144:呪われた二人

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 俺が心から待ち望んだ終業のチャイムを耳にし、アバブに手を振り職場から出た後。そこには、予想外というか、よく考えれば予想しうる人物が立っていた。

 

「トウ」

「アウト、ちょっといいか」

 

 そこには騎士の制服ではない、ゆったりとした普段着に身を包んだトウが、どこか切羽詰まったような表情で立っていた。俺がトウと会うのは“あの日”以来だ。

 バイが俺を“お兄ちゃん”と呼び、錯乱し暴れたあの日以来。

 

「アウト、お前の所に……居るんだよな?ニ、バイは」

 

 そう、どこか必死に尋ねてくるトウの言葉に、俺は瞬間的に理解した。バイの言っていた「今日は非番だし」というのが、全くの嘘っぱちだったという事に。

 あぁ、もう!アイツは仕事までサボって一体何をやっているんだ!

 

「ああ、居るよ。居る。昨日の夜から、俺の家の前で、なんかずっと待ってたみたいで」

「やっぱりか……良かった。本当に、良かった」

 

 体も大きく、いつもどこか落ち着いた表情を浮かべていたトウ。

そんな男がここまで狼狽する姿など、短い付き合いながら、俺は初めて見る。

トウはフロムだ。だとすれば、トウとバイは遠い遠い昔、恋仲だったという事になる。

 

 俺の作った“おはなし”によれば、だが。

 

 あの日は、ともかくバイが暴れて話どころの騒ぎではなかった。けれど、そろそろ俺は聞くべきなのかもしれない。あの3人の、いや、インを含む4人の前世の話について。

 

 他人事を気取るには、俺は3人に深く踏み込み過ぎた。

 

「トウ。多分、あの調子じゃバイはまた今日も俺の家に泊まりそうだよ」

「いい……いや、いいと俺が言うのはおかしいな。けど、いい。お前の所に居ると分かれば、ともかく安心できる」

「仕事はいいのか?」

「良くは、ないな……無断外泊が余りに続くのも良くない。けれど、ニ、いや、バイが無事なら、もうそんな事どうだっていいんだ。……俺は隊長失格だな」

 

 自嘲気味に放たれたトウの言葉は、前世など知らない俺から見ても、トウという男がどれ程バイを大事に思っているのか分かるものだった。こんなものは“ぎょうかん”を読むまでもない。ハッキリとトウの顔に書いてある。

 

トウは今も昔も愛している。ニアを、そしてバイを。

 

「バイに早く帰って来いって言われてるんだけどさ、残業だった事にする。ちょっと歩かないか」

「ああ、歩こう。アウト」

——イン。

 

 アウトと言われているのに、俺にはハッキリとトウが俺を“イン”と呼ぶのを聞いた気がした。トウもずっとそうだ。表面上、物分かりが良い振りをしているだけで、ずっと俺の事を、バイ同様、心の中では“イン”と呼んでいたのだ。

 

 まったく、強情なペアである。

 

「トウ、お前はずっとバイがニアだと気付いていたのか」

「……ああ」

「どうして?」

 

 俺のその愚かな問いに、トウは一気に顔を歪めて答えた。

 

「俺が、ニアを分からないわけ、ないだろっ」

「…………そっか」

 

 そっか、と。俺は短く答える事しか出来ない。

一目見て、姿形の変わり果てた相手を一瞬で自分の“特別”だと分かるというのは、トウにとっては“当たり前”の事らしい。俺には全然、まったく、一つも分からない。

 

 その、ともすれば尊く一途な想いは、俺からすれば、最早呪いであり、縛りのように思える。恐ろしいとすら思う。

 

「そっか、当たり前か」

 

今思えば、トウが最初からバイをニアだと気付いていたと、思い当たる節がいくつかある。

 

——俺の事も、オブの事も覚えていないか。

——あぁ、まったく

——妹のニアの事も?

——あぁ、俺の兄弟は今も昔もアボードだけだよ

 

 最初にオブと会って欲しいと言われた時。

あの時、トウはニアの事も当たり前のように尋ねてきた。あの時既に、トウの元にはニアが、いや“バイ”が居たのだ。

そう言えば、あの辺りだった。北部の兵が入れ替わりで皇国に戻って来ていると、アボードが言っていたのは。

 

 それに、トウのバイに対する全ての挙動にはずっと“優しさ”しかなかった。俺はずっと不思議だったのだ。最近、自隊に受け入れたばかりの部下を、あぁも全ての優しさで包む事など、出来るものなのかと。

 やっと、合点がいった気がする。

 

「じゃあ、なんで今まで黙ってた?」

「そ、それは……」

「バイが、いや、ニアが男だったからか?」

「ちがうっ!そうじゃない!そうじゃないんだ!俺はニアが女でも男でもどっちでも関係ない!俺はアイツを愛してるんだ!今も、昔も!これからも!ずっとだ!」

 

 そう、目頭を抑えつけ何かを堪えるように詰まった言葉を吐き出すトウに、俺は「あいしてる」と、噛み締めるように復唱してみた。それは実に真っ直ぐなトウらしい言葉だと、何故か俺はこの時心底納得してしまった。

 

「なぁ、トウ。それなら、どうしてだ?」

「…………」

 

 それなら俺は尚の事理解できない。こうもハッキリとニアへの愛を謳えるトウが、何故今までこうも近くに居ながら、それを打ち明けてこなかったのか。

 

「トウ、何故だ?なんで自分がフロムだと打ち明けてこなかった?」

「そ、それは……」

「俺には言えない事か?」

「ちがっ、」

 

 此方を見てハッキリとその目に“怯え”を湛え始めたトウに、俺は逸らす事なく視線を向け続ける。そんな俺の視線にトウも怯えながら、けれど一度たりとも視線を逸らしたりはしなかった。

否、逸らせないのかもしれない。

 

「それとも、」

 

こんなに大きな男が、どうしてこんな何の力も無い俺のような相手に怯える必要があるのだろう。

 なぁ。トウ。お前が怯えているのは、もしかして。

 

「“イン”に、言えないような事か?」

「っ!」

 

 俺の口から出てきた“イン”という言葉に、トウの呼吸が一瞬ピタリと止まった。その反応に、俺は「やっぱりそうか」と小さく独り言ちた。トウは俺の事を最初から『俺は、まだ、キミをインじゃないかと思っている』とハッキリ言っていた。

 

 トウにとって、俺は一度だって“アウト”だった事がないのだ。俺はトウの前では、幼馴染であり、愛する女性の、兄だった。

 

「トウ、もう今だけでいい。俺をインだと思うな。その後は、好きに俺の事を思ってくれて構わないから。だから、トウ。俺に対して怯えるな。俺は、アウトだ。俺の弟はこの世でアボードだけ。妹なんかいない。だから、いいんだ。俺に対して、何を後ろめたく思う必要もない」

「あ、アウト……」

「だから、トウ」

 

——-教えてくれ。お前達は一体、インが死んだ後、

 

「何があった?」

「……………」

 

 俺の問いに、夜の冷たい風が一陣、強く吹き抜けていった。