160:兄と弟

 

———-熱が死ぬ程高くて体調悪かったのに、アルコール度数の最高峰を誇るゼツラン酒を一気飲みしたヤツが居るって!?ははっ!面白いやつが居たもんだ!

 

 

「そんな愚かな事をしたのは一体誰だ!ってか、まだ頭が痛いんだが!なんだこれ!俺、病気かな!?」

「お前だよ、このクソガキが!多少元気になったみたいだし、俺がぶん殴って目ぇ覚まさせてやろうか!?」

「いや、ほんと頭は勘弁して!!今、外界から衝撃与えられたら、俺また気ぃ失いそうだから」

「そのまま死んどけ、クソガキ!!」

 

 

 そう言って振りかぶられた拳に、俺は恐ろしさの余り、ベッドから落ちた。

 

 

 

        〇

 

 

 

 

「ほんっとうに、ご迷惑をおかけしました!!」

 

 

 ウィズに胸倉を掴まれたまま、再び意識を失った俺が次に目を覚ましたのは、またしても明るい日の降り注ぐ真昼間だった。どうやら、あの時一瞬だけ目を覚まし、またしても丸1日ベッドの住人になっていたらしい。

 

 次に目を覚ますと、部屋にはアボードが一人居るだけで、他には誰も居なかった。

 

「いや、改めて自分の行動を思い出すと、物凄く迷惑なヤツだって思うよ」

「改めて考えるまでもなく、だ」

 

 やっとベッドから体を起こせるようになった俺は、未だに頭痛と気持ち悪さを感じつつ、けれど、以前よりは明らかにスッキリした意識でアボードへと向き直った。

 

「アボード、お前にも本当に迷惑をかけたな。ごめん」

「……その台詞は、俺にじゃなく、マスターが帰ったら地面に頭こすり付けて言うんだな」

「だな」

 

アボードから話を聞くところによると、俺は高熱とアルコールによる中毒症状で、一時昏睡状態にまで陥っていたらしい。

 

 まさか自分がそこまで命の危険に晒されていたとは思いも寄らなかった。

しかも、微かに残る記憶を補完するようにアボードの話を聞けば、ウィズは俺の吐物も汚物も、全部その身に受け止め世話をしてくれていたらしい。

 

 確かに、あんなに盛大に吐物をまき散らし3日間も気を失っていた割に、俺の体はどこもかしこも綺麗だった。

 

「はぁっ」

 

 いや、もう本当に、この気持ちはどう表現したら良いのか全く分からない。

純粋な感謝だけを抱けないのは、全ての汚にまみれた姿をウィズにまるごと見られてしまった羞恥心によるものか、 それとも別の何かか。

 

「お前の職場にも、アイツが連絡をしに行ったんだぞ。お前が起きた時に心労が無い方がいいだろうって」

「……っはぁ。ウィズはいつ帰ってくるかな?ちょっと改めてお礼を言わないと、おちおち寝てられない」

 

 俺はベッドの上で頭を抱えると、未だにズンと重みを感じる頭に眉を顰めた。

ウィズの酒場で好き勝手大暴れをして、挙句に吐物から汚物の世話に至るまで、全ての面倒を見て貰ったなんて。

 

 何と言ってお詫びをすればいいのか、俺の足りない頭では何も思いつかない。

 

「あれから4日、か。仕事は良いとして、あぁ、夜勤。シンスさんの肩代わりをしたばっかりだったのに。俺の分は誰が入ってくれたんだろ。アバブにも迷惑かけちゃったな。っていうか、バイとトウは……。バイもだろうけど、トウなんか俺にカンカンだろうし、どんな顔で次、顔を合わせたらいいんだ」

 

 意識がハッキリすればするほど山のように浮かんでくる「あの後」について。そして「これから」について。

 

 本当はバイとトウだけ呼び出して話をしても良かったのだ。

 きっとそうした方が今よりも迷惑をかける人間は少なくて済んだ。けれど、それだと普通に俺がトウに殺されそうな気がして却下した。

 

「……俺、ほんとに何やってんだろ」

 

 だからこそ、俺は場所をウィズの酒場に選んだのだ。

 何かあった時に、少しでもウィズがトウを抑えてくれれば助かる、と。

 

 そんな、軽い気持ちだったのに。

 

 そう、ウィズは俺に「死にたいのか」とか「死にたがり」とか言っていたが、俺からすれば「死にたくない」からウィズの酒場を選んだのだ。

 ウィズなら、きっと何とかしてくれる。

 そんな、俺の中にある身勝手かつ、無茶な願いを、ウィズは上回る勢いで達成してくれた。

 

「おい、せっかくマスターが気ぃ回して色々してくれたんだ。あんま余計な事をゴチャゴチャ考えんじゃねぇよ」

「……それもそうか」

 

 ベッドの脇で、コツコツと等間隔で足を鳴らし始めたアボードに、俺は小さく頷いた。ウィズを頼ってウィズの酒場で好き勝手したのだ。ウィズが全部上手くやってくれた、良かった、と最後まで甘えさせてもらおう。

 

「おい」

「ん、なんだ。アボード」

 

 ふと掛けられた声に、俺は未だにコツコツと足を鳴らすアボードの方を見る。そこには、俺とは明らかに目を合わさないように目を逸らし、気まずそうな表情を浮かべるアボードが居た。

 

「お前……もう、いいのか?」

「いいって?何が?」

「……あの、女の事だよ」

 

 あの女。

 アボードの口から少しだけ苦し気な様子で吐き出されたその言葉。それは、明らかに俺達の“母親”と呼ぶべき女性の事だった。

 アボードは、生まれてこのかた、あの母親を“お母さん”と呼んだ事がない。

 

「お母さんの事か」

「あぁ言う手合いを、俺は母親とは認めない」

「そうか」

「お前も、もう未練がましく、あの女を“お母さん”なんて呼ぶの、止めろ」

 

 そう、表情を歪めて口にするアボードのこの言葉は、ずっと昔から言われていた言葉だった。

 

 あぁ、本当にアボードにはずっと心配をかけてきた。

俺と違って、アボードは前世を覚えていた分、お母さんが諦めるのも、興味関心を注がなくなるのも早かった。

 

「でも、俺はあの人しか、お母さんは知らないし」

「っち。それが、お前の哀れなところだ」

 

 それが、俺にとっては幼い頃から気がかりで仕方がなかった。

俺がアボードの分の愛情を奪っているような気がして、幼い頃はいつも後ろめたかった。申し訳ないと思っていた。

 まぁ、今思えば、お母さんが俺に向けていたアレが“愛情”だったかはかなり際どい所ではある。

 

 けれど、アボードはアボードで別の事を考えていたようだ。

 

「俺が、あの女を拒絶するのが早かったせいで、全部あの女の気持ちがお前に行っちまったからな。これでも少しは申し訳なかったと思ってんだよ」

「そんな事、お前が気にする事じゃないだろ」

「お前には酷かもしれないがな、“母親”っつーのは、あんなもんじゃねぇよ。お前がアレを頑なに“お母さん”なんて呼ぶ事に、俺は寒気を覚えて仕方がねぇ。哀れ過ぎて見てらんねぇんだよ」

「……あぁ、お前の“お母さん”は、きっと素敵な女性だったんだろうな」

「…………」

 

 俺の言葉に、アボードは何も言わなかった。

 アボードの中にある母親の姿。それは決して俺と同じ“あの女性”を指すものではない。アボードが“母”を口にして見据える目は、いつもここではないどこかなのだ。