「まったく、なんて会話をしているんだ」
「ウィズは分かるのか?」
「……分かりたくはないのだがな」
そう、隣ではウィズが完全に頭を抱えているのだが、そんなウィズもきっと、とうの昔に扉を開かれているに違いない。
しかし、ウィズは開かれた扉の先へは行こうとしない。
つまりは、そういう事のようだ。
カラン
突然、店の扉が開く音が聞こえた。
俺が音のする方を見てみれば、そこにはやはりいつものように、アボードとトウが立っている。
どうやら、トウはバイを探していたらしい。バイを見るなり、勢いよくバイの元へと駆けよって行った。
「バイ!お前やっぱり此処に居たか!お前は最近ここに来すぎだ!訓練が終わった途端、何も言わずに居なくなって!」
「なんでトウにわざわざ報告していかなきゃなんねーの?俺の勝手じゃん!」
「お前は俺と一緒に居たくないのか!」
「ずっと一緒に居るだろ!?同じ隊なんだから!」
「そういう事でなくだな!?」
入ってきて早々トウが、いつもの落ち着いた男の仮面を勢いよく脱ぎ捨てた。そんな二人に、アバブの「五体投地をせねば追いつかぬこの想い……」と、胸を抑え苦し気な表情を浮かべている。
どうしたのだろう。
アバブまで具合が悪くなってしまったのだろうか。
「アバブ、大丈夫か?胸が苦しいのはあんまり良い事じゃない。調子が良くないのなら、今、ウィズに見て貰った方がいい」
「待って、アウト先輩。今あなたの天然を処理する余裕ありませんので。こんなに供給過多な空間に居たら……五体投地で、一旦発散させてもらわないと」
そういえば、先程からアバブの言う“ごたいとうち”とは一体どういう意味だろう。また難しい言葉を使っているが、発散すると言っているくらいだから、何かを出す事なのだろう。
発散……まさか、用を足す、という事だろうか。
「アバブ、手洗いはあっち」
「っへ?なんですか?アウト先輩、急に」
俺がソッと耳打ちしてアバブに教えてやると、しかし、アバブは戸惑いの顔を俺へと向けてくるだけだった。
てっきり手洗いの場所が分からず、しかし周りは顔の良い男ばかりで尋ねずらいのだとばかり思っていたのだが。
あれ、俺はまた勘違いをしているのだろうか。
「アウト、お前また勝手に言葉の意味を解釈して……。それを止めろと何度言ったらわかるんだ」
「ん?えっと、どういう事?」
急に隣に居たウィズが心底疲れたように、そんな事を言ってくるものだから、俺は思わず首を傾げながらウィズを見た。一体俺はどこから何を間違ってしまったのだろう。
「だから、その何も分かってませんという顔を止めろ。わざとか。俺を惑わしているのか?」
「か、顔……?あ、あぁ!分かったよ!俺の顔が変なのはさっきの治療の時も聞いたから!実は少し気にしてるんだから、もう顔の事は言うなよ!?」
「誰がお前の顔を変なんて言った!?どこをどう解釈するとそうなるんだ、お前は!」
「言った!さっきヴァイスとウィズに治療してもらってる時に、俺の顔を変だって言ったじゃないか!」
「あれはっ、……そう言う意味で言ったんじゃない!まったく!なんなんだお前は!どこまでが本気なんだ!」
「俺はいつでも本気だよ!?」
最近この手の全く同じ言い争いを、ウィズとした気がする。俺とウィズはいつも同じ所を堂々巡りしているのではないだろうか。
ぐるぐる、ぐるぐる、丸い場所を、行ったり来たり。永遠と。
まぁ、ウィズとなら永遠に行ったり来たりしても、悪くない。
そんな、バカな事を考えてしまっていると、先程まで“ごたいとうち”で発散をしなければと口にしていたアバブが、深い溜息を吐いていた。
「あー、ウィズさんのそのアウト先輩への言動一つ一つが既に私を追い詰める。どこを見ても供給過多……幸せ」
「あ、なんだ。幸せなのか」
「ハイ、幸せ過ぎて胸が苦しいんです……私。はあああ」
最終的に“ごたいとうち”の意味は分からなかったが、アバブはどうやら幸せ過ぎて胸が苦しくなっているらしい。幸せ過ぎて深い溜息まで吐いてくる始末。
けれど、
「……それは、ちょっと分かるかも」
俺は難しい顔で此方を見下ろしてくるウィズに。そして、この理想の酒場に居るウィズに。
なんだか幸せで胸が苦しいと言うアバブの言葉が、正に胸の中に湧き上がってくるようだった。
「さて、今日は初めてアバブもこの店に来てくれた事だし、俺が皆に一杯ずつだけど奢るよ!」
「貧乏人が無理をするな。ましてやお前は病人だ。今日は俺が店の事はやるから座っていろ」
「貧乏人は認めるけれど、けど!1杯だけ!1杯だけは奢らせて!それに俺もずっと寝っぱなしで動かなきゃだし!ほらほら!皆、座って座って!」
———-みんな、色々と、ありがとう!
俺は店に来た全員に深く頭を下げると、いつもの酒場のカウンターの定位置へと駆け出した。駆け出しざま、店に入ってきてから一度も口を開いていない弟を一瞥すると――
「…………」
さて、これからどうしたものかと、俺は兄として、頭の片隅で小さく腕を組んだのだった。