202:友からの誘い

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 首都への帰還を、あと数日と控えたある日。

 

 

 俺は町での最後の仕事だと、集会所に集まる町の代表者達を前に、自身の帰還とその後、この町を管理管轄するのが、ビロウである旨を伝えた。

 

『今後、町の運営や方針について相談がある場合は、これまで通り、月に1度、この場を借りて申し出てください』

『本当に戻られるんですね』

『ええ、もう俺も来年は成人です。帰ってくるようにと、家元からの指示が来ましたので』

『本当に、寂しくなるな』

 

 そう、町の代表者である大人達は皆、俺の帰還を非常に残念がってくれた。残念な気持ちと、今後への不安。彼らの表情には、そのどちらの色が濃いだろう。

 

 まぁ、確かにビロウはこの町の住人達と上手くやれているかと聞かれれば、そうとは言い難い。ただし、それはビロウの捻じ曲がった性格によるものも、確かにあるのだろうが、ただ単純に、“共に過ごしてきた時間の差”というのも、大きくある事を、俺はきちんと理解している。

 

 俺は、父が最初にこの村の立地に目を付け、村への振興事業に乗り出した時から、共にこの村で過ごして来た。

 時間の偉大さ、そして父の残した実績の偉大さ。

 その2つが揃って、今の彼らの俺への信頼があるのだ。

 

 特に、父の力は絶大だ。

 此処で採れるレイゾンの品質の良さ、そして首都と隣国の中継貿易地点としての立地条件の良さに価値を見出した父の目論見は、大きく当たった。

 

 そこからの村の発展は凄まじく、ここでの父の評判は最早英雄かそれに近いモノがある。それ故、父から町の管理管轄を俺へと委譲された時などは、今以上に父を惜しむ声が凄かった。

 けれど、そんな声も、やはり時が全てを解決してくれた。

 

『未熟な俺を、ここまで支えてくれた皆に感謝します。ありがとう』

『オブ』

『オブ様』

 

 父が首都へ帰還して3年。今や俺が惜しまれる立場なのだ。きっとまた数年、いや1年もしないうちに、ビロウはこの町に馴染むだろう。

 

 時は、誰にも平等であり、その圧倒的さ故、誰に対しても残酷になれる。

 

 俺は殆ど心をそこに置けないまま、何故か心に巣食う嫌な感情にその身を支配されていた。集会所から屋敷への帰り道、俺はただただ妙な不安に襲われ続ける。

 そう、先程の別れを惜しんでくれた皆の顔が頭を過る。『オブ様なしで、私達は大丈夫でしょうか』と、口にするその口で、3年前は父の名を呼び、心から惜しんでいた。

 

 あぁ、人とはこうも過去を忘れられるのか。一度過ぎ去った者を、顧みる事などないのか。

 

『…………くそっ』

『オブ』

 

 悪態を吐いた俺の背後から、俺の名を呼ぶ、低い声がする。

 

『……フロムか』

『なぁ、ちょっと二人でやっていかないか』

 

 そう言って、自身の目の前に持ち上げて笑顔で見せて来たモノ。それは、この村のレイゾンで作られた酒だった。

 

『……お前、そんなのどこから』

『家にあったのをくすねてきたんだよ!』

 

 俺がこの村に来た頃は、この村の住人は皆、貧し過ぎて自分達の造ったレイゾンを、それで作られる酒を、自分達で消費するなどあり得なかった。彼らは、ただの劣悪な環境の下、酷使されるだけの安い労働力だったのだ。

 

『最初の酒はお前と飲みたいって思ってたんだよ。こうして酒が飲めるのは、お前とお前の親父さんのお陰だからな』

『………俺は』

 

 俺は何もしちゃいない。

 それもこれも、全て父が変えたのだ。

 

 交通網を整え、多額に掛けられていた郵税を最低限まで下げさせ、挙句、元々高かったレイゾンの品質を売りにして村のレイゾンから作った酒を、高級銘柄として首都に高く売り出した。

 父は力の無かったこの村と、近隣諸国との間で、フェアトレードをその手腕で成したのだ。

 

 

 たった一人の人間の為に。

——–じゃあな。スルー。俺はお前を、ずっと愛しているよ。

 

 

 そう言って、俺が見たこともないような優しい笑みを浮かべ、彼と抱擁を交わした父の姿を、俺は今も忘れる事は出来ない。

 父は、自身の出世の為にこの村を富ませた訳でも、自身の領民である村人たちの為に懸命に働いた訳でもないのだ。

 

 父はたった一人の“幸せ”の土台を作り上げる為だけに、その手腕を、自身の才能以上に振るった。

俺にはそんな事出来ない。自分の見えていない所で、自分の最愛の幸福を願える程、俺は“大人”になれない。

笑える。俺は、インに対しては「アイツは何もわかっちゃいない。子供なのだから」と背を向け、自身の行動の正当性を得た筈なのに、こちらで都合が悪くなれば、今度は“大人”になれないという。

 

 もう、グチャグチャだ。理論も正当性もあったものじゃない。

 

『……まだ未成年だ』

『そう固い事言うな。俺からの餞別だと思って、付き合えよ』

 

 そう言って無邪気に笑うフロムの顔を見ると、俺はもうすぐ首都へ帰還する事も、もうすぐ成人の儀を迎える事も忘れてしまいそうになる。まだまだ俺達は、あの幼かった頃の姿のままで、明日も皆で森を駆けまわれるのではないかという夢想に駆られる。

 

 けれど、脳裏に過る少女の言葉が、俺の耳に強く突き刺してきて、それは許さないと釘を刺してくる。

 

———-オブ!お前は選ばなかったな!?逃げたんだ!

 

『なぁ、フロム。お前、ニアから何も聞いてないのか』

『ニア?いや、何も。何かあったのか?』

『いや、別に』

 

 俺はフロムから目を逸らしながら、耳元でニアが静かに『また、私をバカにしたわね』と、言うのを聞いた気がした。

 あぁ、そうだ。俺はお前を侮っていた。そして、侮っている。インは救えないと、お前は何も出来ないと。

 

『どうせ、お前らの事だ。インの事で喧嘩でもしたんだろ?別れるオブが一番辛いってのに、本当に悪いな』

『……ニアの事で、お前が謝るような関係なんだな、もう』

『そんな事はいい。場所なんてもうどこでもいいからさ、早く飲もうぜ』

 

 俺はフロムに無理やり1本の酒瓶を持たされると、その足は俺達が最初に出会った、あの原っぱへと自然と向かっていた。

 

 そう、全てはあの場所から始まった。インとも、そしてフロムとも。