161:おトウさん

「なぁ、アボード」

「んだよ」

 

 こうして自分の前世について語る事を、余りしない俺の弟。

 それこそ、自我が芽生えた最初こそ、自身の最期などを得意気に話してきたりもしたものだが、すぐにそれもなくなった。

 そりゃあそうだ。いくら自分の体が子供だとしても、話して聞かせる相手が何も知らない子供なのだから。

 

 

———-アボード!みてろ!おれは、とりみたいにとべるんだ!

———-何言ってんだ!?飛べる訳ねぇだろ!早く下りて来い!クソガキ!

———とうっ!

———おいいいいい!!

 

 

 お陰で、何度も何度もアボードには身を呈して助けてもらった。アボードが俺の事を“クソガキ”と呼ぶに相応しい程、俺はアボードに面倒を見てもらってきたのだ。

 

本当に、どちらが“兄”か分かったモノではない。

まぁ、だからと言って“兄”の立場を譲る気はないが。

 

「お前は知らないだろうけど、お前。赤ちゃんの時、俺に何回もオシッコかけてきたんだぞ。うんこだって付けられた!」

「ったく、いつの話をしてんだっつーの!」

「俺が抱っこしないと嫌がるから、ずっと抱っこしてやったしな」

「はあっ、お前、一体急に何なんだよ?」

 

 俺の唐突な昔話に、アボードは若干、いや、かなり顔を歪めて俺を見ていた。そんなアボードに、俺はちょっとだけ胸のすくような気持ちで、後頭部に両腕を添えながら、ポフとベッドの上に横たわった。

 

 このベッドの柔らかさは、本当に素晴らしい。今度ウィズにどこで購入しているのかを聞いておかなければ。

 

「お前は俺の弟だよ。俺にはもう、お前しか兄弟は……家族は居ねぇの」

「…………」

「何か悩みがあるなら言えよ」

「っ」

 

 俺の言葉に、一瞬アボードの眉間の皺が深くなる。

 そして、何か言いたげに微かに口を開きかけたが、それはただ薄く息を吐くだけに終わった。

 

 あぁ、またコイツはすぐに自分の中に溜め込む。男の矜持とか、上に立つ者の“かくあるべき姿”とか、兄貴分としての体裁とか。

 本当に自分を縛るだけ縛って、ご苦労な事だ。

 

「まぁ、無理にとは言わないさ。俺はいつでもお前のお兄ちゃんだからな。優しい優しいアウトお兄ちゃんが、いつでも話を聞いてやるし、助けてやる。この言葉に期限はない。いつでも頼るように」

「何を偉そうに。クソガキの分際で」

「はいはい、俺はもう良いオトナなので、弟からの子供扱いに目くじらを立てたりしない事にしたんだ」

 

 目くじらは立てない。今は、だが。

 今はなんとも体が漫然とダルくて、しかもベッドが気持ち良すぎて目くじらを立てる気にすらなれない。

 あぁ、本当にこのベッドの毛布は気持ちが良い。ウィズは何にしてもモノを選ぶセンスが良いんだ。

 

「……もう寝てろ。マスターが帰ってきたら起こしてやるよ」

「お前仕事は?」

「非番」

「そっか」

 

 嘘だな。

 まったくどいつもこいつも騎士様はズル休みを“非番”扱いして。俺達の血税を一体なんだと思ってるんだ。

 

 俺は柔らかい布団の感触の中、確かに襲ってきた眠気に気持ちよく身を委ねるべきかと悩んだ。正直、充分寝ているとは思うのだが、何故か眠気が断続的に襲ってくる。

 もう4日も経つのに、ゼツラン酒。恐るべしだ。

 

「あ」

「んだよ。早く寝ろよ。眠ぃんだろ?」

 

 半分寝こけながら、俺はふと、ずっと思っていた事をアボードに言ってみる事にした。これは、アボードにしか分かって貰えない事なのだ。

 出来れば、眠りこけて言うのを忘れてしまう前に、アボードに伝えておきたい。

 

「トウの事。ずっと前から思ってたんだけどさ」

「トウ?」

「お父さんに、似てないか?」

「……父さん?」

 

 アボードが少しだけ考えるように“父さん”と口にする。

アボードはお母さんの事は一切“親”だと認めていなかったが、お父さんだけは別だった。

 

 アボードにとってのお父さんは、俺にとってのお父さんと同じ。このアボードにしては、珍しいくらい、お父さんだけには心から甘えて、そして信頼していた。

 

 父さんが病気で死んだ時、アボードは声を上げて泣いていた。もちろん、俺も。

 

「……確かに。ってか!変な事言うなよ!?お前は別にいいかもしんねぇけどな!俺はトウと同僚なんだぜ!?変に意識するだろうが!?」

「っはは!間違って“父さん”なんて呼ぶなよ?ってか、名前がそもそも似てるよな」

「っくそ!マジでやりずれぇ!本当に似てんのがまた問題なんだよ!あー、聞かなきゃよかった」

 

 そう、右手で顔を隠しながらため息を吐くアボードに、俺はベッドの上でクスクスと笑った。

予言しよう。きっとアボードは近いうちに必ずトウを“父さん”と呼ぶ。

 幼い頃、学窓で教師の事を“お母さん”と呼んで、学窓中から大笑いを受けた俺が予言するのだ。間違いない。

 

「トウにも、謝らないとな」

「……トウは、別に怒っちゃいねぇよ」

「わかってる。だってお父さんに似てるからな」

「もうそれは、いいっての!」

 

 母親のように、子に無償の愛を捧げられる存在は、確かに必要だ。

 けれど、父親のように一歩引いた目線で、現実を受け止め、前へと導く愛というのも、また必要なのだ。

 

——–ニア、二人で幸せになろう。

そう、ニアに声を掛け二人の未来に目を向けたトウも、決して間違っていないのだ。

 

——–お前の名前はアウトだ。いいかい?大切な名前だから、忘れないで。

 前世から結ばれた妻との愛の傍で、新たに生まれた俺と言う命も愛してくれた、お父さん。彼のお陰で俺は、今こうして“アウト”でいられる。

 

 あぁ、男女とは、夫婦とは、人間とは、よく出来ているものである。

 

「アボード」

「今度は何だよ」

 

 女でも男でもいい。

 互いにない部分を補い合い、共に歩める人が居るのは幸せな事だ。

 俺には、この目の前の何でも抱え込んでしまう弟にも、いつかそういう相手が現れればいいと、心から思っている。

 

「今度、お父さんの墓参りにでも行こうか」

「……ああ」

 

 アボードの、そのぶっきらぼうだが優しい返事を最後に、俺は柔らかい布団の中で再び意識を手放した。