それと同時に、ぎこちない空気の中、クラスの雰囲気は徐々にいつも通りになっていく。
アイツの周りには「一緒に帰ろう!」と寄って集る女子共。
そして、席に戻った俺には口ぐちにフォローを寄せてくる男子。
俺とアイツの会釈は、あの時の微妙な空気のお陰で誰も気付いていないようだった。
まぁ、ほんとに小さい会釈だからな。
気にしないとわからないかもしれない。
ただ、俺は気になって仕方がなかった。
アイツの、あの瞬間見せた、どうにもこうにも理解できないあの目が。
何か気に障る事でも、俺はしたのだろうか。
考えても考えてもわからない。
どうして、あの時アイツはあんな顔をした。
でも。
アイツはきっと良い奴だから……多分、俺が、悪いのかも、しれない。
そう、話した事もない相手に少しばかりの罪悪感を覚える俺の手には、少しだけ皺の寄った進路希望調査書。
はぁ。
とりあえず……なんか、
ごめん。
俺は手の中にある進路希望調査書を見下ろしながら、どこか遠くに感じるアイツからの視線に謝罪した。