けれど、問題はその試験の内容だ。
多少予想はつくが、一応確認しておかなければならない。
「筆記と実技。筆記はまぁ、あまり問題ない。座学で学べる事を一通りこなしておけば、どうにでもある。あとは実技だが……分隊として持っていた専門部隊から、小隊は一気に複数の専門分隊を統括する可能性もあるからな、こっちだよ。なかなか難しいのは」
「アボードの専門は確か……」
「俺もアボードも陸上が専門だ。なぁ、アウト。陸はいいぞ。騎馬、歩兵、弓兵、重騎兵。陸上の方が、もちろん海や空よりも戦域が安定して広い分、戦い方も多彩に練れるから好きなんだよ。マナもバンバン使って剣もガンガン使って作戦系統も考えるだけで、ワクワクする!」
急に少年のような目で、楽しそうに語り始めたトウに、先程まで泣いていたバイが「男って奴はこれだからな」と、ソレを男のナリで言うものだから面白い。
イマナイタカラスガモウワラッタ。
まぁ、そうだな。男って奴は“おやまのたいしょう”が大好きなのだ。バカだとは思うだろうが、分かってやってくれ。
「けど、小隊長クラスにもなると、得意分野がある事は許されるが、専門外を作る事は許されない。だから俺とアボードにとって一番きつい試験は、空海専門の航空騎馬と勇魚騎海の取り扱いだろうなぁ。俺は……勇魚は苦手だ。酔うから」
「ぶはっ!酔うだって!あはは!俺は勇魚は好きだぜ!目が可愛いからな!俺専用の勇魚が欲しいくらいだ!」
頭を抱え溜息を吐くトウに、バイは本気で先程までの涙をカラッカラに乾かし、ケラケラと笑い始めた。
「俺、別に昇進はしてもしなくてもどっちでもいいけど、海上部隊は一回入ってみたいよなぁ!海も殆ど見た事ないし……異動願いでも出してみるか?」
「バイ?そういうのは、成婚して蜜月周遊で行こうな?」
そう、やんわりとバイの異動願いを成婚での記念旅行に置き換えるトウの姿は、最早、俺の中ではきちんと定着し過ぎて「昔のトウが格好良かった!」などと子供のような事を思う事もなくなった。
こういうトウの姿も、今では“お父さん”と被って見えてきたりもするので、やっぱり俺はトウを嫌いになれないのだ。
けれど、まぁ、今はそんな事を思っている場合ではない。
「航空騎馬って……飛ぶ?」
口にしながら、俺はなんとも当たり前の事を尋ねてしまってるな、と思わず苦笑した。
「そりゃあ、飛ぶな。アウトは航空騎馬を見た事はないか?背に羽の生えた、まぁ、馬だな」
「ちょっとなら、見た事ある」
そう、何を隠そうお父さんは空専門の部隊に所属していた。なので、幼い記憶ながら、航空騎馬で空を自由に滑空する姿に、感動と羨ましさを覚えたものだ。
そう、航空騎馬とはまさにそういうモノだ。
空での戦いを専門とする専門家。
空を飛ばない訳が、ないのだ。
「なぁ。その試験って、いつ?」
「あぁ、わかった!アウト、お前さ。兄貴の昇格試験の見学がしたいんだろ?でも、関係者以外は見学できないんだなぁ!これが!まぁ、気持ちは分かるぜ。兄貴の航空騎馬と勇魚騎海での闘いっぷりなんて、絶対格好良いもんなあ……!非番の奴らも絶対に実技試験は見に行くって言ってた!」
「……そっか」
そう明るい表情で口にしてくるバイからの情報は、もうどれもこれもアボードを追い詰める最悪の状況を意味していた。
男とは、上に立つ者とは、兄貴とは。
そんな男の矜持でがんじがらめになったアボードにとって、今の状況での心労はうかがい知るに難くない。
きっと、今もどこかで自身の中に巣食う、空への恐怖と戦っているに違いない。涙を流す事も出来ず、そして、逃げ出す事も出来ず。
そんな弟に、俺は一体何をしてやれるだろう。
———-お前は自分が死ぬのと、俺が崩れ死ぬの、どっちが怖い?
———-お前が、崩れ死ぬの。
そう、昨日苦しそうに口にしたアボードの言葉が過る。
怖い事を乗り越える方法は二つあると、俺は思う。
一つは、自身の心が壊れる可能性を加味しても、真っ向から立ち向かう事。
これが出来るなら、誰も苦労はしない。けれど、これが一番正攻法だ。これがやれるなら、乗り越えた時、きっと本人には代えがたい“力”になる。
けれど、失敗した時の代償は、どれほど大きいだろう。
「……バイ。俺、アボードが受かるように、“めーどの土産”を持たせてやりたいからさ、航空騎馬の試験がいつか教えて」
「めーどのみやげ?何だそれ?合格のおまじないみたいなものか?」
「まぁ、そんなとこ」
「めーどのみやげ、俺も欲しい。アウト!俺にも頂戴!」
そう、いつもの如く目をキラキラさせて此方を見てくるバイに、俺は両手でバッテンを作って拒否した。
「ダメ!これは“弟”限定のやつなんだ!だから、バイ!お前にはやれない!」
「っ!」
「で、試験の日はいつ?」
「んんんんんんん!!」
きっとここまでハッキリと俺が拒否してくるとは、バイも思わなかったのだろう。一瞬、俺の返事に目を大きく見開くと、次の瞬間には我慢ならないとでも言うように、床に足をバタつかせ始めた。
お前は小さな子供か!そうなのか!?
「何言ってもダメ!このお土産は、兄から弟へ決死の覚悟で送られるものなんだからな!!」
「なんだよ!兄貴ばっかり!俺だってアウトの事好きなのに!兄貴にも負けないくらいの忘れられない男になろうと思って頑張ってるのに!なのに……おみやげは本当の弟だけなんて……」
一体何をどんな風に頑張っているんだよ。
と、そんな指摘を入れてしまいそうになったが、けれどそんな無粋な指摘は入れられっこなかった。
「俺だって、おれだってさ。アウトが好きなのに……」
「バイ」
口にしながら、またしても眉をヘタりと寄せ始めたバイに俺は心底困ってしまった。
そう、俺はこのバイの悲しそうな表情に、とてつもなく弱いのだ。こんな顔をさせてしまっているのが、他でもない“自分”である事実がまた堪らない。
「分かったよ!もう!バイ!お前には別の決死の覚悟のお土産をやるよ!」
「っな」
なにを!?
そう、口に出そうとした瞬間のバイの顔を、俺は空いた両手でそっと挟むと――。
ちゅ。
そのまま勢いよく、その額に口付けを落としてやった。少し勢いをつけすぎたせいで、バイの額に俺の歯の跡が付いてしまった。あぁ、やっぱり慣れない事はするもんじゃない。
「あ、あうと」
「これが……俺からバイへの、めーどの土産だ」
これは、よくお父さんが俺とアボードに、寝る前にしてくれた事だ。
アボードはガキじゃないんだから、と嫌がる素振りを見せつつ、けれどいつだって本気で拒否した事はなかった。
「…………」
バイは俺の歯の後と、少しだけ唾液で濡れてしまった額に手を添えると、しばらく目を瞬かせて俺の方を見ていた。そんなに見ないで欲しい。俺だって恥ずかしいのを我慢してやったのだ。
「あうと。これ、兄貴にした事ある?」
「ある訳ないだろ!?こんな事!バイが初めてだよ!?」
そんな事してみろ!それが何歳だろうと、俺はきっとボコボコにされていたに違いない。そんな気持ちを込めてバイを見ると、そこには額に手を当てたまま、ニコリと子供のように笑う男の子が居た。
こんなに嬉しそうに笑ってくれるなら、決死の覚悟で口付けをした甲斐があった。
そう、決死の覚悟で。あぁ、決死の覚悟で。
俺はバイの後ろで完全に温もりを失くした目で此方を見てくるトウの表情に、思わず俺は先程までの覚悟を完全に撤回した。
「ちょっと、俺。お手洗いにいってくるわ」
ともかく一旦、この場から離れよう。速やかに離れよう!
試験の日程は、また後で教えて貰えばいい!
俺は、可愛い可愛い実の弟に、もう一つの”怖い事”を乗り越える、邪道とも言える乗り越え方をお土産に渡すまでは。
死ぬわけにはいかないのだから!