———あり得ん。アウト。お前がその気なら、俺も、もう本気を出すぞ。
そう言ったウィズは、俺の腕を掴むと、そのまま酒場へと無言で帰った。けれど、帰ってからは逆に、いつものウィズに戻っていた。
『ほら、アウト。シャワーを浴びて。もう寝よう』
だから、俺はウィズの機嫌が直ったものとばかり思っていた。だって、余りにもウィズが“普通”だったのだから。
ウィズは、何事もなかったかのように、俺にシャワーを浴びさせ、寝衣を着せ、ベッドへ連れて寝かしつける。26歳の俺を、24歳のウィズが、だ。
俺自身、もう無駄なツッコミは心の中ですら入れない。入れても仕方のない事だからだ。
『明日からは、俺は帰りが遅くなる。もしかしたら帰れない日もあるかもしれん。此処にあるものは好きに飲み食いしろ。あぁ、酒はまだダメだ。お前は大人だろう?守れるよな。さあ、眠るんだ。今日は疲れたな。おやすみ』
そう、俺の目の上にウィズの手が触れたかと思うと、何かをされたのか、俺が本当に疲れていたせいかは分からないが、俺は一気に睡魔に夢の中へと引きずり降ろされた。
そして、起きたらウィズはもう居らず、そこから数日間、ウィズと顔を合わせる事はなかった。
「あぁ、もう。ウィズ……本気で怒ってたんだな」
けれど、変わらず俺の体には順調に赤い点の跡だけは増えていく。
傷の治りも遅いせいで、消える事なく残り続けるその赤い跡に、さすがの俺も見慣れてきて、何も思わなくなっていた。
どうやら、病気ではないらしい事は、最近になって分かって来たので、俺ももう気にしない事にしたのだ。
「でも、バイ達は普通に入って来てたのに」
そう、出ようとしたのが今初めてなので分からないが、ともかく、これまでバイやアバブ、そしてトウなど、外からの来訪者は普通にやって来ていた。
だからこそ、逆に気付くのが遅れたと言ってもいい。昨日の夜だって、バイがやって来て「明日が昇格試験の日だぞ!」と、ワクワクしながら口にしていたのだ。
「時間は……。あぁっ!もう!あと少しで始まっちゃうじゃんか!」
俺は酒場の時計に掛けてある、味のある古めかしい時計に目を向けると、じょじょに焦りを募らせていった。
アボードの昇格試験。
今、アボードは一人でどんな気持ちだろうか。震えているだろうか。頭を抱えているだろうか。周りに誰か傍に相談できる人はいるのだろうか。
そんなの居る訳がない。
あの、意地っ張りの事だ。平気そうな顔で、心の中で真に追い詰められているに違いないのである。
「バイにも、伝言を頼んだのに。これじゃあ、伝言してもらっても意味ないじゃんか」
———–伝言?航空騎馬の試験の前に、兄貴に言えばいいの?これ、どういう意味?
「どんな意味って、そのままの意味だよ。バイ」
俺は触れようとしても、まったく触れる事の出来ない扉に拳を握り締めると、思わず壁を殴りそうになってしまった。
なってしまった所を、寸での所で我慢する。
いけない。
俺は少しの打撲でも、まかり間違って死ぬかもしれないのだ。落ち着け。どこかに、ここから出る為の鍵がある筈だ。
俺は酒場の中をウロウロしながら、ともかく考えた。いや、何を考えたらいいのか分からないという事を、考えた。
つまり、何も考えられなかった。
「ファー!どうしようっ!このままじゃ、アボードが飛べないよ!」
俺は酒場の止まり木で、ニッコリ笑顔のまま眠っていたファーに向かって話しかけていた。そのせいで、寝ていたファーが目を開け、シュパシュパと目を瞬かせる。
可愛い。起こしてごめん。
そんな気持ちすら焦りの中で、波にさらわれるように消えていく。
「ファー。ウィズがしてくれたお話みたいに、俺を外へ飛ばしてくれないか?」
そう、少し前まで夜、俺が寝る前にウィズがしてくれた物語。そこには、ファーという、このファーと同じ名前のフクロウが登場するのだ。
もう26歳の俺がが24歳の男に、寝る前にお話を聞かされていた事は、突っ込むべきではない。突っ込んだ所で事実は変わらないのだから。
「……どうしよう」
そう、万事休すと、俺がファーの止まり木の足元に座り込んだ時だった。
『わかった!僕の魔法の力で、君を外に出してあげよう!』
「っ!?」
ファーの方から声が聞こえた。しかも、とても聞き慣れた声だ。
「ヴァイス!?」
『何を言ってるんだい?僕はフクロウのファーだよ!』
「ファーは自分の事を“わたし”って言ってたよ!ヴァイスだろ!?声がそうだ!」
『あ、そういう設定が、このフクロウにあるなんて予想外過ぎる!そんなの知らないよ!まったく!』
そう、きっとヴァイスが目の前に立って居たら、きっと彼は腰に手でも当てて、口でも膨らませている事だろう。
そんな声が、ファーから、いや、どこからか聞こえる。
「ねぇ、ヴァイス。今、どこに居るの?」
『ん?教会に居るよ?』
「じゃあ何で、俺にはヴァイスの声が聞こえるんだよ!?」
『そんなの簡単さ』
———-君と同期してるからだよ。
「これで分かったでしょ!」とでも言うように頭の中に響いてきたその言葉に、残念ながら、俺はちっともヴァイスの言葉を理解できなかった。
というか、説明する気が無さ過ぎる。