196:遠くを見渡すように

       〇

 

 

 

「いやぁ、また迷惑かけちゃったな。ウィズ」

「……」

 

 アボードと入れ替わるようにして部屋に戻ってきたウィズに、俺は軽く声を掛けた。またウィズに、あの雷鳴轟くような怒り方をされると思って身構えていたが、さすがに今回はそうはならなかった。

 

 ウィズはもうあんなに怒れる程、心に力を宿していない。これは、まずい。

 

「お前の言う通り、湯から取り出すのはやってもらえばよかったな?あんな勢いよく零すとは、俺も思わなくて」

「…………」

「ウィーズ」

 

 俺のベッドの隣で、何も言わずに俺を見下ろす美しい男に、これはアボードとは真逆の反応だな、と苦笑してしまう。

 アボードは驚くほどその顔に感情を剥き出しにしていたが、ウィズはもう、なんだかぼんやりとしていた。

 

「……これは、罰か」

「ん?」

「罰ですか?」

 

 やっと口を開いたかと思えば、ウィズは俺には全く理解のできない問いを口にしてきた。

 

 あぁ、ウィズ、今一体お前はどこに居る?

 いや、違うな。オブか。今、ここに居るのは、オブの方だな。

 

「オブ。バカな“アウト”にも分かるように教えてくれるか?」

「なあ、あうと……これは、罰なんだろ?」

 

 今、ウィズはオブが大きくなっている。俺が彼を動揺させたせいで。揺れている。いつもはウィズがきちんとオブを掌握しているのに、今はウィズが弱っていてそれが出来ていない。

 

 さて、アボード同様。どうしてやろうか。

 

「罰じゃないよ」

「うそだ、俺が、僕が……待ってるだけなんて楽でいいよねなんて言ったから。お前は怒ってるんだろ?知らなかったんだ。戻って来てくれるか分からない相手を“待つ”事が、こんなに、こんなに……恐ろしいことなんて」

「オブ、考え過ぎだ。これは罰じゃない。俺はただ火傷して、寝ていただけ」

「次は目覚めないかもしれないっ!今回はたまたま運が良くて!でも次もそうとは限らない!」

 

 はぁ、はぁ。肩で息をしながらウィズの顔をしたオブが、俺に詰め寄ってくる。今、オブとウィズは迷子になっている。

 俺がたかが火傷くらいで3日も寝ていたせいで。

 

「さて、オブ。ちょっと、ウィズを返してくれ」

「……ぼ、おれが、うぃずだ」

「そうかなぁ?じゃあ、お前はウィズ?ずっと、俺とアボードの話を立ち聞きしていたウィズ?」

「……立ち聞きなど、確かにそうかも……しれないが」

 

 ここに来て、オブだった表情が、少しだけ気まずそうな、いつものウィズの表情に変わる。

 

「じゃあ、いつから居たんだよ?」

「お前が、冥途の土産などと、意味もわからず、言葉を使い始めたところ、からだ」

「思ったよりも序盤から聞いてたなー!ほとんど最初からじゃん!」

「アウト、お前な。言葉の意味は正しく理解してから使えと、あれほど!」

「はい、おかえり。ウィズ」

 

 俺がそう、笑ってウィズの腕を軽く叩くと、ウィズの目が大きく見開かれた。冥途の土産の説教は、また今度聞こうじゃないか。

 

「ただいまは?」

「……俺はずっと居る」

「ただいまって言え。ひとまず言え」

「……ただいま」

 

 俺から目を逸らしつつ気まずそうに放たれる“ただいま”に、俺は「よし!」とウィズの腕を叩いた自身の手を、ウィズの手に添える。いや、アボードの時と違って添えるだけじゃあ足りないな。

 

 手を、しっかり繋いでやらないと“ウィズ”がまた迷子になってしまう。

 

「ウィズが帰ってきた事だし、少し話そう。3日も寝ていたんだ。3日分話そう!」

「3日分か……それは今晩は、寝れそうにないな」

「まぁ、仕事帰りのウィズにはきついかもな」

「別に、お前との会話なんて。大して疲れる事もない」

 

 そう言って口元に薄く笑みを浮かべるウィズに、俺はやっと戻ってきたと心底ほっとすると、そこから二人で話したい事を話したいように話した。

 

 その中で、俺が倒れた後にやってきたヴァイスが、またしても酒瓶持参だった話なんてのは、やっぱり彼らしくて笑ってしまった。

 

 あと、どうやら俺の“死にやすさ”については、バイやトウ、そしてアバブも知る所となったらしい。「悪かったな」と謝るウィズに対し、さすがにそれは不要な謝罪だと、俺は受け取らなかった。

 

 だって、たかがあんな程度の火傷で、患部は焼け爛れ、意識を昏睡させるなど、真実を話すより他ない状態だ。きっと少しでも誤魔化そうものなら、バイが癇癪を起して店内で破壊の限りを尽くしていたに違いない。

 

 きっと次に会った時は、勢いよく攻撃でもするかの如く突進してくるかもしれないので、気を付けておこうと思う。

 あぁ、アバブには成り行きとは言え、とんだ重い話を聞かせてしまった。申し訳ない。

 

 そう、話し始め、夜も大分更けてきたかという時、ウィズが俺に問うてきた。

 

「なぁ、アウト」

「ん?」

「お前の父親について、聞いてもいいか」

「お父さん?」

「お前とアボードの父親。こないだは母親の話しか聞けなかったからな。お前の事を聞かせてくれ」

「俺の話?別につまらんと思うぞ?俺の話なんて」

「俺は、お前の……“アウト”の話が聞きたいんだ」

 

 ウィズの言葉に俺は、湧き上がってくるような喜びを止められずに、ベッドから上半身だけ起こし、まくらを背もたれにしていた状態から、勢いよくベッドから降りた。

そんな俺にウィズが首を傾げていると、繋がれた手のまま座っていたベッドの椅子から立ち上がらせ、ベッドの淵へと座らせる。

 

「どうした、アウト」

「隣に座って話そうと思ってさ。同じ方向見ながら、木の枝に腰かけてるみたいに!」

「……あぁ、そうだな」

 

 ウィズは一瞬その顔にオブを浮かべて頷くと、二人してベッドの淵に腰かけた。手は、まだ繋いだまま。この手は離してはいけないと、俺は何故か、本能的に思ってしまったのだ。