「聞きたい!俺も兄貴の忘れられない女の話、聞きたい!聞きたい!」
“おんなのこ”ってどうしてこうも、会話の移ろい方が激しいのだろうか。俺は学窓時代、隣の席の女の子達の会話が聞こえていた時の事を思い出し、なんだか懐かしい気持ちになった。
聞いていてどうしてその話からこの話に変化した!?と会話に乱入したいと思った事は、一度や二度の話ではない。
「へぇ、アボード。お前の忘れられない女の話というなら、俺も気になるな。聞かせろ」
「なに?トウ。お前は聞いてないのか?」
「聞いてない。コイツはその手の話を一切してこなかったからな」
そんなトウの発言に、この場に居る“おんなのこ”達の瞳が更なる輝きを増した。最早、絶対にその話をするまで取り逃さぬぞという、狩人の目である。
「兄貴!」
「アボードさん!」
「あぁぁあ!!うるせぇな!?誰がお前らなんかに話すかよ!?」
「ひゃああ!『話すかよ』って事は“忘れられない女の存在”を認めたという事になりますね!素晴らしい!アボードさん!貴方は大勢の男達にとって、無くてはならない“兄貴”であり、けれど、その心に住まわせるのは、たった一人の女性のみ!武に秀でた男の弁慶の泣き所でありアキレス腱!王道ながら最高!ロマン!」
「分からないけど……分かる!めちゃくちゃよく分かるよ!アバブちゃん!」
二人、特にアバブからの猛攻撃に対するアボードは、これまで見た事のない顔で最高に戸惑っていた。
酒も温め終わった事だし、これから燗酒は“冷まし”に入る必要がある。どの程度冷ますか聞くついでに、そろそろアボードを助けに入ろうではないか。
どこかで聞いた、それこそ“助け舟を出す”というやつだ。さて、どんな舟を出そう。
「アウト」
「ん」
そう、俺が湯の中に浸っている和酒の入った陶器に手を伸ばしかけた時だ。
「火傷をするなよ」
「あ、うん」
それまで静かに酒を飲み、ずっと俺を見ていたウィズが静かに俺と目を合わせてきた。
「直接触るな。あぁ、そうだ。取り出すのは俺がやろう」
「いいって。そんな心配はいらないよ」
「……本当に、頼むから。気を付けてくれ。アウト」
「わかってる。ごめん、ウィズ」
そう、ウィズはずっと俺を見ていた。特に俺の手元。きっと、ウィズにとっては俺をここに立たせるより、自分が立っていた方が随分マシな事だろう。
俺の体の状態を一番詳しく知っているが故、ウィズにはいらぬ心労をかけている。
「…………」
——-ごめん。
あぁ、そうか。俺は、ウィズに心労をかけているんだな。こんなに、気を遣わせて。
俺は再度、心の中でウィズに謝罪をすると、濡れ布巾を手に、温まった酒を鍋から取り出した。
「さて!アボード、和酒の燗はどの程度でいく?」
「あ?あー、そうだな」
「兄貴!どんな人!?どんな人!?」
「簡単に、でいいですので!出来れば出会いから順を追って!」
「あ゛ぁ!?うっせーな!」
どうやら荒波が強すぎて、俺の出した船は全くアボードを救出に向かえそうにない。それなら、次はバイのパウの乳の温度を聞くついでに、そちら側から舟を出してみるのはどうだろうか。
そうだ、そうしよう。
「バ」
バイ、
と、俺が次はバイに向かって口を開きかけた時。いや、既に半分声を上げた時、の方が正しい。
アボードがヤケクソのように二人に向かって大声を上げた。
「あああぁっ!?クソっ!この世で一番可愛い女だよ!?これで満足か!?」
アボードの熱を帯びた叫びが酒場に響いた瞬間、それまで姦しい程に騒がしかった2人が、ピタリと声を上げるのを止めた。加えて真っ赤な酒に口を付けていたトウも、目を見開いて、口をポカンと開けた状態でアボードを見つめる始末。
そして、何を隠そう、この俺もアボードの予想外過ぎる告白に驚愕し、それまで手にしっかりと持っていた燗酒を持つ手から、一瞬力が抜けてしまうのを感じた。
「っあ」
抜けた瞬間、俺の手の中にあった分厚い陶器の入れものがカウンターの内側の床に吸い込まれていく。
やっと手間暇かけて作った燗酒なのに!そう、俺は思わず落ちて行く陶器の入れものに、素手で手を伸ばしてしまった。
「っつ!」
伸ばし落ちる直前に陶器に触れる事が出来たものの、それは先程まで熱湯の中に浸っていたものだ。余りの熱さに、触れた瞬間手を離してしまった。
まぁ、離してしまえば結局その酒は床に一直線な訳で。
カシャンッ
無情にも床に落ちた酒は、そんな軽い音を放ち、陶器の破片と共に中身の酒も俺の足元に飛び散った。
「っアウト!」
「っはは。ウィズ。ごめん。割っちゃった」
「そんな事は良い!手を見せてみろ!」
「大丈夫だって。まずは、片づけないとだろ」
俺は足元に砕けて零れた酒とその入れ物にガクリと肩を落とすと、その瞬間、ヒリとした痛みを放つ自身の手に目をやった。そこには火傷のせいか、真っ赤になった親指と人差し指。そして触れた部分の掌。
「え?」
丁度、先程熱い陶器の触れた部分の皮膚が少し捲れてしまったように、ダブついている。焼け爛れていると言っても過言ではないその傷に、俺は思わず眉を顰めた。
あれ?こんな酷い状態になる程、アレは熱かっただろうか。
「オイ、何やってんだよ。クソガキ」
「アウト、大丈夫―?」
「先輩、火傷したんじゃないっすか?」
「冷やすか?」
そう、足元に散った陶器と酒を片付けるべく屈んだ俺の頭上から四者四様の言葉が掛けられる。
あぁ、こんなの大した事ない。大丈夫。
そう、俺が口に出そうとした時だ。
グラリ、と視界が揺らいだ。
「アウト!」
声が聞こえる。ウィズの声だ。アウト、と俺の名前を呼んでいる。必死な声だ。
「ウィ、ズ」
揺らぎ、次いで霞む視界に俺は必死に体を支えようとした。けれど、体の平衡感覚がおかしくなってしまったのか、体のどこをどう支えれば倒れずに済むのか、まったく分からなくなってしまっていた。
「っ」
倒れる。
そう、俺が思ったのと、意識が少しずつ薄らいでいくのは同時だった。けれど、次に感じたのは、床に倒れこむ衝撃ではなく、温かくて安心の出来る、どこか懐かしい香りを纏う男の腕の中だった。
「アウト!おい!アウト!」
「うぃず……ごめ、ん」
あぁ、ウィズ。お前、何をそんなに慌てているんだ。
霞む視界の中、見えたのは顔いっぱいに苦しみと悲しみを讃える少年のような男の顔だった。
「アウトっ!」
——-もう、俺を置いて行かないでくれ!
声なき声がインに語りかけている。俺は“ぎょうかん”は読めないけれど、“お前”の気持ちなら少し分かるようになったよ。
「……おぶ、そんな、顔を、しなくて、いい」
「っ!」
俺は火傷して酷い有様ではない方の手を必死に動かして、ウィズの、そして、オブの頬へと触れてやる。
もう、そんな辛い顔をさせやしないさ。オブ。
「だい、じょうぶだ。おれが、お前を、お前達を、かならず、いんに、会わせて、やる」
「アウト……?」
「だから、」
なぁ、“オブ”。
俺は、インじゃないのに、そんな顔をさせて、ごめんな。
「しあわせに、なれ」
「……あ、ああぁっ」
本当に、お前達は“良い奴”だ。とても“優しくて”、とても“不器用”な奴だ。“一途”で“繊細”で、“傷付き”やすくて。
俺がこんなにも他人の幸福を願うようになるなんて、思わなかったよ。本当は俺がお前を“幸福”にしてやりたかったけど、やっぱり俺じゃ無理みたいだ。
「俺は……どう、すればいいっ?アウト。俺はもう、なにも、分からない……分からないんだっ」
あぁ、やっぱり俺は。
“アウト”は、お前に、そんな顔しかさせられない。
お前達の幸福はインが運ぶ、お前達の全てはインに帰結する。
ただ、もう少し待って欲しい。
俺は、霞む視界の最後に、チラと視線を脇にやった。そこには、目を大きく見開いて恐怖に顔を歪ませる男が、ジッと俺を見つめていた。
———-アボード!みてろ!おれは、とりみたいにとべるんだ!
———-何言ってんだ!?飛べる訳ねぇだろ!早く下りて来い!クソガキ!
なぁ、アボード。
お前、俺がまた鳥になれると言ったらさ。
また、あの時みたいに俺の所へ、とんで来てくれるか?
俺は心の中で、この世でたった一人の弟に問いかけながら、静かに意識を手放した。