「知らない癖に!知らない癖に!お腹で子供が動く時のくすぐったくて、違和感があって、ちょっと苦しくて、けど嬉しくて、しあわせで!全然知らないだろ!?先の見えない悪阻の苦しみも!ずっとずっと苦しくてなんにもできなくて!嫌になることも!一度しか抱きしめてあげる事の出来なかった親の苦しみも!辛さも!空しさも!二度と愛する人の子供を産めないと言われた女の絶望も!やるせなさも!何も知らない癖に!!何も何も何も!!お前は何も分かってない癖に!!!あの子に会いたい!あの子はどこ!?なんで男なの!?もう産めない!俺じゃもう産めない!会いたい!会いたいよう……!なんでぇ、まだ何もしてあげてないのにぃ」
半狂乱とでも言うのだろうか。
もう俺を叩く手にも力は無くて、俺の胸倉を掴む腕なんて、最早添えられているだけ。ただ、壊れた人形のように俺の頬に触れてくるバイの大きな手を、俺はやっと、俺自身の手で止める事ができた。
ぱしん。
痛かっただろう。俺なんて叩いて。バイ、お前の手がずっと痛かっただろう。
俺は酔ってるから、全然分からない。あぁ、痛くないさ。
「じゃあ、お前は俺の事を知ってるか?」
「……なにをっ」
俺はふらつく頭で必死に過去を辿る。
バイの手を止めていると見せかけて、本当はバイの手を掴んで必死い立っているに過ぎない。
辿れ、辿れ。暗闇の中でも洞窟でもない。そこは俺の記憶の中。
実際在った出来事。
「俺は10歳まで、名前が無かった」
「…………え」
——–お母さんね。あなたの本当の名前は、あなたの口から聞きたいわ。
それは、お母さんの口癖だった。俺を見る度に、俺ではない、何か遠くを見ながらそう言った。10歳まで、俺は自分の名前が嘘の名前だと、本当に思っていた。
「お母さん、前世で産んだ子に会いたいって。10歳で死んじゃったあの子は、また私が産むのって。でも俺、前世の記憶がないから、逆にお母さんを期待させた。10年も期待させて過ごした。その中で、治療だっていって何回も教会につれてかれて、」
記憶がないのは病気だろうって。子供はだいたい10歳くらいまではマナが不安定なのは仕方がない。10歳になったら安定させる為の治療をするから来なさいって。
教会の神官は言った。
俺が10歳になって、お母さんは「やっとね」と言って、俺に手を引いて教会に連れて行った。お母さん、嬉しそうだったな。
——–さぁ、今日はやっとあなたが私の息子になる日ね。行きましょう。
そう言って教会に行く時は手を引いて歩いてくれた。
そして、俺は
「教会で神官に犯された」
「…………」
何人の神官が居たか分からない。その辺りはよく覚えていない。
ただ、罰だと言われた。前世の罪を償う罰だと。周囲を混乱と悲しみを招く巨悪だとも言われたかな。
あの頃は言葉が難し過ぎてよく理解できなかった。
ただ気持ち悪かった事だけは覚えている。ボロボロだった。
あの時の俺は、何をされたかなんて、きっと大人の目には一目瞭然だったと思う。けれど、俺自身は何が起こったのか、自分が何をされたのかも分からなかった。
だから全てが終わった後、お母さんに駆け寄った。よくわからないけど、ともかく助けて欲しかった。
そんなお母さんは、駆け寄った俺を抱き締めてはくれなかった。ただ、一言問いかけられた。
——–あなた、名前は?
名前は?って。何を言ってるんだろうと思った。
なんで俺が酷い事をされたのに、他に何も言ってくれないんだろうって。
あぁ、最初に名前は無かったって言っただろ?
あれ、ちょっと語弊があったよな。いや、一応、名前はあったさ。この“アウト”って名前は、お母さんに耐えかねたお父さんが付けてくれた名前だったから。
名前が無いと不便だし。不思議だよな。無くても死ぬわけでもないのに。
名前が無いと、なんか、こう……死んでるみたいなんだよ。だから、俺は、自分は本当は“アウト”じゃないと思って生きて来た。
それは、お母さんにとってもそう。
お母さんにとって、俺はあの瞬間まで前世の息子であって欲しいという“願望の塊”で、何者でもなかった。
あなた、あなた、あなた、あなた。
あぁ、そういえば、俺は一度もお母さんに名前を呼んでもらった事はなかったな。
名前が無いと言うより、何者でもなかったんだよ。俺は。
でも、俺、バカだからさ。普通に答えちゃったよ。だって、それ以外知らねぇんだもん。
——-あうと。