217:口付けで終わるから

「あ、そう言えば色具の配達をお願いしていたんだった」

「それなら、俺が受け取って来よう」

「そう?それならお願いするよ」

 

 並ぶ二人のうち、セイブが立ち上がる。座っていた椅子に、俺から没収した教本を置いて。

 

「いけない」

「アウト、どうした?お前、さっきから少し様子がおかしいぞ」

 

 俺は肩を揺らしてくるウィズには目もくれず、ともかく自身の鞄から何かないかと漁ってみる。

 あぁ、分かっていたが、何もない。

 唯一あるとしたら、先の尖った万年筆くらいだ。もう、これしかない。

 

「っくそ」

「おい、アウト!」

 

 気付けば、セイブは鐘の鳴り続けるアトリエの入口の扉へと、手をかけていた。

 本能が叫ぶ。あの二人は離れてはいけない。離してはいけない、と。

 

 どんな事があっても、たとえ死が避けられなくとも、俺はそのために居たのだから!

 

『国王様!お下がりくださいっ!』

「っえ!アウトさん!?」

 

俺の叫び声に、国王様の驚いたような声が聞こえる。ただ、少しだけ遅かった。国王様は既に扉を開けてしまっていたのだ。

 開けた先には、鈍い光を放つ銀色の刃物を持つ髪の長い男。目は虚ろで、何かをブツブツと呟いている。

 

———-この国に、お前を守る兵などもう居ない。

『そんな訳あるかっ!?俺が居るだろうが!』

 

 俺は無礼にも、国王様の腕を無理やり引っ張ると、勢いよく振り上げられていたナイフを間一髪のところで除けさせた。その拍子に、俺は国王様とともにその場に倒れ込む。

 

『ころす、お前の首だけは、必ず取ると……持っていくと、約束した』

「っお前は!?まさか」

 

 その言葉に、国王様も一瞬で彼がどんな状態かを理解したようだった。男はあの日、あの城で、あの弟王擁立の為に決起させられていた兵の、

 

 “現世”での迷子だ。

 そして、俺は彼とあの日、対峙した。もうすぐ大量の兵がなだれ込んでくる事は分かっていた。分かっていてもあの瞬間だけでも俺は、止めなければならなかった。

 

何故なら。

 

『まだ、絵が完成していない!最期まで、あの人には国王様の絵を描いてもらわないといけないんだ!邪魔をするな!』

『何が絵だ!笑わせるな!こんなヤツが国王だなんて、俺は認めない!何が太陽王だ!コイツは自分の光で影になる人間が居ることに気付いていない!愚かな王だ!』

 

 虚ろだった男の目が、俺の言葉で完全に光をともした。迷子だった彼が、完全に“現世”での彼を制して、反乱軍の兵士だった彼に、取って変わられてしまったようだ。

 

『邪魔をするなら、お前も殺す!』

 

男は叫ぶと、一度は取りこぼしたナイフを握りなおし、倒れ込む俺と国王様の元へと振りかぶってきた。

 

『そんなに光が眩しいなら……!』

 

 あの日も、今日も、何か周囲に異変が起こっていると、俺は気付いていた!あぁ、こんなのいくら安穏とした平和ボケした国の兵士としてもあり得ない失態だ!

 守る兵士が居ない!?どこを見て言っている!

 

 あの日も今も“俺”は今ここに居るじゃないか!

 

「目を瞑って、もう何も見るな!」

『っなに!?』

 

 俺は体の動くままに、手に持っていた万年筆の先を男の目に向かって勢いよく、矢のように投げる。

 

———いいか?お前は実戦経験が少ないから、ともかくこれだけは頭に入れておけ?

 

 そう、不利な場面では、必ず急所一択で攻めるようにと、先輩からはきつく教わってきた。

 

———けど、急所を狙って格好よく相手を倒そうなんて思うなよ?そんな一撃必殺の技なんてもの、お前にはないんだからな!

 

 はい、分かってます。先輩。俺にはそんな力は一つもない。

 

———だから、急所は相手の意識を逸らす為だけにやれ。勝負はその後だ。その後は、お前、もう大声で。

 

 いつ、誰から教わった言葉か分からない知識と、動きが俺を、“アウト”を突き動かす。

 一瞬だけ、顔に向かって飛んで来た万年筆に、男の気が逸らされ怯む。

 

 俺はその瞬間、大声で叫んでいた。

 

 

「ウィズ!助けてーー!」

 

 

——–腹の底から声をだして、助けを呼べ。お前は”弱い”からな。

 

 そう、経験もなく、弱かった俺に、先輩はそう、教えてくれた。そして、この教えが一番俺にとっては実戦で使える技となった。

 

「っはは。もう技じゃないじゃん。こんなの」

「ア、アウト……さん?」

 

 ただ、あの日はもう、どこもかしこも敵だらけで、助けてなんて呼んでも誰も来てはくれなかった。だから、少しでも二人の絵の時間を守る為だけの、足掻きのような戦いしか出来なかった。

 

 けれど、今は

 

「あぁっ。良かった。今度は貴方を守れました」

「…………!」

 

 もう、違う。

 俺は、俺の腕の中で此方を見上げてくるセイブへ、ニコリと笑ってみせた。

 

『ぐあっ!』

「……おい」

 

 俺が笑ったと同時に、刃物を持った男が膝から崩れ落ち、俺とセイブの前に倒れ込む。それと同時に、カランと乾いた音が俺達の耳に響いて来た。

 どうやら、男の手に握られていた、あの銀のナイフが床に落ちた音のようだ。

 

「おい、アウト」

「ウィズ」

 

 倒れた男の背後からは、汗一つかいていないウィズが現れた。一体どうすれば、こんな涼し気な顔のまま、大の男を、こんなに見事に昏倒させる事が出来るのだろうか。

 きっと神官の特別な魔法っぽい力を使ったに違いない。

 

「ありがと、ウィズ」

「ありがとうじゃないっ!お前っ!なんでお前はこうも愚か者なんだ!こんな刃物をを持った相手に、そんな万年筆一本で向かっていくなど、愚か以外の何者でもない!何故何故何故だっ!!いつも俺に事前に言わない!?」

「ごごご、ごめんなさいっ!」

 

 そこから数分間、昏倒する殺人鬼を間に挟み、俺はウィズから激し目の説教を食らい続けた。

 そして、その隣では混乱の最中、何も出来なかった自分を悔い、セイブの無事を確認した瞬間に涙を流し始めたアズに、セイブは優しく抱擁をしてやっていた。

 

 あぁ、混沌。混沌極めし空間の出来上がり。

 

 気絶する殺人鬼。怒涛の勢いで説教をする美しい男。それを受ける平凡極まりない俺。そして、その隣では苛烈に二人だけの空間を作り上げ、口付けし合う画家と、若い美青年。

 

 あぁ、こんなのまるでアバブの描いた中級教本じゃないか。

 そうそう、どの辺が“中級”なのかと言えば、あのお話のラストは――

 

 

 二人の口付けで終わるから、だそうだ。