「そしたら、もうそこからは、見事なもんだよ。もう、お母さんは全く俺を見なくなった」
「……アウト」
「なぁ、バイ。俺はお前の事は何も知らない。だって、俺達まだ出会ったばっかりだろ?分からない事ばっかりだ。きっとトウだって、本当のお前の気持ちなんて、分かってなかったよ。言わなきゃわからないし、言っても、もしかしたら分からないかもしれない」
俺よりも高い目線にある男の顔を、俺は見つめる。
寄る辺ない女の子のようでもあり、愛する人に家族を作ってあげたいという一人の女性のようであり、大事な子を慈しむ母のようでもある、その顔を。
「だから、お前が分からない事で、俺の知ってる事を言うよ。俺はさっきの、あんな教会の腐ったような人間達について話したかったわけじゃない。ましてや、同情して欲しいわけでもない。ただ、知って欲しいんだ」
「なに」
徐々に思考の限界が来ている事が分かった。
酒飲み殺し。例に漏れず、俺も随分耐えてはきたが、今、半分くらいは殺されかかっている。でも、あと少し、あと少しでいいから。
「俺は、親になった事はない、から分からない。親の気持ちも、まして、俺は男だ。お母さんの気持ちは、全然わからん。きっと、お前のほうが、よく分かるんだろうな」
「…………」
熱い、体が焼けるように熱い。呼吸がしにくい。
なんだ、これ。今まで酒を飲んできて、こんなの初めてだ。
「ただ、分かる事がある。親に、お前じゃないと手を、離される絶望とか。抱きしめて欲しいと、思っても、差し伸べられない手を、探し求める、虚しさとか。おまえ“あの子”に会いたいって言ったよな?ごめんな、また酷いこと、言う」
「アウト、おい」
思わずふらついて先程まで喧嘩みたいな事をしていた相手に、寄りかからないと立っていられなくなってきた。バイは良い奴だ。あんなに酷い事を言った俺の手を離さず、支えてくれる。
あぁ、本当にいい奴だ。
誰だよ、こんな良いヤツを泣かせたヤツ。俺が怒ってやる。
「俺の、子供を、産んでって、女の子に言うお前の所に、もしかして、いつか赤ちゃんが、来るかも、しれない。けど、諦めろ。それはもう、“あの子”じゃない」
「……う、ん」
「忘れろとは、言わない。けれど、もう、あきらめろ。お前の、親の、エゴに子供を、命を、巻き込んじゃ、いけない」
「…………う、ん」
頷くのが辛いだろう。
親の気持ちなんて欠片も分からない俺ですら、分かる。辛いだろう。悲しいだろう。今度こそ会えた、トウの子供を産みたかっただろう。自分の産んだ子を抱き締めたかっただろう。
あぁ、なんだよ。前世って。
前世なんてあるから、こんなに悲しい想いを、この子はしなきゃならなかった。忘れさせてあげれば良かったじゃないか。
そしたら、バイは何も知らない顔で、何も苦しまずに笑っていられたかもしれないのに。
「バイ、お前、さっき言ったよな。一度しか抱きしめて、あげられなかった、って。俺は、その一度をどれだけ、切望したか、しれない。俺はお母さんの子、だったのに。なのに、一度もお母さんから、自分の子とは思って貰えなかった。教会の帰り、伸ばした手すら、握って、貰えなかった。俺は手を握ってくれる、だけで、良かった、のに」
——-なぁ、バイ。バイ。聞いてるか?
俺はもうどのくらい酒飲み殺しから殺されただろう。あとどれくらいで完全に殺されてしまうだろう。いつの間にか、俺の背に回されていたバイの手が、俺の背を優しく撫でている。あぁ、この手のお陰で、俺はギリギリ生きてられてる。
「聞いてるよ、アウト」
「親は、きっと、たくさん子供にして、あげたい事っていうのが、あるんだろう、な。でも、これだけは、分かって欲しい。親が、子供にしてあげたいと、望む事の、中で、子供が、親に、望む事なんて、ほんの、僅かだ。手を握って欲しい、とか。抱きしめて、欲しいとか。それだけで、充分なんだよ。なぁ、バイ」
——–お前はちゃんと“あの子”の望む事を、してあげられたよ。
「 」
「ねぇ、バイ」
声にならない泣き声が聞こえる。
俺を支えてくれていたバイの体ごと、床に崩れ落ちていく感覚が走る。もう目が開けられない。
バイはきっと、また大粒の涙を流しているんだろう。あの、泣き顔が俺の脳裏に過る。声なき声が震えとなって伝わってくる。
震える体。熱い俺の体とは裏腹に、その体は心地よい温もりで満ちていた。
きっと、お母さんのお腹の中はこんな感じなのだろう。
「俺は“イン”じゃない。俺の弟はアボード、だけ。だから、お前のお兄ちゃんにはなれない。だけど」
「 」
「俺は、バイの“ともだち”になれる。お兄ちゃんとじゃ、できなかった事も、おれとなら、やれる。妹じゃないから、ほんきで喧嘩できる。容赦しないさ。あと、いっしょに、対等に、たくさん、あそべる。男同士、だからな。あぁ、あと。これが一番」
——–お兄ちゃんじゃないから、今度は、バイが、辛い時、いっしょにいてやれる。
「…………っ!」
「ばい、おれ、おまえのこと、すきだよ」
そこから、俺は最早言葉を発する事は出来なかった。ぼんやりとした感覚だけの記憶によると、多分バイは俺を痛い程抱きしめて、泣き喚ていていた
と、思う。もう次の瞬間には俺の意識はゼツラン酒にばっちりと殺されてしまい、何もかもが終わっていたのだ。