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覚醒した。
明るい光が瞼の上から無理やり、俺の目の中に潜りこんでくる。
目を開けると、そこは見慣れぬベッドの上だった。先程の明るい光は、どうやら窓掛の隙間から漏れた外光だったようだ。
今は一体どのくらいの時間なのだろう。
「…………」
ここはどこだと、とっさに起き上がろうとした。
しかし、その瞬間、脳天を突くように襲ってきた激しい痛みに、俺は体を起こす事が出来なかった。
しかも、頭痛だけに飽き足らず、俺の体の中は何かに激しく振り回されたように、漫然とした気持ち悪さが常に横たわっている。
むかむかする。
一体、俺は、何がどうなったと言うんだ。
「ぁ」
体は起こせないが、チラと横を見れば俺の眠るベッドに上半身を乗せ、スヤスヤと眠る真っ赤な髪の毛が見えた。
「ばい゛」
俺は思わず声に出して赤髪の名を呼ぶが、その声すら喉がヒリヒリと傷を負ったように痛みに襲われ、掠れた音しか放てない。もちろん、よく眠っている様子のバイは、この掠れ声で目を覚ます事はなかった。
ちょっと喉の奥がすっぱい気がするのは、気のせいだろうか。
「あ゛あ゛あ゛」
あぁ、なんて酷い声だろう。
もう、これは声というより振動だ。
そんな、自分の声の具合を確認する俺の耳に、部屋の外からよく知る声が聞こえてきた。
———悪かった、ウチのクソガキが。いや本当に悪かった。
———ウィズ。アウトが目を覚ましても、あんまり、な?
———いや、今度本気でアイツには詫びを入れさせる。だから、本当に勘弁してやってくれ。頼む。
どうやら、この建物にはアボードとトウ、そしてウィズも居るようだ。というか、この部屋、ひいてはこの建物は一体何なんなのだろうか。
そして、外から聞こえてくる声は、じょじょにハッキリと俺の耳に届けられる。どうやら、少しずつ此方へ近づいて来ているようだ。
——–ウィズ。顔、顔。ずっと凄い顔だぞ。笑ったらどうだ?な?まずそこからだ。
——–おい!トウ!マスターが一切喋らないんだが!?これは一体どういう状態だ?!
——–俺にも分からん。こんなウィズは昔を含め、初めて見る。これは、本当にヤバイかもしれないな。
何かあったのだろうか。
俺はもう一度、体を起こそうと試みるが、その努力はやはりピシリと脳内に走る痛みと、揺れるような気持ち悪さにより断念せざるを得なかった。
自分の体なのに自由にならないと言うのは、なかなかにもどかしいものがある。
——–ちょ、ちょっ!俺がまずアイツの分まで土下座をしよう。土下座分かるか?男の自尊心も恥も外聞も全て捨てた最高にして最悪の謝罪形態だ!やる!俺が今ここでやってみせます!なぁ、マスター止まってくれ!一旦止まろう!まだアイツも寝てる。一旦話し合おう!
——–ウィズ!顔!顔!お前!そんな顔するヤツじゃないだろ!?な!?な!?
ウィズが居るなら、ここがどこかはウィズに聞けばいいだろう。
何と言ってもウィズは何でも知っている。きっと知らない事なんてない。
「…………」
頭痛と寝ぼけと気持ち悪さと、若干の体の火照りを残しつつ、俺は部屋の外から聞こえてくる会話と足音が、この部屋の前でピタリと止まるのを聞いた。
そして、次の瞬間。
カチャリとドアのノブの開く音がしたかと思うと、部屋の中に先程から聞こえていた見知った彼らがズラズラと入ってきた。
「…………」
「っちゃあ、起きてやがる」
「終わったな」
そう、ウィズの後ろからついてきていた、アボードとトウが頭を抱えて呟いていた。そんな中、二人の前に立つウィズと、静かに目が合う。
そのウィズの目は色が無く、けれど全てが美しいその造形美の中で、一際美しかった。
美しく、綺麗な瞳。その瞳は、どこか夜を思わせる。
けれど、どれほどその目を賛美したところで、そこにあるウィズの瞳は、鈍色のガラス細工のように、感情が、意思がない。
「ウ“ぃず」
俺は焼け爛れた感覚の喉で、無理やりウィズの名を呼んだ。そして、こんなに美しい人を、このような汚い声で呼んでしまった事に、少しだけ罪悪感を覚えていた。
「…………!」
けれど、俺がウィズの名を呼んだ瞬間。
それまで一切の感情を宿していなかったウィズの瞳に、稲妻が一気に地面に突き刺さるような勢いで、激しい感情がほとばしっていく様を、俺は間近に目撃した。
「あうと」
雷鳴を宿したまま、ウィズの声が、どこかたどたどしく俺の名を呼ぶ。
「あうと、あうと、あうと」
そう、何度も俺の名を呼びながら速足で俺のベッドの脇まで突き進んできたかと思うと、次の瞬間、俺の体はまるで波に打ち付けられて流れてきたゴミのように勢いよく浮き上がっていた。
「っうわ!え!?アウト!?」
俺はウィズに胸倉を掴まれ、そりゃあもう見事にウィズの顔の目前まで引き寄せられた。その拍子に、俺のベッドの脇で寝ていたバイが目を覚ましたのか、後ろから寝ぼけつつも驚愕に彩られた声が聞こえる。
けれど、俺にとって、それは気にすべき事ではなかった。
否、そんな余裕は無くなってしまっていた。