「ともかく、私は忙しい。毎日、1日がもっと長ければ良いのにって思ってます。けれど、残念な事に人生は短いという事を、私はこの身をもって知ってしまってるんですよね。だから、本気になれない事に、人生の大事な時間を割いている時間は無いのです」
「……人生は、短い」
「バイさんの価値観を否定する気はありません。なにせ、私は“以前”も“今”もまだ子供なので、親になるという喜びもあるのだと言われれば、それまでなんです。けどね、バイさん!もう私、既に子供は何人も産んでると思っていますよ!」
アバブはそう言うと、自身の鞄の中から1冊の本を取り出した。
「これ、昨日出来上がったばかりの3巻です。どうぞ!産みたてホヤホヤですよ!」
「っっっっ!!」
「っっっっ!!」
それは、あのアバブの描いたビィエルの教本の続きだった。その思わぬ登場に、それまで黙って二人の会話に耳を傾けていた俺も、思わずカウンターから身を乗り出した。
「アバブ!もう、続きを描いてくれたの!?」
「アバブちゃん、これ、もう読んでいい!?」
俺達二人は互いに互いの言葉を重ねながらアバブに顔を寄せた。
そんな俺達にアバブは軽く苦笑を洩らすと、何故か自身の耳を隠すように、フワフワの髪の毛を撫でつけた。
けれど、どんなに撫でつけた所で、アバブの髪の毛はフワフワなのだ。撫でつけたそばから、フワリと浮く彼女の髪の毛は、その赤くなった耳を隠してはくれなかった。
「私の前で読むのは勘弁してください!出来れば別れた後、おひとりで読んでくださいね」
「わ、わ、わかった!あ、アウト!これ、俺が先に借りていい!?借りていい!?」
「えっ、えっ!えー!し、仕方がない!明日!明日絶対に持って来いよ!?約束できる!?バイ!」
「出来る!持ってくる!明日、昼休み抜けて持ってくるから!夜、また話そう!」
「分かった!それでいい!」
俺がバイからの提案に勢いよく頷いていると、アバブは何かブツブツと小さな声で呟きながら、未だに髪の毛をその手で撫でつけている。
けれど、そんな行為、もうどうしたって無意味だった。
「……こんなに楽しみにされたら、描いちゃうに決まってるじゃないですか」
「ん?アバブ?」
「アバブちゃん?」
何故かって。そりゃあ、真っ赤に色づくのは最早、耳だけに留まってないからだ。
今や、アバブは顔全体が真っ赤になってしまっている。
「は、恥ずかしい……」
そう消え入るように呟くアバブの声と俯く姿に、俺もバイも顔を見合わせて、首を傾げるしかなかった。
「なんで!?こんな凄いの描けるのに、何が恥ずかしいんだ!?アバブちゃんは、一体何を恥ずかしがっているのか、俺は全然分からないんだけど!」
「俺もそう思うよ。なんで、アバブはビィエルをそんなに恥ずかしがるの?」
「ちがうっ!恥ずかしいのはBLじゃ、ありません!これが……創作の本質なんです!」
アバブは俯いたまま、バイからカウンターの方へと体を向き直すと、ルビー飲料に手をかけ、一気に飲み干した。
あぁ、もうルビー飲料は無いのだった。今から急いで取ってくるべきだろうか。
「アウト先輩……もう、ルビー飲料はいりませんので」
「そう?」
「やっぱり、お水を……頂けませんか」
アバブの言葉に、俺は急いで別のグラスに和らぎ水を注いでやると、俯くアバブの前へソッとグラスを置く。
けれど、アバブはその水には手をかけず、何か言葉を探すように、何度か静かに呼吸を繰り返していた。
「バイさん、私、さっき言いましたよね。もう、子供は何人も産んでるつもりだって」
「え、うん」
「その作品が、まさに“そう”なんです。恥ずかしいのはBLじゃなくて、それを作る過程が、とても、とてつもなく、恥ずかしいのです」
ここでアバブは、隠していた顔を勢いよく上げると、バイと俺の顔を何度も交互に見た。
そして、目が合ったアバブの目は、少しだけキラキラと瞳を覆う水の膜で、美しく光り輝いていた。
「子供を作る交接という行為が、好きな人に自分自身の一番恥ずかしい部分を見せる行為であるならば、創作もまさにそうです。自分の中にある、一番深い部分、他人には絶対見せない部分に隠された自身の根幹を、他者に曝け出す行為。それが、創作活動です」
「……恥ずかしい部分を」
「曝け出す?」
俺とバイは流れるように紡ぎ出されるアバブの言葉に、目を瞬かせながら耳を傾けた。アバブの言っている事は、分からないようで、なんとなく分かる。
これは以前、俺に“絵を描く”という事の意義を教えてくれたアズの言葉と、どこか似ているような気がした。
——-人間が描く絵はどうしたって完璧に現実を映し出す事は出来ない。ただ、だからこそ“その人”という一枚の透かし紙の向こうに映る写実的ではない世界が魅力的に見えるんだ。
あぁ、やはり。
アバブもアズも、たとえ入口は違っていたとしても、最後には“表現者”という同じ道に繋がっていくに違いない。
そして、今この時こそ、その道が交わる瞬間なのだ。
「でも、その部分を曝け出す事は、恥ずかしいにも関わらず、とてつもない快楽も生む。その快楽こそ、貴方達のように素直に私の産んだ作品を“素晴らしい”と認めてくれる瞬間に他なりません。人間は愚かなので、いくら恥部を曝け出す行為だろうと、その快楽からは逃れられない。創作活動はまさに、我が子を作る行為そのものなのです!」
——–だからね、バイさん!
アバブは急にバイへと向き直ると、バイのその手を勢いよく自身の両手で包み込んだ。バイも急な事に驚いているのだろう。
顔の赤いアバブにつられるように、徐々にその顔を赤く染めていった。
そして、非常にどうでも良いかもしれないが、その後ろではトウが、アバブに向かってハッキリと敵意を露わにし始めていた。
おい、トウ。お前、一般人の女の子に何て顔を向けているんだ!