165:確定未来

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『おい、オブ』

『…………』

 

 不愉快な耳鳴りがする。無視しよう。

 

『おい、オブ!』

『…………』

 

 不愉快な耳鳴りは、何度も俺の名を反響させてくる。

 あぁ、うっとうしい。

 

『聞こえてる癖に、明らかに聞こえないフリしてんじゃねぇよ!?』

『……っはぁ、一体なんだ。ビロウ。外で話しかけてくるなって、何度言えば分かるんだよ。俺はお前と血縁者だと思われるのが、いっちばん嫌なんだ』

 

 現在俺は、仕事と勉強の隙間時間に、インへと会いに行こうと屋敷を出たところだ。

 出た瞬間に、会いたくもない顔を見つけて、敢えて無視していたのに、まったく一体何なんだと言いたい。

 

 ビロウは昔から、こうして何かにつけて、俺に突っかかって来る。こんなヤツの相手をしている暇など、俺の人生には一瞬だってないっていうのに。

 

『オブ、お前さ。今からインの所に行くんだろ?』

『だから何だ。お前に関係ないだろ』

 

 そう、俺がフイとビロウから顔を逸らし、町への通りへと歩を進める。あぁ、進めるつもりだったさ。

 

『今行ってもインは居ないぞ。畑に行くって言ってた』

『あ゛?』

 

 思わず俺の声が、いつも以上に低くなる。

 “声変わり”というのは本当に不思議だ。成長過程で起こるソレより、相対する人物によって放たれる声色の変化の方が、充分に“声変わり”と称するに相応しい現象だ。なにせ、相手によってまったくの別人のような声になってしまうのだから。

 

『せっかく会いに行こうとしてたのに、残念だったな』

『……ちっ』

 

 あぁ、ビロウ。

 お前はどうしてこうも俺を苛つかせるのが上手いんだ。腹が立って腹が立って、正直お前の口から“イン”の名前が出てくるだけで、反吐が出そうだというのに。

 

『俺が、たまたまニアに会いに行った時に顔を合わせたんだ。貴族として、貧乏人とは言え、統治する対象の事はキチンと見ておかなきゃならないからな』

『……お前が統治?笑わせるな。お前にそんな手腕は無いだろう。悪い事は言わない。現場の政は俺にまかせて、さっさと首都でおじい様のお茶くみでもやってろ。この無能』

 

 俺の言葉に、それまで余裕そうだったビロウの眉間に深い皺が刻まれる。そして、まるで野生動物が敵を威嚇するように俺の眼前に、その顔を近づけてきた。

 あぁ、もちろん俺は嫌だが目を逸らすような事はしない。しっかりと見据え、心も体も微動だにさせない。

 

『なんだよ』

『気に食わねぇ……本当にオブ、お前、気に食わねぇよ』

 

 ビロウは俺よりも1つ年下ではあるが、俺との体格差は殆どない。まぁ、1歳差など、この年頃の俺達ならば、どうなるかは分からない。

 俺の成長期は、まだまだ終わってはいないのだから。

 

 それに、幼い頃から比べれば、差が縮まったとも言える。

 

『そりゃあ結構。お互い様だ』

 

 まだ俺が幼かった頃。

 体の弱かった俺は、その全てがビロウに負けていて、俺はよくお母さまからも、お父様からも溜息を吐かれたものだ。

 けれど、今は違う。俺はあの頃の俺じゃないんだ。

 

『オブ、お前ちょっと体が強くなったからって調子に乗ってんじゃねぇぞ』

『お前こそ、いつまでも俺の前に自分が立っているなんて痛々しい勘違いをするなよ』

 

 俺達は互いに睨み合い、そして今にも殴り合いに発展しそうな気迫だった。

 ただ、俺はインに見せる為の本を手に持っている為、もしそうなるのだとしたら、この本は一旦、地面に投げ捨てる必要がありそうだ。

 

『なぁ、オブ』

 

 出来れば、インの好きそうな本だし、あまり汚したくはない。

 

『お前、本当は分かってんだろ?』

 

 しかし、急にビロウはそれまで浮かべていた表情をフッと緩めると、俺の顔から自らの顔をゆっくりと離していった。

 あぁ、どんな顔をしていてもコイツの顔は俺を苛つかせる。こんなのと顔が似ているなんて、インの目は節穴としか言いようがないな。

 

『……なに?』

『お前は、そろそろ首都に帰される』

『…………』

『おじい様の決定は“絶対”だ』

 

 ビロウの言葉に、俺は持っていた本を握る手に、思わず力が入るのを止められなかった。ビロウの言葉は、腹が立つし我慢ならないモノだが、圧倒的に正しいからだ。

 

 

 おじい様の決定は“絶対”。

 そう、絶対に逆らう事は出来ないのだ。

 

 

 アマングの首都において、俺達の一族は、どちらかと言えば新興の貴族だった。しかし、それを俺達の祖父が、今では王族との繋がりを深く持つまでの有力貴族にまでのし上げた。

 

 異例の躍進。異例の出世。

 そう、俺達の一族はおじい様が一代で築き上げたと言っても過言ではないのだ。

 

 そして、ビロウの家と俺の家は、そんなおじい様の血を分けた4人の息子のうちの下2人。ビロウの父親が三男坊で俺のお父様が四男坊である。

 

 まぁ、そんな訳で家元を継ぐ事は出来ないが、本家を支える3本柱の1本。すなわち有力貴族の分家が俺達の家という訳だ。

 お父様が兄弟同士という事もあり、俺達の家系同士はなかなか繋がりが強い。

 本当は嫌なのだが、血縁による勢力拡大は貴族の基本なので仕方がないのである。

 

 それゆえに、同じ一族内で同じ年頃の俺達は、呼吸をするように比べられてきた。

 もちろん、比べられ溜息を吐かれるのは、いつも俺。お父様も、常に末っ子として兄弟達から下に見られてきた事によるコンプレックスがある上に、長男の俺がこんなんだから、本当に辛かった事だろう。

 

『どうせ俺達、分家は家元より勢力を強くは持てない。その中でお前は違うもんな?おじい様も褒めていらっしゃったぞ。お前は見込みがある。是非、本家で働くように、と』

『…………』

『なんだ?嬉しくないのか?俺は悔しいよ。好敵手だと思っていたお前が、今や遠くの存在さ。お前がそんなにおじい様から重用されるなんて、羨ましくて羨ましくて堪らない』

 

 嘘だ。

 ビロウはそもそも出世欲など毛頭ない。

 ただ単純に俺と言う他人と比べられた時に、ほんの一瞬負けん気が表に出てくるだけで、分家に生まれた時点で全てを諦めている事は良く分かっている。

 

 俺だってそうだ。別に一族の中でのし上がろうなんて、首都で躍進しようなんてこれっぽっちも思ってなかった。

 俺はただ、何者にも支配されず、自由になりたくて頑張ったのだ。

 

 全てインの為に。

 いや、違う。インと一緒に生きていく為に、その為だけに俺は。

 

 

 それなのに!