210:手帳

 

「うん、いいな。これ」

 

 きっと、俺は自分自身に皆のような古い歴史がないので、古めかしくて歴史を感じられる、こういったモノが好きなのかもしれない。

 こういうのを、”無いモノねだり”とでも言うのだろうか。

 

「まぁ、いいか。たまには」

「へ?」

 

 すると隣に立っていたウィズが、そう小さく呟くと、俺の手の中にあった花瓶をそっと横からさらって行った。

 

「ウィズ?」

「すまないが、店主。この花瓶を貰えるか。あぁ、この店に後日届けてくれ」

「わかりました」

 

 そして、ウィズは店主に対し、多目の金と商品、そして店の名刺を渡しながら、そんな事を言う。俺はと言えば、自分で購入を勧めておいて何なのだが、本当に購入するとは思っていなかった為、しばらく目を瞬かせてウィズを見つめてしまった。

 

「……!」

「どうせ、またチョロイとでも思っているのだろう?」

「うん!でも、俺はちょろいウィズは好きだ!」

「まったく。本当にお前は、そうやって俺を良いように使う。腹立たしい事この上ない」

「ふふ」

 

 全く腹立たしさなど欠片も浮かべていない表情で、そう口にするウィズの横顔は、とても優しい。あぁ、今日は本当に良い一日だ。

 

 そこから、俺達は更に市を見て回る。

 露店に並ぶ羽ペンや、古い椅子、箱物など、ともかく俺の好きな雰囲気の“古さ”が、どこを見ても目に入って来るので、見ているだけで満たされてしまう。

 

「アウト。そう言えば、お前。もう手帳の頁が無かったじゃないか」

「ほんっと、ウィズはよく見てるなぁ」

「カバーはそのまま使うとしても、中身は必要だろう。ついでに買ったらどうだ」

 

 確かに、もうあの手帳は中身がいっぱいだ。先程パラリとカバーを見るついでに頁を捲ってみたりもしたが、最後の頁まで、俺は既にギッシリと色々な事をメモしている。

 この中身も、ウィズと出会ったばかりの頃は、まだまだ空いた頁が山ほどあったのに。もう、こんなに沢山色んな事を書いたのか。

 

 それもこれも、ウィズが俺の知らない事をたくさん、たくさん教えてくれたからだ。

 けれど、もう手帳はいい。

 

「いや、いいよ」

「なんでだ?まだ使うだろう。いい、ついでに俺が買ってやろう」

「ううん。もう使わないだろうから。いらない」

「なんでだ」

 

 いらない、という俺の言葉に、俺が遠慮しているとでも思ったのだろうか。ウィズが異様に厳しい顔で此方を見てくる。いや、そんなに手帳くらいで詰問して来るような事か。

 

「いや、もう。メモはしないかなって」

「お前はメモを取らなければ、覚えられないだろう」

「バカにし過ぎだ!メモしなくても、俺はもう覚えてられるからいらないの!いらないったら、いらない!」

 

 売り言葉に買い言葉。ウィズの「メモがないと覚えられない」という言葉に、俺は反発するように、ウィズから視線を逸らして腕を組んだ。

 もうメモはしない!しないから手帳もいらない!

 

 そう、どうして自分がこんなに頑ななのか、自分でも良く分からなかった。

 

「もういい」

「っ、ウィズ?」

 

 すると、それまでの俺とのやりとりを中断し、ウィズが俺に背を向けてズンズンと歩を進めていく。俺はまさか、そんなにウィズが怒ってしまうような事だとは思わず、慌ててウィズの背中を追った。

 

「ウィズ?怒った?俺、別にウィズが買ってくれるっていうのに気を遣った訳じゃないんだ。ほんとに、メモはもういらなくて」

「…………」

「ウィズ」

 

 俺は追いかけても全く此方を見てくれなくなったウィズに、先程までの楽しかった気分が一気に萎んでしまうのを感じた。こんな風になるんだったら、素直にメモ帳くらい買って貰えば良かっただろうか。

 

「…………」

 

 けれど、いらないものを買ってもらうのは気が引ける。俺は離れていくウィズの背中をぼんやりと見送りながら、その場に立ち尽くした。

 追いかけて良いものだろうか。ウィズは怒っていたみたいだし、俺が呼んでも返事をしてくれなかった。

 

「わからん」

 

 俺はいつまでたっても“ぎょうかん”が読めない。読めなければ、どこまで相手に踏み込んで良いのかもわからない。俺はこれ以上ウィズに、嫌な想いはさせたくないのだ。

 

「ん?」

 

 俺はふとすぐ近くにあった露店に目をやると、どうやらそこは古い時計を扱う店のようだった。どれもこれも古めかしいく、けれどどれもこれも細かい装飾が施されていて、とても素敵だった。

 

「あ」

「どうしました、お客さん」

 

 そう、声を掛けてくる髭を生やした老店主を他所に、俺はとある一つの時計に目を奪われていた。思わず手に取ったソレは、見た目よりも重さがあり、それこそ長い歴史を思わせるような、鈍い銀色の光を放っている。

 

「これを、ください」

 

 最早それは反射だった。

 値段など見ずに、思わず口から零れるように放たれた「ください」という言葉。俺の手持ちの金は少ない。少ないけど、これは何故か無性に欲しいと思ってしまった。

 

「これで、お願いします」

「まいどあり」

 

 店主が口にした値段は、驚くような程高くはなかったが、正直普段の俺ならば絶対に手を出さないような金額だった。今まで、酒と貯金以外に金の使用目的はなかった俺にとって、コレは初めての高い買い物だ。

 

「良いな、これ」

「大事にしてあげてくださいね」

 

 そう、俺の手の中に納まった時計を見て穏やかな様子で口にする店主に、俺は深く頷いた。あぁ、これで今日の予算は全て使い切った。使い切ったけれど、後悔はない。

 

 そう、俺が買った時計を鞄の中に仕舞った時だった。

 

「アウト!おい!勝手にウロチョロするな!」

「え?」

 

 俺の肩が勢いよく後ろに引かれる。肩を引かれた拍子に振り向いて見ると、そこには焦ったような表情で目の前に立つ、ウィズの姿があった。

 

「ウィズ……」

「気付いたら居ないから肝が冷えたぞ」

「いや、ウィズ。俺に怒ってたみたいだから、もう俺の顔なんて見たくないと思って」

 

 だから、と言葉を続けようとした俺に、ウィズは深く眉間に皺を寄せた。あぁ、俺はまた、ウィズを怒らせてしまったのか。

俺は本当に“ぎょうかん”の読めない、ダメな奴だなあ。

 

「ウィズ、ごめん。俺、」

「いや。アウト……俺が悪かった。子供のように些細な事で、無駄に腹を立ててしまった。俺が悪い」

 

 けれど、些細な事でも、俺はウィズに腹を立てさせてしまったのだ。手帳を要らないと言った事で、どうしてウィズをそこまで怒らせてしまったのか、俺には分からない。分からないから、きっと俺はまた同じ事をするのだろう。

 

「アウト。これを何も言わずに受け取ってくれ」

「ん?」

 

 そう言って、ウィズは俺の手を掴むと、俺の掌に1冊の手帳を握らせてきた。それは俺のお気に入りの手帳カバーにちょうど合う大きさのモノだった。

 手帳はもう要らないと言った。言った俺に対し、ウィズはわざわざ手帳を買って来てくれたようだ。

 

「ウィズ?」

「アウト。頼むから余り投げやりにならないでくれ。これから先が自分に無いみたいに、自分の未来を雑に扱うのも駄目だ。だから、これから先も、些細な事でも何でもいい。気になった事、好きな事、もう嫌な事だって何だっていい。なんでもいいからメモをしてくれ。お願いだから、もっと“執着”してくれ」

 

 執着。

 その言葉が俺の耳につく。つくけれど、何の意味も理解できないままスルリと通り過ぎていった。