212:父の文通相手

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『オブ様、分かっていらっしゃいますね』

『ああ、分かっている。何度も言われなくとも、分かったと何度言えばわかるんだ』

『くれぐれも、もう脱走などされませんように』

『脱走って……俺はあっちでも仕事をしていたんだ。別に遊んでた訳じゃない』

『そうかもしれませんが……』

 

 首都の実家に帰ってきて、1か月が経った。

 今日も、俺は周囲から成人の儀に関するあれやこれやを言われながら、ぼんやりと過ごしている。今もそうだ。ハッキリ言って、俺は実家に帰って来てから、自分が何をして過ごしてきたのかなんて、まともに覚えちゃいない。

 

 俺は何度も何度も、しつこく口うるさく今日の予定を伝えてくる執事に頭を抱えたくなった。

 

『オブ様。しつこく言う私を目障りに思っていらっしゃるかもしれませんが、もうオブ様も子供ではないのです。こちらで果たさなければならない義務がある事を、充分理解してくださいますよう』

『だからっ!分かったって言ってるだろう!?』

 

 思わずらしくもない大声を上げた俺に、執事は『オブ様』と言い聞かせるように言葉を続ける。

 

『私は心配なのです。貴方は今まで、目を離すとすぐに此方から馬車に乗って駆けるように去っていかれていた。今日は貴方にとっても大事な日、私が心配しない訳がないのです』

『……分かっている。もう、これまでの事は悪かったと思っているんだ。今日は俺の婚約者と会う日、ちゃんと全てこなす。だからもう、出ていってくれ』

『オブ様……』

 

 そう、周囲がこれ程にまで俺を見張るように目を光らせてくるのは、それまでの自分の行いのせいだ。止めても何を言われても、俺は誰の言葉も聞かずに、“あの場所”へと駆け出していたのだから。

 まるで子供のような自身の行いに、今の俺は思い出すだけで呆れてしまう。あぁ、あんな事をしても結局は“こう”なった。まるで無意味で、何の結果も残せない、無駄な足掻きだった。

 

 ただ、あの呆れるような行動力を発揮できていた頃の方が、俺は随分と自分らしかったような気もするのは何故だろう。

俺はもう“大人”な筈なのに。未だにこんな事を考えてしまう自分が、よく理解出来ない。

 

『もう、俺は此方に帰ってきたから安心してくれていい。あっちはビロウに任せてある』

『わかりました。あちらのご令嬢がいらっしゃる時間は、わかっておいでですね?』

『あぁ、ああ。わかってる。少し、休ませてくれ』

 

 何もしていないのに、一体何に俺はこんなに疲れ果てているのだろうか。

 そんな俺の、半ば懇願するような頼みを、執事はやっと受け入れてくれたようで『また、後ほど』と言い残し、部屋から出ていった。

 

 一カ月。もう、あの町を離れてそんなになるのか。

 インと離れて、1か月しか経っていないのか。それこそ、もう何ヶ月も、何年も経ったような感覚だ。

 

『インはバカだから、もう俺の顔なんて忘れてるかな』

 

 口にすれば、それはまさしくその通りであるような気がして、無性に腹が立った。窓の外に立ってみれば、外はどんよりとしており、最早季節がはっきりと冬へと様変わりしているのを感じる。

 

 首都では、冬の晴れ間は珍しい。基本が厚い雲に覆われた曇天だ。

 けれど、透き通った晴れ間の多かったあの町や森の方が、何故かうんと寒いのは何故だろう。日の光を浴びて尚、あの土地の冬は厳しかった。

 

 きっと北部に近いせいだろう。

 

『そう言えば』

 

 俺はぼんやりとし過ぎてすっかり忘れていた事実を、ふと思い出してしまった。本当に、俺にとってはどうでも良い事なのだが、一度思い出してしまうと、それは気になって、頭の片隅から離れない。

 離れない事が、気持ち悪い。

 

『どこに入れたかな』

 

 向こうから戻ってくる時に使っていた鞄を、クローゼットから取り出す。中からは、まだ何も整理されていない荷物が、そのまま顔を覗かせてくる。どうやら、俺は荷物の整理すら、この1か月間、手を付けてこなかったらしい。

 

『あった……何だよコレ。ホント、意味わかんない。あの人』

 

 俺が取り出したモノ。それはたった一枚の紙きれだった。

その紙切れには一枚の丸い円が描かれており、その周りは黒く塗りつぶされている。塗り残しなのか何なのか。丸い円の周りには、いくつかの白い点のようなモノがある以外には、他には何もない。

うっかりゴミと間違って捨てなかった事に感謝して欲しい。

 

 

———-お前が此処を離れるって事は、文通も最後って事か!それなら、最後のお手紙は気合を入れて書かないとな!

 

 

 そう言った彼。インの父親のスルーが手渡して来たのがコレだ。文字も書けない癖に“文通”とは、おこがましいにも程がある。これまでだって、文通などと言いつつ俺に渡されていたのは、心底下らないモノばかりだった。

 

「石ころに、草。花に、鳥の羽に、木の枝って……子供でももっとマシなモノを寄越すよ」

 

 そして、最後。こうして手渡されたこの1枚の紙きれが、100歩譲ってやっと“手紙”の欠片のような形になった。それにしても、あの人は最後までよく分からない人だった。

 インの父親で、何も分かっていないような顔はインそっくりなのに、いつも何でも分かっているような目で俺の事を見ていた。

 

 だから、俺はあの人が苦手だった。

 

 

———–インはきっとお前が居ないと不幸になるし、お前もインが居ないと不幸になるだろう。けれど、そんな不幸はどこにでも転がっている石ころみたいなモノだ!余り気にせず蹴り飛ばしながら生きろ。ま、生きてたら、その石ころがお互いの所に飛んで来る事もあるだろうさ!

 

 最後まで意味の分からない事を、まるで意味深に言う人だった。

 

 父はあんな人のどこに惹かれたのだろう。俺とインのように、父にもあの人と共に過ごした大切な時間があったのかもしれない。

 

 だからこそ、父もあの人への贈り物を止めた事はなかった。

 俺が帰ると、いつだって心待ちにしていた。もちろん俺の帰りを、ではない。彼からの、手紙と呼ぶには余りにも不格好で不揃いな“贈り物”を、である。

 

 俺は知っている。

 メイドが誤って、あの人からの贈り物である石ころを捨ててしまった時、父が夜中に庭を探し回っていた事を。

 

 俺は知っている。

 持って帰る頃には萎んでしまっていた花を、栞にして今でも大切に持っている事を。

 

 俺は知っている。

 貰った鳥の羽を羽ペンにしようと試みて、ダメにしてしまった事を。そして、その後、物凄く落ち込んでしまった事を。

 

 俺は知っている。

 父があの人を心から愛している事を。別れる時に、叶いっこない約束をして別れていたのを。

 

 俺は、知っている。