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———-今更、自由と言われてもお前を苦しめるだけだろうが。
その言葉通り、本当に全てが遅すぎる程に“今更”な言葉だった。けれど、父と話して良かったと思う。俺と父は似ているようで非なる存在だ。
ただ、やはり父親の言葉は重かった。重く、力がある。
———-オブ、自由に生きろ。
俺は手遅れになる前に、もう一度インに会わなければと思った。俺が何か変わった訳ではない。父と話して急に強くなったわけでも、決断できるようになったわけでもない。
ただ、インの顔を見たかった。俺は別れるその日まで、まともにインの顔を見てこなかった。逸らして、逃げて、最後にはインの言葉にすら、取り合わなくなってしまったのだ。
『イン、会いたい』
口に出してみれば、それだけの事だ。俺は様々な事に、自分は不幸だという事に囚われて見えなくなっていたが、俺の望みはそれだけだ。
『イン、話したい』
インと居れば、簡単に叶えられる望みばかり。
『イン、触れたい』
あの一人ぼっちだった俺に、何度も何度も話しかけてくれたインの笑顔が、俺の頭に焼き付いて離れない。インが風邪で会えなかった日々、俺は初めて何かに執着し、苦しんだ。
『イン、イン、イン、イン』
名を呼べば呼ぶ程、恋しくなる。あぁ、俺はこの感情に無理やり蓋をして過ごしていたからこそ、この1カ月間、ぼんやりとして記憶が曖昧だったのか。
この感情に向き合ってしまえば、また、苦しむ事になると分かっていたから。
———-オブ。何があっても、お前は俺の息子だ。俺はお前も、愛しているよ。
愛している。
なんて、言葉なのだろう。父から向けられたその真っ直ぐな言葉に、俺は現状など何も変わっちゃいないのに、大きな何かに守られているような安心感を得た。
愛している。愛されている。
この言葉は、こんなにも人を強くするものなのか。
『俺は、インに言った事、あったかな』
俺は呟きながら、思い返してみる。思った事は何度もあったが、もしかしたら口にした事はなかったかもしれない。
あったとしても、それはきっと、あの時の父のような力を持つ言葉ではなかっただろう。
言葉は相手を想って放たれた時にこそ、その真価を発揮する。先程の父の言葉のように。
俺も、インに伝えたい。自分の為にではなく、インの為に。インを守る言葉として。インは俺に全てをくれた。幸福も、約束も、苦しい現実と、その未来も。
それはインも同じだった筈なのに、俺は全てが自分の身だけに降りかかってきた“不幸”と嘆いて、インを傷付けた。
あぁ、俺は最後、一体インに何をした?何を言った?自分の事だけ、全部、俺は俺の事しか考えていなかった。
『いかないと』
今朝、執事があぁも口を酸っぱくして俺に伝えていた言葉など、今の俺にはどこにも残っていなかった。早くここを出なければ、そろそろ婚約者とその家族がうちに来る頃だ。
『一旦、外に出よう。外で荷馬車を捕まえて、そこから……早くて何日かかるか』
早く行かなければ、インの事だ。もう、俺の顔なんてすっかり忘れてしまっているに違いない。
そう、俺が決意を決めてクローゼットから自身の鞄を取り出そうとした時だった。
『入りますよ、オブ様』
『……いや、ちょっと今は』
『申し訳ございません。急ぎお伝えがございまして。失礼します』
わざわざ許可を取ろうとしてきた癖に、結局俺の返事など聞きはしない。俺はクローゼットから取り出そうとしていた鞄を急いで、元の場所に戻すと、何事もなかったかのように、執務用の椅子に腰かけた。
ガチャリ。と音を立てて部屋の扉が開かれる。
そこには、今朝方、俺に“大人”の自覚を説いてきた、幼い頃から家に仕え続けてくれている執事が立っていた。
彼にバレる訳にはいかない。
彼の言うように、此処から俺が“脱走”しようとしている事を。
悟られてはならない。
『どうした。もしかして、もう彼方の家族がみえられたのか?少し早い気もするが』
何気なさを装いつつ、机の引き出しから、脱走する際に必要そうなモノを取り出す。まぁ、有り体に言えば金だ。ともかく何をするにも金が要る。
また此処に戻るにしても、二度と戻らないにしても、金はあって困るモノではない。
今後どうするかなんて、そんな事は、そうだな。
全てはインと会って、話して、抱きしめて、それから決める。まずは、会わなければ始まらない。
『オブ様、その事なのですが……オブ様?どうされました?』
『っ!な、なんだ?』
あまり焦って動き過ぎていただろうか。執事が怪訝そうな顔で、俺の机の前までやって来た。そして、俺の顔を覗き込むように腰を屈めると、心配そうな顔で尋ねてくる。
『オブ様、目が赤いようですが。大丈夫ですか?』
『っ、あぁ!目、目か。いや、さっき何かゴミでも入ったようで……大丈夫だ』
『後で、薬を持たせましょう』
『いや、もう大丈夫だ。いい』
俺は、余り表情には出さないように、しかし本気で肩を撫でおろすと、引き出しを漁っていた手を止め、椅子に座ったまま、執事の方を見た。