「ありがとう!アバブ!今度、バイとも話してやって!」
「……わかりましたよー」
少しだけテンポの遅れた返事だったが、嫌がりはしなかった。
アバブだって分かっているのだ。バイの見た目があんなでも、本当に心の底からアバブの本を“良い”と言ってくれていたという事くらい。
前世で仲間だった癖にアバブの趣味をバカにして、自尊心をめちゃくちゃにしたヤツらとは違う事くらい。アバブは最初から分かっていた筈なのだ。
「アバブー!ちょっと待ってよー!……じゃ!二人共!良い1日を!酒場の件はよろしくねー!石頭!」
「さっさと行け」
「じゃあね、ヴァイス」
風のように去っていくヴァイスに俺とウィズはそれぞれの言葉で「さよなら」を言う。二人で夜に語り合うヴァイスはそよ風のようだったが、ウィズと居る時のヴァイスは疾風のようだ。巻き上がり、周囲を巻き込みながら勢いよく進んでいく。
そして、去った後はとても静かだ。
「くぅぅぅぅ」
俺はアバブから渡されたビッチウケの本の続きを額にくっつけると、たまらず出てくる歓声を最大限押し殺した。押し殺しても漏れる声は、もう許して欲しい。だって、とても、とても嬉しくて仕方がないのだから。
「はぁっ。まったく……お前は本当に俺の知らぬ所で、とんでもないヤツとも交流を持って」
「……とんでもない奴って、ヴァイスの事?」
「そうだ。これだからアウト。お前は目が離せないんだ」
「じゃあ、目を離さず見ててよ」
俺は手元にある本を開くか開かないか必死で悩み、そして開くのを止めた。いけない。こんな道中で流し読みのような事をしたら、読める“ぎょうかん”も読めなくなるし、なによりアバブに失礼だ。
これは家に帰ってじっくりしっかり一人で読むのが正解だ。絶対にそう。
「っはぁ!自分の言葉に責任を取れよ。アウト」
「……ん?なに?」
「口語承諾も誓約と同義だ。嫌だといっても俺はもう誓約を自身にかけたからな」
「わからんけど、わかった」
あぁ、ウィズの言う事は何でこうも難しいのだろう。俺は鞄の中にアバブから貰った教本を仕舞うと、真剣な目でこちらを見てくるウィズの視線を受け止めた。
その瞬間、ウィズの眉間には深い皺が刻まれる。
「アウト……お前は本当にもっとしっかりしろ。俺に対しても誰に対しても、もっと警戒心を持つんだ。安易に“わかった”とか“うん”とか言うんじゃない」
「なんで俺がウィズに対して警戒心を持つ必要があるんだ?別に俺、ウィズになら何されてもいいよ」
「あぁぁ!もう!そういうところだ!いい加減にしろ!」
「もう!なんだよ!今日のウィズ、変だぞ!なんなんだよ!?俺、ウィズの言ってる事、全然分からなないんだけど!」
ウィズの苛立ったような声に、俺も反射的に苛立ったような声を上げてしまう。チラと見えたウィズの袖口についたキャフェのシミは、もう完全に取れないだろうな、という程濃い土色をこびりつかせていた。
その部分以外、汚れなど何一つ無い真っ白なシャツのせいで、その汚れはとても目立って見える。
「なぁ。アウト、お願いだ。お前がこんなんじゃ……」
「ウィズ?」
「俺はお前の思ってるような“ウィズ”じゃない。アウト、お前はもっと俺が汚い、悪いヤツだと思って接した方が良い」
「…………」
そう、どこか苦し気な表情で、ウィズはその手で目元を隠すように覆った。そのせいで、袖口の汚れが俺へとハッキリと向けられる形になる。
「なぁ、ウィズ?何が不安なのか、俺には分からないけど。本当の事言っていいか?」
「……っ!」
ウィズの口元から小さく息の漏れる音がする。ウィズがこんな反応を見せるのは、いつも“イン”絡みの時だけだ。あぁ、もしかして俺はまたウィズを傷付けてしまっているのだろうか。
自分の事ながら、許せないと思ってしまう。ウィズの幸福を害する、この“アウト”という存在が。
「俺はウィズがどんなヤツだとしても、すっと一緒に居るよ」
「……アウト」
「ウィズが本当に幸福になるまでは、ずっと」
——-本当に、幸福に、なるまで。
ウィズが俺の言葉を復唱するように呟いた。そして、呟きながら浮かべたその表情の示す意味に、俺は気付かないフリをする。
そう、幸福になるまでは一緒に居る。そして、ウィズの幸福は全て“イン”が運んでくるのだ。
だから、ウィズが“イン”に出会うまでは、ずっと一緒。ずっと傍で、ウィズの幸福を願い続ける。
“ぎょうかん”の読めない俺だけど、歪んだウィズの表情の示すところを俺はハッキリと受け取った。
でも、答えない。俺は、答えない。自分でも分からないから。
「さて、そろそろ時間だな。俺達も行こうぜ」
「……そう、だな」
こうして俺達は疾風の去った後の、静かな場所を静かに後にした。