「頼む、アウト。頼むから、これだけはもう約束してくれ。“魔法”なんて言葉に惑わされて、絶対にそんな愚かな真似をしないと。さぁ、ここに誓うんだ」
「誓うよ。ウィズ。さすがの俺も、そこまでバカじゃない」
「……もう、俺はお前のその言葉すら、まともに信用できない。出来ないのが、苦しい」
「……ウィズ」
あぁ、このところ、この辛そうなウィズの顔をよく見る。俺をここまで想ってくれる人間なんて、お父さんとアボードしか居ないと思っていたのに。
家族の他に俺を想ってくれる人が、ウィズで良かった。本当に、そう思う。
俺は今にも泣きだしそうなウィズの顔を前に、不謹慎にも、やはり満たされてしまうのであった。
「なぁ、アウト。もうずっと此処に居たらいいじゃないか。心配しなくていい。俺は神官だ。お前一人養うのだって、どうってことない。お前は外に出たら危ないんだ。そうでなくとも、お前は危ない事ばかりする。ここには酒だってある。お前が望めば、無理のない範囲で楽しむ程度、かまわないさ」
「ウィズ」
あぁ、だからか。ウィズが頑なに俺を外に出そうとしなかったのは。俺は頭上にあるウィズの辛そうな顔に、ソッと手を伸ばすと、その頬にゆっくりと触れた。触れて、撫でてやる。
肌触りの良い、美しい肌だ。
ずっと、心配してくれていたんだな。
ありがとう、ありがとう。ウィズ。
俺はもう、その言葉だけで十分だ。
でも、
「ウィズ、それは出来ない」
「っ何故だ!何か問題があるか!?外に出たい時は、俺を連れて行け!それなら、全く問題ない。俺は体内のマナも潤沢にある、何かあれば俺がお前にマナを使うか、またコイツにすぐに連絡をすれば」
そこまでウィズが叫んだ時、俺は触れていたウィズの頬から手をどけ、代わりに人差し指を親指ではじき、眉間による深い皺をピンとつついてやった。
突然自身の眉間に走った小さな痛みに、ウィズが目を瞬かせる。
「ウィズ、それ。インと再会しても、同じことが言えるか?」
「っ!」
俺の言葉に、ウィズはヒュッと呼吸を乱した。
揺れる瞳。揺らぐ意思。そして、次いで現れる罪悪感に苛まれるような表情。
逸らされる、視線。
ウィズは、まだ迷っている。俺とインをまだ、同じ可能性として認識しているのだ。
だからこそ、ウィズは知りたいのだろう。
——–石頭、次こそはキミの知りたがっている、その辺りの情報が記載された本があるといいねぇ。
ウィズは前世の記憶とマナの相関関係に関する“真実”を求めている。前世の記憶というものが、一体何に起因して、現代を生きる俺達の記憶へと残るのか。その全てを解き明かした時、ウィズの中で、“何か”が決定的に決まってしまうに違いない。
「ウィズ、俺はインじゃない。アウトだ」
「……それは、わかって、いる」
「そうか。なら、ウィズ」
———-大切なモノを、選び間違うなよ。
俺の言葉に、ウィズの眉がキュウと寄ったかと思うと、そのまま唇を噛み締め俺の上からソッと離れた。
ベッドへ横たわる俺を、ウィズは何とも形容し難い顔でずっと見下ろしてくる。
その顔は、これまで俺が見て来た“ウィズ”の顔の、そのどれでもなかった。
「アウト」
「ん?」
「……あうと」
「ああ、そうだよ」
確認するように、何度も呼ばれる名前。
あぁ、もしかして、この顔こそウィズの中にある“オブ”の顔なのかもしれない。
俺が本当に“イン”ではないと結論付けた時、ウィズは……いや、彼の中の“オブ”は、この“アウト”でしかない俺に対し、どんな感情を抱くだろう。
心底がっかりしてしまうだろうか。
それとも、自身のインへの真っ直ぐな感情を惑わした邪魔者として、排除されてしまうだろうか。
それとも、それとも、それとも。
「…………」
——–いん。
言葉無き彼の声が、彼の瞳が、確かに“イン”の名を呼んでいる。求めている。
そう、浮かんでは消える俺の想像は、どれもこれも“アウト”という存在を、ウィズが求めてはいない事を指していた。
そう、そうなのだ。わかっている。
ウィズの幸福はインが運んでくる。ウィズの全てはインに帰結する。それは、もう揺るぎようがない。今の、ウィズの目を見ればハッキリと分かる。“ぎょうかん”なんか読まずとも、ハッキリと書いてあるのだから。
「……すまない。先走り、過ぎた」
「あぁ、そうだな」
「少し、頭を冷やしてくる」
「それがいい」
ウィズは口元を抑え、俺から一切の視線を逸らすと、そのまま足早に部屋から出て行った。その背中を、俺はベッドから上半身を起こし静かに見送る。
「はぁ」
何故だか溜息が漏れる。理由のない、溜息だ。
そんな俺の様子を、共に部屋に残ったヴァイスがジッと見つめていた。
「ねぇ、アウト」
「なに、ヴァイス」
俺は何でもない顔で答えられているだろうか。ここには鏡が無いので分からないが、俺に相対するヴァイスは、それこそいつものように柔らかい笑顔をその顔に讃え、俺の方に一歩、また一歩と近づいてきた。
「アウト。体よく、あの石頭も居なくなった事だしさ。これから僕と、少しだけ秘密の、ちょっとイケナイ事をしよう」
「いけない事?」
「そう。どうやらさ、アウト。君は僕にとって今までで一番の“お気に入り”になりそうな予感がしてきたんだ。だから、まず、少しだけ僕の事を思い出して欲しい。いや、僕達の、本当の“出会い”の日について。そして、君が忘れてしまっている事について」
俺はヴァイスが一体何を言っているのか、さっぱりわからなかった。
分からないまま、一歩ずつ近寄ってきていたヴァイスが、既に俺の目の前に立っており、吸っていた呼吸を吐き出す時には、俺の目はヴァイスでいっぱいになっていた。
「あ」
思わず息を呑む。その瞬間、最近、いやに聞き慣れてしまった音が俺の口元から軽く響き渡った。
ちゅっ。
柔らかいモノが、俺の唇に触れた。口付けだ。俺はヴァイスに口付けをされてしまったようだ。そう、どこか他人事のように感じる自分が居る。
しかも、俺はこの感触を知っている。これは初めてではない。俺は以前も、こうしてヴァイスに。
「っ!!!」
次の瞬間、俺の頭の中に封をされていた何かの情報が一気に解放されるような感覚に陥った。
目の前がチカチカする。頭が痛い。腹の底にゾワリとした感覚が走る。
俺は、今、どこに居る?ここは、どこだ?今は、いつだ?
「……ぁ」
俺は急にこの手に、“あの日”食べる事の叶わなかったオラフを持っているような奇妙な感覚に陥った。今から俺はこの、とびきり美味しい、自分へのご褒美のオラフにかぶり付く、まさにその瞬間。
俺は、今、茶寮のテラス席に居る。座っていた。通りを眺めていた。すると、通りに蹲る一人の男と、それを見下ろす少年のような、しかし、けれど、それは、長い長い時を思わせる“彼”が居た。
俺は眼前に立つ、口元に薄く笑みをうかべるヴァイスを見上げ、見つめた。
あぁ、ヴァイスが居る。
———–あの!大丈夫!?
———–キミは?
キミは?と、ヴァイス……いや、少年のような彼に問われる。
俺と彼の初めての出会いは、あの夜の公園などでは決してなかった。
窓掛を買えずじまいだったあの日。
俺は、初めて目の前の彼と出会った。
*