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覚醒した。
明るい光が瞼の上から無理やり、俺の目の中に潜りこんでくる。
目を開けると、そこは見慣れた天井が見えた。体に触れる柔らかい毛布の感触も、最早触り慣れたものだ。先程の明るい光は、どうやら部屋の中にある、灯燈が明々と部屋を照らす光だったようだ。チラと目をやった窓掛の外は、真っ暗である。
今は一体どのくらいの時間なのだろう。
「…………」
一体、何があったんだっけ。
そう、俺が自身の体を起こそうと片手を、ベッドについた時だった。
その瞬間、ビリと襲ってきた激しい痛みに、俺は体を起こす事が出来ず、とっさに自身の手を毛布から出してみる。
「痛ぇだろうな。あんだけ焼け爛れりゃ」
「っ!?」
包帯がぐるぐるに巻かれた自身の手と、入口から響いて来た聞き慣れた声に、俺は思わずどちらに驚いたらよいものかと目を瞬かせた。
「アボード」
「ったく、あの後大変だったよ。マスターは狼狽えて話になんねぇし、あのガキ女とバイはそのうち大泣きし始めるし、トウもその対応に追われるし」
「……あー、ごめんごめん。心配かけたな。まだ本調子じゃないみたいだけど、大したこと」
「3日だ」
「は?」
俺はアボードの口から出て来た謎の数字に、包帯の巻かれていない方の手をつき、上半身をベッドから起こした。
3日とは、一体何の話だ。
俺がそんな思いを含んでアボードを見てみれば、アボードは入口のドアの淵に預けていた体を離し、一歩一歩こちらに近づいてきた。
「お前が意識を失ってた時間だよ」
「はぁっ!?3日!?3日もか!?」
「……そうだよ。なぁ、お前さ」
話しながら、アボードがいつの間にか俺を真上から見下ろすような形で立っていた。アボードの影が俺を覆い、灯燈の光から俺を隠す。
「お前、死ぬの?」
その、感情のない声とは裏腹に、俺の見上げるアボードの顔は、とても懐かしい顔をしていた。これはお父さんが、もう治療法のないマナの難病だと告げられた時と同じ顔をしている。
「……何言ってんだよ。急に」
「お前も父さんみたいに、俺を置いて逝くのか」
「だーかーら、何言ってんだ。どうして俺が死ぬんだ?」
「じゃあっ!この手は一体何だよ!?」
次の瞬間、俺の包帯でグルグル巻きにされた方の手は、アボードによって勢いよく掴みあげられていた。
その顔は完全に泣きそうで、こんなアボードは本当に久しぶりに見るな、とどこか他人事のような気分で、俺はアボードを見ていた。
木から飛び降りた俺を助ける為に、俺の下敷きになって肋骨を何本も折った時ですら、こんな顔はしていなかったと言うのに。
「……マスターから聞いた。お前、今の状態だと、ちょっと怪我しても死ぬ可能性があるんだってな。3日前も、別の神官が来て、お前にマナを供給してやらなきゃ、危なかったってよ」
「そうか」
アボードの言う“別の神官”とは、きっとヴァイスの事だろう。あんな時間に呼び出されて。ヴァイスにも、またしても迷惑を掛けてしまったようで申し訳ない事この上ない。
「その神官が言ってた……。今、お前のマナは生命維持の分すら不安定な量しかないって……。前みたいに、ギリでも安定した状態に戻るには……何年かかるかわかんねーって。それまでは、お前は少しの傷も、ただの風邪ですら命取りになる」
「そりゃあ、困ったな」
——–まだ寮のシャワーも水しか出ないってのにな。
そう言って俺が笑うと、包帯の巻かれていた俺の手をアボードは苛立ったように、投げ離した。
「何笑ってんだよ。そんなの、父さんと同じじゃねぇか」
「お父さんと俺は違う。お父さんはマナが減っていく病気だろ?俺はマナが溜められないだけ」
「……どうせ、死ぬんだ」
「お前ね。人の事を勝手に死ぬ死ぬ言うな!死なねぇよ」
不安で、不安で仕方ないというそのアボードの表情。
そ れは、どんな時でも誰かの“不動の存在”になりたいと願い、死の淵に立った時、その誰かの魂を救ってやりたいなどと大仰な事をのたまう男の顔ではなかった。
そこに居たのは、家族を、兄を失うかもしれないと怯える、たった一人の弟の姿だった。
「そう言えば、ウィズは?」
「……教会から急な呼び出しがあって、そっちに行ってる」
「夜だってのに、神官も大変だな」
そう、俺が窓を見て言うと、アボードはベッドの隣にあった椅子にドカッと勢いよく座り込んだ。コツコツコツと、落ち着かないように鳴らされる足音の律動に、俺はどうしたものかと息を吐くしかなかった。
「っていうか、アボード。お前にあんな忘れられない女の人が居るなんて思わなかったよ」
ともかく、いつも通りを心掛けてアボードに語り掛ける。それと同時に、アボードによって解放された包帯の巻かれた手を布団へと隠した。
「一体いつの話、してんだよ」
「俺にとってはさっきの話なんでね」
「俺にとっては3日前の話だ」
「なんだよ、いいじゃんか別に。減るもんじゃあるまいし」
「誰が言うか」
口を突き出して拒否してくるアボードの姿を見て、俺はまたしても思わず吹き出した。こんな男のどこを見て、他の騎士の奴らは“兄貴”と呼ぶに至れるのだろうか。
こんなに愛すべき“弟”は他に居ないだろうに!
まぁ、これは“兄の欲目”だという事は、さすがの俺でもよく理解している。
「えっと、こういう時。なんかお前、面白い言い方してたよな……なんだったっけ?」
「は?なんの話だよ」
「ここまで出かかってるんだよ。昔、お前よく喧嘩で勝った相手に言ってたじゃんか……えっと、なんか、こう、おみやげ……おみやげ」
「はぁ?」
そうそう、もう喉まで出てる。
アボードが喧嘩で相手をバカスカのした後「ざまぁみろ」の他に、何か相手に教えてやる時に言っていた。あれは、そう。
——冥途の土産に、テメェに教えてやるよ!
「そう!めーどのみやげ!めーどのみやげにおしえてくれ!」
「っ!」
「あれ?俺、またなんか使い方間違ってる?」
俺が“めーどのみやげ”と口にした瞬間、それまで怪訝そうな顔で俺の方を見ていたアボードの目が、これでもかという程見開かれ、その表情はみるみるうちに固くなっていった。
あぁ、せっかく少し表情が崩れて柔らかくなってきたのに。どうやら、俺はなんだか色々と間違ってしまったらしい。