208:嘘の約束

『オブ、なんで。こんなにも、“イン”を選んでくれているのに、肝心の“俺”を選んでくれないの?』

『イン、もっと俺が傷付けたら忘れないでいてくれる?もっとお前に乱暴な事を言ったり、怖い事をしたらいい?絶対に消えない傷を作ったらいい?』

 

 疑問と疑問。回答のない問いの応酬。

 

『そうだ。いつも、見えない所に付けてたね。今度はインに見えるところに跡をつけよう。さあ、服を脱いで』

『……オブ。オブはそれをすると悲しくなくなるの?苦しさもなくなる?』

『っ!余計な事を言うな!』

 

 インの核心を突いた問いに、俺はとっさにインの頬を叩いた。パシンという乾いた音が、夜の静かな森の中に響く。

 傷を付けて、俺の中にあるこんなに深い悲しみや苦しみが消えなかったら、もう今度は俺はどうすればいいんだ!

 

『お前なんかと出会わなければ良かった!そしたら、俺はこんなに苦しい事はなかったのに!』

 

 俺はインを近くの木に叩きつけるように押し付けると、インの服を乱暴に脱がせた。

 

『オブ、もう……ダメなの?約束は、もうない?無くなった?』

『…………』

 

 インの言葉になど、耳を貸さない。苦しくなるだけだから。

インの余り肉の付かない、薄い体が露わになる。やっぱり、多少この町が豊かになったとしても、インの体からアバラが浮かなくなる事はなかった。

 

『オブ。俺、オブの言う通りにするから』

『…………』

 

 

 秋も終わり。そんな夜に上半身だけとは言え、服を脱がされたら寒いだろう。

 自分がそうさせた癖に、俺はインが風邪を引いたらいけないな、と最早反射のように思ってしまった。

 寒くないように、俺が抱きしめてあげればそれでいいだろう。

 

 あぁ、バカバカしい。

 

『オブ。もう、嘘でもいいから』

 

 俺はインの体のありとあらゆるところに口付けを落とした。口付けをして、少しでも長く跡が残るように祈る。きっと、こんな跡。すぐに消えてしまうのだろうけれど。

 

『おぶ、約束をしよう』

 

 首の根元、鎖骨と鎖骨の間、アバラ骨の浮き上がる場所、臍の横、もう、ありとあらゆる場所に俺は跡を付けていく。

 白かった肌に、赤い点が大量に、大量に。それはもう、病的な程に。

 吸ってみたり、噛んでみたり、爪を立ててみたり。

 

 これは、儀式だ。

 

『おぶ。俺は、絶対に首都に行くから。首都で、お店を開いて、オブが来るのを待ってるから』

 

 頭の上で、インが何かを言っている。どうやら、泣いてくれているようだ。もっと、悲しんでもらわないと困る。

 インには俺だけを待って、俺だけの事を想って、一人で寂しく死んでもらわないといけないんだから。

 

『絶対に、俺の、お店に、来てね。約束。やくそくね』

 

 俺はインが一体何を言っているのか、一切分からないまま、夢中でインの体を貪った。貪りながら、俺はインの言葉に反射のように頷く。

 

 

『うん』

 

 

 絶対に果たす気などないこの約束を、俺はこの時、確かにインと交わしたのだった。

 

 

 

 

      ●

 

 

 

 

きみとぼくの冒険。第7巻。第5章。

 

【うそつきの王子様】

 

 

 

 

 

『王子様?』

『…………』

 

 僕は王子様と、大人国のなかでも一番広い美しい公園で向かい合っていた。

 僕が読んでも王子様は全く返事をしてくれない。

 

 大人国はずっと夜だ。大人は夜にだけ自由になれるんだそうだ。だから、この国からはずっと、ずっと月が見える。

 

 昼間は“不自由”にならないといけないから、ずっとこの国は夜。子供はいつだって“自由”だから。だから、大人国の大人は、子供を見つけたら牢屋に入れてしまうのだ。

 

 子供がうらやましくて、ねたましいから。

 

『王子様……どうしちゃったの?ねぇ。おうじ……っあ!』

『いけない!もう薬が切れてしまう!』

 

 僕の体がピカリと光った。

 

 その光とともに、僕の胸に大人国の住人の証である、フクロウのブローチに化けていたファーまでもが、いつもの姿に戻ってしまった!

 

 そう、僕は大人の姿の王子様を前に、薬が切れて一気に子供の姿に戻ってしまったのだ!そのせいで、まわりに居た大人達が一斉に、僕と王子様の方へと目を向ける。

 

『子供がいるぞ!』

『なんてことだ!』

『大人になるまで牢屋に入れておけ!』

 

 これは大変なことになった!

 僕は周りでさわぐ大人達の声に、早く逃げなければと王子様に目をやった。

 けれど、僕の薬は切れてしまったのに、どうして目の前の王子様の体は全く変化がないのだろう。僕よりも先に王子様は大人国に来ていた筈なのに。

 

『掴まえたぞ!』

『あっ!』

 

 

 そんなことを考えていると、周囲に居た大人の一人が僕の手を掴んだ。

 

『王子様!逃げて!王子様まで捕まっちゃうよ!』

 

 僕が王子様に向かって大声で叫ぶ。けれど、王子様は悲しそうな顔で僕を見るだけで、まったく動こうとしない。

 それどころか、まわりの大人達は僕を捕まえて、地面に押し付けてくる。

 その拍子に、僕の足は地面へと勢いよく擦り付けられ、きっと足からは血が出ているに違いない。

 

『やめて!いたい!いたいよ!』

『あぁっ!なんてことだ!必ずわたしが助けにきます!だから、待っていて!』

 

 ファーはそう僕に向かって言うと、その大きな羽を羽ばたかせて夜空へと飛んで行った。その背中を見送りながら、僕は血の流れる足のまま、大人達に顔を地面に押し付けられてしまった。

 

 痛くて、怖くて、仕方がない!でも、そんな事を言っている場合じゃない!

 

『王子様!月の王子様は!?』

 

 そういえば、王子様はどうなってしまっただろう!

 王子様はちゃんと逃げられただろうかと、先程まで王子様が居た場所を見上てみると、そこには変わらず大人の姿をした王子様が居た。

 

『王子様!早く逃げないと!……王子様?』

 

 黙って立ったまま、その場を動かない王子様に、僕は首をかしげた。どうして王子様はこんなに悲しそうな顔で僕を見ているのだろう。

 どうして、泣きそうなのだろう。

 

 そんな事を考えている僕の耳に、次の瞬間、とんでもない言葉が耳に入ってきた。

 

『王様!この国に侵入した子供を捕まえました!』

『えっ!?』

 

 そう言って僕を捕まえていた大人の一人が、大人の姿をした王子様に言う。

 王様。王子様じゃなくて?しかも、この大人国の王様?

 僕は茫然とした気持ちで、泣きそうな大人を見た。

 

 

『王子様?……もしかして、君は、もともと』

 

————大人だったの?

 

 

 僕の問いかけに、王子様は何も答えなかった。ただ、大人の証である、フクロウのブローチだけが、ピカピカと夜の闇に光り輝いていた。

 

第3章:酒極まって、乱となる
米騒動
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