206:代償

 

 

「ちょっと待った!!お前ら!ほんとなんで喧嘩なんかしてるんだよ!?意味わからん!」

 

 

 俺はズンズンと部屋の中で向き合う二人の男と、傍でオロオロとする体の大きな男の、ちょうど真ん中に立った。

 部屋を出る時は、あんなに見事な殺気を放っていた男も、今では形無しと言った様子だ。

 

「バイ、お前は一体なんでそうウィズを虐める?可哀想だろうが!」

 

 そう、俺がバイに向かって声を大にして言うと、それまで怒りに塗れていたバイの表情の中に、一気に悲しみの色が混じり始める。

 あぁ、あぁ、また泣く気か。

 

「っ!いっ!虐めてなんかねーよ!だってコイツが悪いんだ!全部コイツが悪い!自分ばっかり辛い事から逃げてズルして、インに、お前にばっかり辛い所を押し付ける!」

 

 バイからの容赦のない言葉に、視界の端に映るウィズの体がビクリと跳ねる。

 あぁ、もう。こんなウィズ、初めて見る。今すぐ抱きしめてよしよしと背中を撫でてやりたいくらいだ。

 

「別に、俺は何も辛い事なんか押し付けられてないぞ?」

「嘘つけ!ウィズは自分の意思なんてハッキリ理解してる癖に、ずっとオブの決定した事の後ろに隠れて出てこない!弱虫だ!自分の中のオブと戦う事もしないで、お前の優しさに、この狡い奴は付け込んで甘えてるんだ」

「はいはい。いいんだよ、それでも」

「アウト!?」

 

 俺の手が、バイの肩を撫でる。落ち着け、落ち着け。という想いを込めて、優しくゆっくり撫でてやる。

 

「あうと、よくない。よくないよ、そんなの」

 

 俺を見て悔しそうに拳を握るバイの目が、俺を捉える。俺はどうしてバイが、こんなにも辛そうな表情を浮かべるのか、全く分からない。ただ、その辛さは、俺の為に、俺のせいで生じている事は分かる。

 あぁ、バイにとっても俺はきっと“巨悪”なのだろう。

 

「あうと……お前、なんで、どうして?いつもそんなに自分を雑にする?自分の気持ちを顧みない?お前だって、ウィズのこと……」

「バイ!」

 

 ウィズのこと。

 そこから先は言ってはいけない。それを言ってしまったら、ウィズが余計に苦しむから。

 

「なぁ、バイ?お前が俺を選んでくれた事は、嬉しいよ。けれど、その選択を他人に“強要”したら、いけない。だってさ、お前の言うように“オブ”が選んだ事を“ウィズ”が黙って見ている事。それこそが、もう答えなんだよ。決定しない事、戦わない事、それもまた一つの選択なんだよ」

「そんなの、屁理屈だ」

「いいや、理にかなってるね」

 

 俺は自分よりも身長の高い男の、その燃えるような赤い髪を一撫でしてやった。

 

「それに、だいたいなんだ?俺とインの、そんな謎で無意味な二者択一。そもそも、俺かインか?なんていう前提が、まずおかしい」

——–なぁ、ウィズ?

 

 そう、俺は頼りなく立ち尽くすウィズに、チラリと視線をやった。

 

「あうと、俺は……今」

「大丈夫だよ、ウィズ。オブとウィズを無理やり2つに分けなくていい。悪いな。俺のせいでお前を迷子にさせて」

「…………」

 

 俺はそもそも、インと並び称されるような人間じゃない。俺は前世もマナもない、ただの“アウト”なのだから。

 だから、そんな悲しそうな顔をしないでくれよ。

 さぁ、ウィズ。笑って。お前の幸福が俺の幸福なんだから。

 

「言ったろ?俺はお前に選択権も決定権もやらないって!お前は絶対にインに会える!心配しなくても大丈夫!俺が絶対に探し出してやるって、前に約束したよな?やり方は分からないけど、今の俺だったら、なんだかインを探し出せそうな気がするんだ!」

 

 まぁ、根拠なんて、何もないけどな!

 けれど、ともかくこの確信だけでも伝えて、ウィズを少しでも安心させてやりたかった。

 これは、インと俺の二者択一ではない。俺は、インという一者択一のその大事な1つを、揃えるただの裏方なのだ、と。

 

「なぁ、あうと」

「ん、どうした。ウィズ」

 

 ウィズの手が、俺の肩に触れる。まるで、俺が此処に居る事を確かめるように。その手は思いのほか、力が強く少しだけ痛かった。

 

「アウト。お前、インを探し出して」

「あぁ!約束する!俺が絶対にインを」

「違う!最後まで聞け!」

 

 ウィズの悲鳴のような怒鳴り声が俺の耳を突く。その声と表情に、俺はなんとなくバイの言う事も一理あるな、とぼんやり思った。

 今、ここに居るのは“ウィズ”だ。ウィズがオブを押しのけて、俺の事を見ている。

 

 

「そしたら、アウト。今度は“お前”が居なくなったりしないよな?」

 

 

 そのウィズの問いに、俺は何故か何も答える事が出来なかった。

 

 

 

        〇

 

 

 

「…………いち、に」

 

 その晩から。

 俺はシャワーを浴びながら、体に出来上がった赤い点々を、1つずつ数えるようになった。