225:二度ある事は、三度目の

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 俺は、昔から高い所が好きだった。

 お父さんの肩車、屋根の上、学窓の屋上、木の上、そして時計台。

 

 遠くを見渡すのが好きだ。けれど、俺は遠くの景色を見て「綺麗だなぁ」と思う為に登っている訳ではないようだった。

 自分の事なのに“ようだった”というのは、余りにも他人事のようでおかしな話だ。けれど、どうしてもそんな気分になってしまうのだから仕方がない。

 

 俺は高い場所に登る。

 見たいモノがあるような気がするから。

 

 何かを期待するように眺めては、何かを探す。これは誰の気持ちなのだろう。

 俺の中には、“俺”以外、俺は居ない筈なのに。どうしてこんな感情になるのだろうと、昔から思っていた。

 

 あとは、高い所に登ると、俺はむしょうに飛んでしまいたい気持ちにもなった。今思えば、お父さんもアボードも、大いに困った事だろう。

 だが、俺は幼い頃、本気で信じていたのだ。

 

———アボード!みてろ!おれは、とりみたいにとべるんだ!

 

 飛べる訳もないのに、目を離せばすぐに飛び降りようとする。まぁ、さすがにそれは幼い頃までの話だが、その衝動は今でもたまに襲ってくる。

 

 高い場所から“何か”を探す為に遠くを見渡し、俺は、そこに向かって飛んで行きたいとずっと思っているのだ。鳥のように、ひとっ飛びで行きたい場所へと、会いたい人へと、会いに行きたいと、ずっと、そんな事を考えていたような気がする。

 

 

「アボード。一回目は、確か、俺が8歳の頃だったよな」

 

 

 時計台の上で、俺は静かに呟いた。

 平日の昼間。人はまばらで、皆、どこか遠くに想いを馳せるように景色を眺めている。

 

 その馳せる想いを邪魔するように聞こえる、大量の男達の歓声。

 あぁ、そう。時計台のすぐそばには、騎士の寄宿舎と訓練所がある。

 遠目なので詳細には見えはしないが、多くの騎士が、外に出ているのが見える。

 

「飛び降りようとする俺に気付いたお前は、怒って“下りて来い!”って言ったよな。だから、俺は笑って飛び降りた」

 

 此処に登って帰る時、俺はよくアボードを見かけていた。初めてアボードとバイをウィズの酒場に連れて行った時のように。

 出くわす事は少なかったが、見かける事は多々あった。

 

 アボードの周りには、いつも笑顔の騎士達が居た。

 アボードとは、そういう奴だ。

 

「お前は飛び降りた俺の下敷になって、肋骨を4本も折ったな。俺はお父さんに大目玉を食らったよ。お前は骨を折っても泣かなかったのに、無傷の俺が大泣きしたんだ」

 

 ブツブツと呟く俺を、同じく景色を見ていた客達が、気持ち悪そうな表情を浮かべ、チラチラと此方を見る。

 見て、関わらない方が良いとでも思ったのだろうか。波が引くように、俺の周りから、人が居なくなった。

 

 あぁ、好都合だ。

 

「2度目は10歳の時。俺は教会で酷い事をされた後、少しだけおかしくなった。だから、お前はずっと俺の傍に居てくれた。心配してくれてたんだよな?ほんとに、これじゃ、どっちが兄だかわかんないよ」

 

 俺は時計台の鉄の手すりに手を掛けた。冬の冷たい風が頬を撫でる。ツンと鼻の奥に冷たい空気が流れ込んで、少し痛い。

 あぁ、高い場所は本当に気持ちがいい。

 

「その日、たまたまお前が傍に居なかった。だから、俺はまた高い所に行きたくなったんだ。高い所から、飛んで、どこかへ行きたかった」

 

 眼下にある騎士の訓練場を見降ろしてみれば、そこでは何か動きがあったようだ。複数の航空騎馬に乗った騎士が、空中へと飛び上がる。

 試験が始まったようだ。

 

 今から試験されるのは誰だろう。

 トウだろうか。それとも別の誰か、か。

 

「誰も居ないと思っていたのに。今度こそ、俺は飛んで遠くへ行けるって、あの時は心の底から思って飛び降りた筈だったのに」

 

 トウから聞いた。

 

 航空騎馬の試験は、複数の敵を想定した騎馬兵を相手に、相手の攻撃を回避しつつ全騎馬能力を無効化させる事らしい。作戦系統に置いて、殺す事よりも、この相手の兵力を無効化させる事の方が、戦場では重視される。

 

 殺す事の方が、簡単で容易だからだ。

 戦争は、闘いは、そう単純ではない。

 

 だからこそ、航空騎馬の試験は“相手”と、その航空騎馬を傷付けたら、その時点で失格となる。それは自身の騎馬を害されても同じ事。

 空の戦場に置いて、騎馬を失う事は死と同じだから。

 

「アボード、お前。あの時、どこから走って来たんだよ……落ちたら下に、お前が居るんだもん。びっくりしたよ」

 

 飛びあがった複数の航空騎馬。それに対し、一向に動きのない試験。そこで、俺は確信した。

 

「アボード、お前。ほんっと!なんでも一番、最初が大好きだな!」

 

 俺は鉄の手すりに置いていた手に、力を籠める。そして、ひょいと手すりの向こうへと体を移動させた。

狭い足場。俺の足2つ分程のスペースがそこにはあるだけで、もう、目の前は空だ。広い空と俺を隔てるモノは、これで一切無くなった。

 

「バイ!お前、ちゃんと俺の頼んだ伝言は伝えてくれたんだろうなっ?」

 

———–伝言?航空騎馬の試験の前に、兄貴に言えばいいの?これ、どういう意味?

 

 俺の急な大声の叫びに、離れていた数人の客達が俺の事に気付いたようだ。手すりの向こうに立つ、一人の頭のおかしい男の存在に。

 ざわめきが聞こえる。人を呼べと、誰か彼を止めろ、と騒がしい限りだ。

 

 アボードが、昔教えてくれた言葉がある。

 

 二度ある事は三度ある。

 二回起こった事は、必ず三回目が起こる。物事は繰り返すという事らしい。

 確かにそうだ。

 俺は今、もう一度、こうして三度目に挑むところだ。

 

 

 そして、もう一つ。

 三度目の正直。

 物事は3度目には、必ず期待通りの結果になるのだという言葉。

 

 素敵な言葉だ!あぁ、俺はこの日の為に、子供の頃に2度も木の上から飛び降りたんだ!

 二度ある事は三度あって、そして、三度目は必ず期待通りの結果になる!

 という事は、今度こそ俺は!

 

「アボード!今日この日の為に、あの2回はあったんだ!なぁ!」

 

 おいっ!キミっ!

 そう俺の背後から声が掛けられる。きっと手も伸ばされている筈だ。

 

 あぁ、いけない!俺はここで捕まる訳にはいかないのだ。

 

 俺はチラリと背後を振り返り、集まってきていた人々にニコリと笑ってみせると、バイに頼んだ伝言を、空に向かって叫びながら、空へと一歩踏み出した。

 

 

「『アボード!みてろ!おれは、とりみたいにとべるんだ!』」

 

 

 俺の体は、一瞬だけ、本当に飛んだような気がした。

 

 

 誰かの悲鳴が、俺の耳に木霊する。