155:地獄と天国

       〇

 

 

 

 ここは、地獄か。

 

 

「う゛え゛っぇえええ!!」

 

 苦しい気持ち悪い。

 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。

 

 なんだこれは、こんなのはもう生きているとは言えない!けれど、死んでいるとも言えない!地獄だ!ここは地獄なんだ!

 

「ヴウエェッ!げぼっ!っは、っはっは、あっ、あっ、ううえええ!!」

 

 俺は何度も目覚めては朦朧とする意識の中を彷徨い、合間合間に襲ってくる激しい吐き気に、今居る場所の事もよく分からないまま吐き散らかした。

 微かに入ってくる情報の中に、多分ウィズのようなヤツと、アボードのようなヤツ。他にも多分バイとかトウとか、色々いたような気もするし、けれど、最早もうそんな事はどうでも良かった。

 

「っげぅ、っげぅ。うえええ、うええ」

 

 体中が熱くて、体の中はずっと激しい船酔いのように揺れており、頭は何か鈍器で永遠に殴られているような痛みが走っている。

 吐き気の波が激し過ぎて、正直呼吸もままならない。

 苦し過ぎて視界は殆ど真っ暗な癖に、ピカピカとした光が目の奥で光っているような感覚に襲われる。

 

「っぇぇぇ、じぬぅぅじぬぅ」

 

 俺は目を開けているのか、閉じているのかも分からない世界を、時間の感覚などまるでないまま彷徨い続けていた。途中誰かの手のような、腕のような、何か温もりのようなものを必死で掴んでいた事だけはハッキリ覚えている。

 

 この手を離せば、きっと俺はもっと酷い事になるような気がして、最早縋るような勢いで掴みまくっていた。

 

 この手だけは絶対に離さない。離せない。

 そして、そんな俺の意思に呼応するように、その手は俺の手を掴み、体をしっかりと支えてくれていた。

 

「う゛ぇぇっ」

 

 

 あぁ、このまま船に乗って大航海だって?

 冗談キツイよ、ほんと。俺は、今、既に地獄に片足を突っ込んでしまっているというのに。

 

 

 

————

——–

—–

 

 

 ここは、天国か。

 

「インっ、インっ、インっ」

 

 インの手が俺の腕を掴む。

 それはもう、がっしりと縋るように、求めるように。

 

「っ」

 

 熱い、熱い、熱い。

 気持ち良い。苦しい。

 

 けれど、その体の芯から痺れるような気持ち良さと同居した苦しさは、最早快楽が強すぎて、とっさに頭の中に“死”を意識する程だった。

 おかしいだろう。

 こんな“生”丸出しの“生”の塊のような行為に没頭しておいて、逆に浮かんでくるのは“死”だ。

 きっと、快楽のせいで呼吸もままならないからだろう。俺は、インの中で殺されかかっている。

 

「イン……!」

 

 俺の頭の中は完全に壊れていた。

 いつも頭が良いとか、賢いとか、インには余裕の顔ばかりを見せていたのに、もうそんな俺、どこからも居なくなってしまった。

 

 せっかく頑張って格好つけてきたのに。

 そう思わなくもないけれど、こんな熱に冒されてスンとした表情で居られる人間なんて、きっとこの世にはいない。

 

 だって、ここは本当に天国みたいなんだ。天国がどんな所かは知らないけれど、俺が天国を定義してよいなら、間違いなくココを選ぶ。

 

「っは」

 

 汗でしっとりと吸い付くような肌が互いに触れ合う感触は、何度経験しても不愉快な感覚である筈なのに、俺の意識を朦朧とさせるくらい気持ちを高ぶらせる。けれど、合間合間に襲ってくる激しい快楽の波が、俺から意識を手放す事など許さない。

 

 此処がどこかも分からない。

 今がどのくらいの時間なのかも分からない。

 まるで、周りのそういった情報が一切切り離された空間にでも居るようだ。

 

 実際そうだったらいいのに。

 

「いん、いん、いん」

 

 気持ち過ぎて、視界は殆ど真っ暗なのにも関わらず、ピカピカと光が弾けているような感覚でもある。

俺は目を開けているのか、閉じているのかも分からない世界を、時間の感覚を失くし、ただ自身の中にある本能のままに彷徨い続けていた。

 

「っ」

 

 途中、またしてもインの手が、必死で縋るように腕を掴んできた。

 その手は本当に、心の底から俺を求めて離すまいという意思がはっきりと垣間見えるような掴み方で、その手の力強さと、熱さに、俺の勢いは更に増していった。

 

「おぶ。おぶ。おぶ」

 

 それまで、どこか遠くに感じていたインの声がゆっくりと俺の頭に定着するように染みわたっていく。俺同様、うわ言のように放たれる俺の名に、俺は答えるようにインの体を抱き締めた。

 

 ここは地獄か天国か。

 

 どちらにしても、きっと、全てが終わったらインはきっと水浴びをしながら不満そうに言うのだろう。

 

 

——-もう。待ってって言ったのに。

 

 

 あぁ、“あんな”顔したインを前に待ってだって?

 冗談キツイよ、ほんと。俺はいつだって我慢してるのに。

 

 俺はインの中で、熱く蕩けるような感覚に身を任せながら、先程のインの表情を思い出した。

 

 思い出した瞬間、俺は勢いよく弾けたのだった。