143:白昼堂々

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 俺はインの手を引いて、いつもの二人の秘密基地に来ていた。

あの大木の根に空いた大きな穴。あの子供の頃は広く感じていたあの場所も、成長した今では少しの手狭さを感じるようになった。

 

けれど、俺にとってはその手狭さがちょうど良い。

 

 近くに川が流れていて、まだ残暑の続く現在。そのせせらぎも、とても心地よい。

それに、あの川は本当に色々と役に立つのだ。おあつらえ向き、というヤツだろうか。

 きっと川から言わせれば、そんな事の為に流れている訳ではない、と言いたいだろうけれど。

 

『ふう』

『まだまだ暑いねぇ』

『だね』

 

 暑い暑いと言いながら、俺達二人は肩が触れ合う程互いを近くに置いている。森の道中と違ってこの穴の中は少しだけひんやりしていて、まだマシだ。冬は暖かいのに、夏は涼しいなんて、一体どういう仕組みになっているのだろう。

 

 俺とインは互いに服の胸元に風が入るようにと、手をハタつかせる。けれど、余り変わらないような気がする。もうすぐ秋な筈なのに、いつになったら涼しくなるのだろうか。

 

 いや、俺としてはまだまだ暑くてかまわない。夏の間なら、インの体調を気にせず川に入る事が出来る。

 

『オブ、おかえり』

『ただいま、イン』

 

 改めてインから「おかえり」と言って貰えた。帰ってきて色々と面倒な場面に遭遇してもらったが、インからこう言って貰えると、俺はやっと帰ってこれたという気がしてホッとする。

 

やっぱり、俺にとっては此処が、インの隣がこそが俺の帰る所だ。

 

『今回の首都はどうだった?楽しかった?』

『毎回言うけど、全然楽しくないから。行きたくて行ってる訳じゃないからね、俺は』

 

 この、毎度帰る度に向けられるインからの質問に、俺はいつも頭を抱えたくなるのだった。

いつもそう。インは何にも分かっていないような顔で、俺が首都から帰ってくる度に、こんな訳の分からない事を言ってくるのだから堪らない。

 

きっとインは俺があっちへ行くのを楽しんでると思ってるのかもしれない。あり得ない。

本当にそういう勘違いは勘弁して欲しい。

 

『そうなの?』

『そうなの!いつも言ってるだろ?』

 

 だからこそ、俺の帰りが少し遅くなると「もう帰ってこないんじゃ」なんて、的外れな心配をしなきゃいけなくなるのだ。俺がどれ程インから離れ難い気持ちを押し殺して、実家の面倒なアレコレをこなしているかなんて、きっとインにはどれ程説明したって伝わらないに違いない。

 

 一度、言葉を尽くして説明してみた事もあったけど、インには伝えたい事の半分も伝わった気がしない。まぁ、確かに貴族間のどうでも良い事情なんて、インにはまるきり関係のない事だ。

 

『でも、最近、よくオブは此処から離れて首都にばっかり行くじゃん』

『……あぁ。まぁ、確かにね』

『分かってるよ。オブは遊びに行ってる訳じゃないって。でも、こんなにずっとオブが居ないなんて……俺、オブが居ないと寂しいよ』

『イン』

 

 そう、口に不満をいっぱいに抱え吐き出すインに、俺はすぐそばにあるインの手に自身の手を重ねた。余り大きさの変わらなかった筈の互いの手が、今や俺の手がインの手をすっぽりと覆い尽くせる程に成長した。

 

 あぁ、良かった。子供の頃好き嫌いせず食事を摂ったし、必死で森を駆けまわったし、必死で木の上を目指して手を伸ばした。

 もう俺はあの頃の“僕”じゃない。

 

 フロムには敵わないけれど、それでも俺も随分成長したのだ。強くなったのだ。大人になったのだ。あの頃に比べたら、俺は今、なんだって出来る。

 

『イン』

 

 俺は重ねた掌と同様に、インを自身の体へと引き寄せて抱きしめた。言って伝わらないなら、態度で示すしかない。行動で示すしかない。

きっと言葉よりも伝わるから。

 

 嘘。俺がこうしたいだけ。心の中で、そんな大義名分、意味がない。

 

『イン、イン』

 

あぁ、やっと帰って来た。俺が、じゃない。インが、だ。俺の、僕の、幸福が本当の意味で腕の中に在る。

何度も何度もインの名前を呼ぶ。もう、完全に声変わりの終わった低い声で。

 

『オブ』

 

 小さく腕の中で呟かれる俺の名前に、俺は心の赴くままインの唇に口づけをした。あぁ、堪らない。さっきまで何も分かってません、みたいな顔で皆の前に立っていたインが、俺の前ではこうも艶やかになる。

 

『イン、イン』

 

 いつからだろう。なぁ、いつからこうなった。

 幼い頃、自分の中にあるどうしようもない衝動に、俺は常に怯えていた。このままではインに酷い事をしてしまう、と。

 

 結果はどうだ。

あぁ、俺は、僕は、インに酷い事をしている。こんな森の奥の、誰も見ていない場所で。外で、決して清潔とは言えない場所で。

 

 事の始まりは、1年程前だっただろうか。

インと俺は目撃したのだ。

 

 フロムとニアの口づけを。

 

 まだまだ子供だと思っていた周囲が変わっていくのを、俺は微かにだが、日々、確かに感じていた。だって俺自身がまさにそうだったのだから。けれど、インにとってはそうではなかった。

 

——オブ。なに、あれ。

——イン

——あれは、本当に、フロムと、ニアなの?

 

 インは親友と妹の、確かな男女の睦み合いの一端にどうやら大きな衝撃を受けてしまったらしい。その時、インがどう思ったのかなど、想像に難くない。けれど、その時の俺の思考はきっと、絶対にインには分かる筈もないだろう。

 

 俺は思った。二人の口づけを見た時に。

 もう、無理だと。もう、限界だと。

 

 その辺りからだった。

 俺が首都に行く事が増え、町から離れる事も増えていたのは。それはすなわち、インと共に過ごす時間も減っていたという事で。

 

 限界だった俺の心を、最後にあの二人の口づけが全て壊した。

 いや、違う。壊したのは、あの二人なんかではない。

 

 男女の睦み合いの一端に触れ、性を前にしたインのその顔に、あっけなく壊された。俺は最早、理性を保つ意味を見失ったのだ。

 

『あぁ、イン。イン、イン』

 

 そこからはもう、崖を一気に落ちていくように一瞬だった。

全部、全部俺が悪い。インは悪くない。でも、もう止められない。もう全てが快楽で、全てがインで、もう暑くて、熱くて、僕の頭はとうに可笑しくなっていたのだから。

 

 僕が悪いんだ。全部、僕が悪い。

 けれど、必死なさなか、僕が少しの理性で眼下のインを見つめると、そこには同じように、熱さと、暑さ、そして快楽と享楽に塗れて、僕しか見ていないインが居た。

 

『オブ、オブ』

『インッ』

 

 堪らない、あぁ、堪らない。

 僕が、俺が悪くていいから。汚いのは全部俺でいいから。

 

 

お願いだ、イン。ずっと、こうしていさせて。