218:オブ、脱出計画

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———-今更、自由と言われてもお前を苦しめるだけだろうが。

 

 その言葉通り、本当に全てが遅すぎる程に“今更”な言葉だった。けれど、父と話して良かったと思う。俺と父は似ているようで非なる存在だ。

 ただ、やはり父親の言葉は重かった。重く、力がある。

 

———-オブ、自由に生きろ。

 

 俺は手遅れになる前に、もう一度インに会わなければと思った。俺が何か変わった訳ではない。父と話して急に強くなったわけでも、決断できるようになったわけでもない。

 

 ただ、インの顔を見たかった。俺は別れるその日まで、まともにインの顔を見てこなかった。逸らして、逃げて、最後にはインの言葉にすら、取り合わなくなってしまったのだ。

 

『イン、会いたい』

 

 口に出してみれば、それだけの事だ。俺は様々な事に、自分は不幸だという事に囚われて見えなくなっていたが、俺の望みはそれだけだ。

 

『イン、話したい』

 

 インと居れば、簡単に叶えられる望みばかり。

 

『イン、触れたい』

 

 あの一人ぼっちだった俺に、何度も何度も話しかけてくれたインの笑顔が、俺の頭に焼き付いて離れない。インが風邪で会えなかった日々、俺は初めて何かに執着し、苦しんだ。

 

『イン、イン、イン、イン』

 

 名を呼べば呼ぶ程、恋しくなる。あぁ、俺はこの感情に無理やり蓋をして過ごしていたからこそ、この1カ月間、ぼんやりとして記憶が曖昧だったのか。

 この感情に向き合ってしまえば、また、苦しむ事になると分かっていたから。

 

———-オブ。何があっても、お前は俺の息子だ。俺はお前も、愛しているよ。

 

 愛している。

 なんて、言葉なのだろう。父から向けられたその真っ直ぐな言葉に、俺は現状など何も変わっちゃいないのに、大きな何かに守られているような安心感を得た。

 

 愛している。愛されている。

 この言葉は、こんなにも人を強くするものなのか。

 

『俺は、インに言った事、あったかな』

 

 俺は呟きながら、思い返してみる。思った事は何度もあったが、もしかしたら口にした事はなかったかもしれない。

 あったとしても、それはきっと、あの時の父のような力を持つ言葉ではなかっただろう。

 

 言葉は相手を想って放たれた時にこそ、その真価を発揮する。先程の父の言葉のように。

 俺も、インに伝えたい。自分の為にではなく、インの為に。インを守る言葉として。インは俺に全てをくれた。幸福も、約束も、苦しい現実と、その未来も。

 

 それはインも同じだった筈なのに、俺は全てが自分の身だけに降りかかってきた“不幸”と嘆いて、インを傷付けた。

 あぁ、俺は最後、一体インに何をした?何を言った?自分の事だけ、全部、俺は俺の事しか考えていなかった。

 

『いかないと』

 

 今朝、執事があぁも口を酸っぱくして俺に伝えていた言葉など、今の俺にはどこにも残っていなかった。早くここを出なければ、そろそろ婚約者とその家族がうちに来る頃だ。

 

『一旦、外に出よう。外で荷馬車を捕まえて、そこから……早くて何日かかるか』

 

 早く行かなければ、インの事だ。もう、俺の顔なんてすっかり忘れてしまっているに違いない。

 そう、俺が決意を決めてクローゼットから自身の鞄を取り出そうとした時だった。

 

『入りますよ、オブ様』

『……いや、ちょっと今は』

『申し訳ございません。急ぎお伝えがございまして。失礼します』

 

 わざわざ許可を取ろうとしてきた癖に、結局俺の返事など聞きはしない。俺はクローゼットから取り出そうとしていた鞄を急いで、元の場所に戻すと、何事もなかったかのように、執務用の椅子に腰かけた。

 

ガチャリ。と音を立てて部屋の扉が開かれる。

 そこには、今朝方、俺に“大人”の自覚を説いてきた、幼い頃から家に仕え続けてくれている執事が立っていた。

 彼にバレる訳にはいかない。

 彼の言うように、此処から俺が“脱走”しようとしている事を。

 

 悟られてはならない。

 

『どうした。もしかして、もう彼方の家族がみえられたのか?少し早い気もするが』

 

 何気なさを装いつつ、机の引き出しから、脱走する際に必要そうなモノを取り出す。まぁ、有り体に言えば金だ。ともかく何をするにも金が要る。

 また此処に戻るにしても、二度と戻らないにしても、金はあって困るモノではない。

 

 今後どうするかなんて、そんな事は、そうだな。

 全てはインと会って、話して、抱きしめて、それから決める。まずは、会わなければ始まらない。

 

『オブ様、その事なのですが……オブ様?どうされました?』

『っ!な、なんだ?』

 

 あまり焦って動き過ぎていただろうか。執事が怪訝そうな顔で、俺の机の前までやって来た。そして、俺の顔を覗き込むように腰を屈めると、心配そうな顔で尋ねてくる。

 

『オブ様、目が赤いようですが。大丈夫ですか?』

『っ、あぁ!目、目か。いや、さっき何かゴミでも入ったようで……大丈夫だ』

『後で、薬を持たせましょう』

『いや、もう大丈夫だ。いい』

 

 俺は、余り表情には出さないように、しかし本気で肩を撫でおろすと、引き出しを漁っていた手を止め、椅子に座ったまま、執事の方を見た。

 

 

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