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俺は今、夢中になっているビィエルの中級教本がある。
———アウト先輩!ずっと部屋に閉じこもりきりで暇でしょう!?少し前にアウト先輩が話してくれた画家と国王様のお話!で、き、ま、し、た、よ!
そう言ってアバブが手渡してくれた新しいビィエルの教本は、余りに素晴らしくて素晴らしくて、借りて以来、読まない日がない程だった。
読みすぎて台詞の細部まで覚えてしまった程だ!
まぁ、仕事も休んでいるので本を読む事しか、俺には娯楽がないという理由も大いにあるのだが。
太陽王かける一介の雇われ画家。
身分の差を超えた、壮大な国家権力の争いの中起こる、二人の男のボーイミーツボーイのお話。
ちなみに“かける”というのは、ビィエルにおける“かっぷりんぐ”を表す大事な言葉だ。定義は難しいが、かけるの前と後ろの順番はとても重要なので間違えてはいけないらしい。
なので、このお話は必ず「太陽王かける一介の雇われ画家」でないとダメだ。間違って逆を言うと、カイシャクチガイで殺し合いになってしまう。
そう、アバブが教えてくれた。
『あぁぁっ!身分の差っていいよなぁっ!特にこのさ!物語の背景は壮大なのに、二人の中で揺れ動く小さな感情の機微と、交わされる言葉のつたなさよ!しかも!この太陽王の不器用だけど一途に画家を想って行動する所が、どっかの迷いっぱなしの糞野郎と違って素晴らしい!男だ!すてき!』
これは先にこの話を読んだバイの感想だ。迷いっぱなしのどっかの糞野郎はよく分からないが、いや、俺もその通りだと思う!
俺は感想を上手に言葉で表現するのが得意ではないので、この本の感想を語りあった時に飛び出して来たバイの多彩な言葉に、とても頷いてしまった。
バイの感想は、いつも俺の中にある言葉にならない感情を的確に表してくれるので、とてもスッキリする。
『俺はこの太陽王を最推しに任命した!』
『私も描いてて、バイさんはこのキャラは好きだろうなって思いましたよ!』
『うん!俺は一途な男が大好きだね!』
その後『それってトウさんの事を言ってます?』と、どこかニヤつきながら問うアバブに、バイはポカンとした顔で『トウが俺の事を好きなのは一途なんじゃなくて常識だろ?』と答えた事で、その場はシンとして、その話は一瞬で終わりを告げた。
バイ、強すぎか。
まぁ、太陽王も好きだが、俺はと言えば主人公である画家がサイオシだ。
変に拘りが強くて他人とはズレていたり、けれど真摯に太陽王に向き合う所が好きだ。
これは、俺の持論なのだが、主人公が好きになれるお話にハズレはない。
だから、今日はとても良い日だ!
何故なら、今日は久々の絵のモデル業にかこつけて、俺の“サイオシ”に会える日なのだから!
「あぁ、いらっしゃい!待っていたよ、アウト」
「アズ!久しぶり!本当に、会いたかった!会えて嬉しいよ!握手して!」
「えっ、あっ。握手?なに?そんなに?ありがとう」
という訳で、何度も何度もその中級教本を読んでいたので、目の前に現れた“一介の画家”のモデルとなったアズに、俺はまるで舞台でご贔屓にしている役者にでも会えたかのような心持だった。
そんな俺の急な熱烈反応に、アズは一瞬戸惑ったような表情を浮かべたが、すぐに嬉しそうな笑みをたたえ、握手に応えてくれた。
あぁ、アズはなんて良い奴だ。今日から俺はアズの愛好者だ!
「アウトこそ、色々大変だったみたいじゃないか」
「ごめん、アズ。心配かけた上に、なかなかモデルに来れなくて」
「気にする事はないさ。ふうむ、アウト。また今日は複雑な顔をしているねぇ。さて、これはどう描いたものか」
「今日の俺はモデル失格?」
「失格という事はない。ここは絵描きの腕の見せ所だと思っているよ。あぁ、ウィズ先生も、お久しぶりです」
久々のアズのアトリエは、それまでとは違い、アズ一人だけの出迎えでは終わらなかった。
「昨日ぶりです。ウィズ先生。そして、アウトさんは本当にお久しぶりですね」
「あっ、キミは!」
「はい、セイブです」
そう、アズの隣から、さも当然といった様子で現れた元国王様の姿に、俺は思わずどう挙動を取って良いのか分からなかった。
そこにはバイの“サイオシ”である太陽王のモデルとなったセイブが居たのだ。
俺の“サイオシ”は確かに画家のアズなのだが、太陽王も好きだ。とても一途だし、なにせ“王様”なんて格好良いじゃないか!
「……たいよ、じゃなかった。セイブ君。久しぶり。色々とウィズと連絡を取ってアズとの予定を合わせてくれたみたいで、本当にありがとう」
「いえ、大した事じゃありませんよ。お気になさらず」
——–なにせ、アズの為ですから。
そう、言葉なき言葉で伝えてくるセイブに、俺は思わず背筋を伸ばした。
「…………」
そう、彼を目の前にすると、何故だろうか。
サイオシとか何とか以前に、俺はどうも頭が高いような気がして「叩頭しなければ!」という強迫観念に駆られてしまうのだ。
先程のアズに対するように、握手を求めるなんてもっての他。
これこそ、彼の持つ、太陽王としての威厳というものだろうか。前世と今世という垣根を超えてまで、発揮されるその威厳に、俺は大変当てられてしまっているに違いない。
けれど、さすがに実際膝をついたり、叩頭したりする訳にもいかない為、ひとまず俺はヘラと適当な笑みを浮かべておく。
なんだか、あの中級教本のせいで情緒がおかしくなっているようだ。
「……セイブ。前回俺が此処に居たのが、そんなに嫌だったのか」
「何を言ってるんですか、ウィズ先生。今日はたまたま時間があったから、アズの所に遊びに来ていただけですよ」
「今日は教会図書館の整理当番は……確か、セイブ。お前の名前だったように記憶しているが」
「いやだなぁ。先生。先週の分でも見間違えたんじゃないですか?そんな先生こそ、教会地下室に突然発見された禁書庫のせいで、とても忙しいと記憶しているのですが。いいんですか?こんな所でのんびりしていて」
「……解読は、明日からだ」
「それは解読班の統帥がウィズ先生だから、先生が決めた日程でしょう?職権乱用ですか?」
「職権乱用。いいじゃないか。俺はお前の師でもある。俺が好きに職権乱用したら、お前は今日、今からだって教会から呼び出される事になるが」
———いいのか?
隣で繰り広げられる、月と太陽の静かな言葉の応酬に、俺はふと「月と太陽ってどっちが強いのだろう」と頭を過った。
まぁ、この2つが闘う事など、あり得ないだろうが。ただ、余り仲良しではなさそうなイメージはある。
ウィズとセイブが、ではなく。月と太陽が、だ。
「さ、入って入って。さっそく絵を描こうじゃないか!」
そう言ってアズの招きに応じつつ、俺はふと何かの気配を感じて後ろを振り返った。“何かの気配”が何かは分からない。分からないが、余り良い気配ではない気がした。
「っ!」
———-太陽王の首を取れ!!
そう、頭の中に過るのは中級教本の終盤に飛び出す敵国の兵士のセリフだ。それがどうして、こうも現実味を帯びたような形で、頭の中に響くのだろう。
いやはや、さすがに読み返し過ぎたようだ。
「アウト?どうかしたか?」
「……いや、なんでもない」
「なんでもない」と明らかに何かあるような気色で声に出してしまった俺は、その瞬間、しまった!と肩を揺らした。
「何でもないわけあるか。何か気になる事でもあるんだろう。何だ、言え」
すると、やはりウィズが「何かあるなら言え」と厳しい目で、此方を見てくる。今日の、いや、最近のウィズは心配性だからこうなると分かっていたのに。
いや、本当に何でもないのだが。
ただ、そう言っても信じて貰えそうもないので、俺は話を逸らすべく、先程浮かんだ疑問をウィズにぶつけてみた。
「なぁ。太陽と月って、どっちが強いと思う?」
俺の問いに、ウィズの「は?」と言う、抜けたような声が静かに響いた。