130:望んだ続き

 

 

 俺がチラとウィズを見れば、その視線は「絶対言うな」と厳しい視線を送ってきている。どうやら、ウィズはヴァイスに酒場の事を知られたくないらしい。仕事仲間が来るのは、余り好ましくないという事だろうか。

 あぁ、まぁ。そうかもしれない。

 

「やっぱり言わない!」

「えーっ!途中まで言って言わないなんて、そんなの斬首されても仕方のない程の罪だよ!アウト!」

「斬首は厳し過ぎるね!?」

「もーもーもー!厳しい事ないさ!なにせ僕はこの気になる心をこの後の人生ずっと引きずる事になるんだよ!?しかも酒の事ときたらもう一生モノの気になる箱に入ってしまって、忘れるなんて事は絶対に叶わないね!恨むよ!アウト!」

 

 確かに、斬首は言い過ぎかもしれないが、この手の「気になる」は確かに長引く。俺の軽率な思いつきのせいで、なんとこの場の二人に、それぞれこんなに大変な思いをさせてしまう事になるとは。

 

「ごめん、ヴァイス。俺が軽率な事を言った。……えっと、お詫びをするから許して。そうだな、これから平日の、夜勤がない日は、絶対にヴァイスの所に行く。もちろん酒を持ってね」

「いいのかい!」

 

 俺の提案に先程まで頬を膨らませていたヴァイスの表情がパッと明るくなる。俺もウィズからよく言われるが、ヴァイスもヴァイスで本当に感情表現が豊かなヤツだと思う。

 

「もちろん。だから、さすがに仕事中に飲むのは止めた方がいい。怒られるよ」

「やったー!毎晩飲める楽しみがあるなら、僕だってしっかり理性を持った行動ができるよ!さすがは僕のお気に入」

ガツン!!

 

 僕のお気に入り。

 そう、いつもの如くヴァイスの俺への素直な賛美が送られようとした時だ。

 

 それまで視線だけ向けて自身の意思表示をしていたウィズが、勢いよくその手に持っていたキャフェのカップを勢いよくテーブルに叩きつけた。

 叩きつけた瞬間、カップの中身が勢いよくテーブルに飛び散り、その拍子にウィズの白いシャツの袖にも土色のシミを作った。これは、早く対処せねばシミが落ちなくなってしまう。

 

 だが、いやしかし、当のウィズはそんな事微塵も気にしている様子はない。

 

「おい、そこの飲んだくれ。俺は副業として酒場を営んでいる。もしお前が仕事中の酒を止めると約束するのであれば、お前にも酒を提供してやらんでもない」

「へ」

 

 ウィズの突然の変わり身に、俺はと言えば全くついて行けずに、ただ目を瞬かせるしかなかった。俺だって“ぎょうかん”を読んでウィズの気持ちを理解したいのは山々なのだが、今の流れのどこを読み取ればこの状況を理解できるのか、さっぱり分からない。

 

「ウィズ……君って石頭で他人なんかどうでも良いヤツなのかと思っていたんだけれどね。キミは思ったよりもとっても人間らしいじゃないか」

「……黙れ」

「そうだよ。最初に見た時も、キミとは思えない程の笑顔を浮かべていたから、僕は全然気づかなかったけれど、確かにそうか。……そうだろうね。確かに、本当に頭が固くて他人に興味のない人間は、きっと僕がどんなに芸術のなんたるかを説いても、きっと知の禁書庫の読本を解読する事は出来なかっただろう。芸術は理屈じゃない。心だからね」

 

 それまでとはまるで別人のような落ち着いた声。これは本当にヴァイスが喋っているのだろうか。

 

 そう思った瞬間、俺の首に添えられていたヴァイスの腕がスッと離れていく。とっさに俺は自席へと腰を下ろしたヴァイスに目を向けた。そこには口元に奇妙な笑みを浮かべ、ウィズに挑むような視線を送るヴァイスの姿。

 

 その姿に、この時俺はやっと理解した。ヴァイスは幼くなんかない。彼は長い時を、しっかり見据え歩んできて、“全て”を受け入れてきた。

 

そういう、人間だ。

 

「うるさい。余計な事はいい。さぁ、どうするんだ。俺の契約に対し誓うのか誓わないのか?」

「っはははは!もう!分かった!分かったよ!誓う誓う!僕はキミに誓おう、君の酒場で酒を貰う事を条件に、仕事中は飲まない。そして」

「いい。それ以上は言うな」

「いいのかい?言わなきゃ誓いにならないよ」

「黙れ」

「んもう。分かったよ。僕だって大人だかね。あんまり子供をからかうのはよす事にするよ。それに――」

 

 ヴァイスは手元にあったキャフェに一口だけ口を付けると、チラリとあらぬ方向に目をやった。

 

「アバブ!そろそろ“萌え”の補給は十分できたかい?」

「うわ!ヴァイス君!やっぱ気付いてたんすね!」

「ア、アバブ!?」

「昨日ぶりです、アウト先輩!」

 

 ヴァイスの視線の先に居たのは、なんと昨夜まで一晩中共に“ビィエル”について語り明かしたアバブだった。アバブは俺達の席から見えるか見えないかの位置に席を取っており、どうやらずっと此方の様子を伺っていたらしい。

 

「もちろん。キミが店に入った瞬間から、僕は気付いていたさ!どう?男同士のワチャワチャした感じ。僕とアウトの絡みもいつもより濃厚にしておいたよ!楽しんでくれた?」

「そりゃあもう!楽しませて頂きました!さすがはヴァイス君!感謝の極みです!あと、アウト先輩も、ウィズさんも!あなた方のような尊き方々のお陰で、私は日々生かされております」

 

 アバブはいつもの如く両手を合わせて俺達に対して祈りを捧げるようなポーズを取った。そんなアバブに、ウィズは明らかに怪訝そうな表情を浮かべている。まぁ、普段のアバブに慣れていなければ、一体何だと思うに違いない。

 

「さて、それじゃあ僕はそろそろ行こうかな。次の芸術活動が僕を呼んでるからね!」

「次の芸術活動って?」

「アウト?言っただろう。この芸術活動は仲間達も、その世界も全てが排他的なんだ。キミが此方の世界にふさわしいと思ったら、いつかキミも招待するよ。ちなみに、ウィズは合格してるから何度も誘ってはいるんだけど、ことごとく断られているね」

「別に俺は仕事のために知識を収集しただけで、お前と共にBLを楽しもうとは思っていない」

「つれないなぁ」

 

 そう、またしても口を突き出すヴァイスに、俺はどうやらまだ“合格”していない事を悟った。しかも排他的な芸術活動というのは“ビィエル”の事だったらしい。

 解せない。どうして興味のないウィズが合格して、こんなにも必死に学ぼうとしている俺が“不合格”なのだろう。

 

「アウト先輩。まぁ、こっちはちょっと難しい世界っすからね。私と一緒にちょっとずつ勉強していきましょう」

「……アバブ、俺はいつか合格できるかな?」

「あー、それは……アウト先輩次第っすよ。とりあえず、コレ。渡しておきますから、ちょっとは勉強しておいてくださいっ」

 

 そう言ってアバブから投げ渡された1冊の本を、俺は落とさぬようにと必死に受け止めた。見てみると、手元に落ちて来たその本には、しっかりと無地の書皮がかけられている為、一見して何の本か分からないようになっている。

 

 ただ、表紙を見ずとも俺は手元に本が収まった瞬間にハッキリと気付いた。気付いてしまった!

 

「う、うわー!アバブ!これ!これ!」

「2巻。遅くなってごめんなさい。出来てたのに意地悪してずっと隠してました」

「あ、あ、あ!あり!ありが!」

「恥ずかしいので、私の居ないところで呼んでくださいね!あと、バイさんにもよろしくお伝えください!」

 

 そう言うや否やクルリと俺に背を向けたアバブの耳は、遠くから見ても分かる程真っ赤に色付いていた。くせ毛故、髪の隙間から丸見えなのだ。