230:みんなだいすきあぼーどのあにき

『アボード!?』

 

 落ちた地面で『ぐっ』と、膝と腕をついたままアボードは、まるで生まれたての小鹿のようだった。

 

『おいおい!アボード!』

『おい!救護班を呼べ!負傷した可能性が高い!』

『兄貴ぃ!』

『大丈夫なのか!?兄貴は大丈夫なのか!?』

 

 俺の目の前で、アボードに駆け寄る大勢の騎士達。

 その誰もが、アボードの身を案じ、心から心配している。

 

 あぁ、もう。なんだよ。アボード、お前。こんなにお前の周りには、お前を心配してくれる人が居るんじゃないか。

 男の矜持とか、兄貴としての生き様とか、部下に見せるべき背中とか。

 

 こだわり過ぎているのは“お前”だけだ。

 分かっていたが、此処でならアボードは、きっと幸せに生きられる。

 

 そう、俺が心から安心した時だった。駆け寄って行ったアボードの上司らしき男に、アボードが衝撃的な言葉を言い放ったのだ。

 

 

『上官、すみません。勝手ですが、今日限りで、騎士団を退団させて頂きます』

 

 

 時が、止まった。

 それは、俺の時でも、アボードの時でもない。

 

 それはその場に居た、騎士全員の“時”を、一瞬にして氷付かせてしまったのだ。それほどまでに、アボードの放った言葉は、騎士団の彼らにとっては、凄まじい威力を持っていたようだ。

 

 長い長い沈黙。

 固まる騎士団の男達。

 

 その中にあり、まぁ、俺はと言えば、だ。

 正直、驚きはしたが『あ、辞めるんだ。まぁ、それも有りじゃない?』と、その程度の感想を抱いただけの事だった。先程までの、しんみりとした「此処でならアボードは幸せになれるさ」と言う思考とは、まるで真逆だ。

 

 けれど、別に俺からすれば、アボードは此処でも幸せになれそうだが、別に此処でなくとも幸せには成れると思っている。

 別に場所を“騎士団”に限定する必要はどこにもない。

 だから、俺はほんと“ぎょうかん”なんて一切読まずに口にしてしまった。

 

『まぁ、鞍替えも有りじゃないか?アボード、お前ならどこででもやれるよ。鞍替えの仕方わかるか?お前知らないよな?兄ちゃんが教えてやるよ!まずは、鞍替えのギルドに登録してー』

 

 俺は成人してから、そこそこ鞍替えの経験がある。

だから、俺からしたら『初めてアボードに教えてやれる事が出来たぞ!』という気持ちで、アボードに声を掛けてやったに過ぎなかったのだが……。

 

 それが更に大きな波乱を巻き起こしてしまった。

 

『おいおいおいおいおいおいおいおい!!!』

『何言ってんだお前!』

『つーか、お前誰だ!?』

『うああああ!あり得ねぇだろ!?兄貴が退団する!?なんで!?』

『鞍替えってなんだ!俺達に不満があるなら言ってください!直します』

『ちょっと!アボード、一旦、上官室に来い!話をしよう!まずはそこからだ!』

『師団長クラスも呼べ!緊急会議だ!』

『今日の試験は中止!他の奴らの日程は別日に組むから!一旦解散!』

『ここに居る奴ら全員に戒厳令を敷く!今の事は一切口外するな!口外したヤツは処罰の対象とする!』

 

 俺は目の前で大勢の男達が、蹲るアボードの周りで発狂したように叫び散らかすのを、茫然と眺めていた。

 え、ナニコレ怖い。

 たった一人の進退問題が、組織全体にこれ程までに影響を及ぼすって、それは国防の最前線たる騎士団として、如何なものなのだろうか。

 

 俺は騎士達の余りの脆弱な組織体制に心から引いていた。

 そして――。

 

『兄貴!やめないでー!兄貴が辞めたらオレも辞めるよー!兄貴は永遠に俺達の兄貴だよー!不滅だよー!あああああん!』

『…………』

 

 俺の横で本気で涙を流しながら叫ぶバイ。なんだ、コイツ。まるで、大好きな舞台演者が引退でも発表したような勢いじゃないか。

 頼むから俺達の血税を無駄遣いしないでくれ。

 

 俺は、まるでウィズのように頭を抱えると、心の中に住まうウィズに習って、お決まりのアレをやってみた。

 

『まったく……』

 

 あぁ、まったくもう、まったくもう。

 

『せっかく、アボードに兄貴らしく鞍替えの技能でも教え込んでやろうと思ったのに』

 

 俺は腕を組みながら、仲間達に囲まれ、立ち上がるアボードに向かって声を掛けた。

 

『アボード!多分、お前にとって、此処以上に優良な職場は、多分なさそうだよ!』

『……るせ』

 

 アボードは目を真っ赤にしたまま、ジトっとした目で俺を見ると、騎士の仲間達に囲まれ、どこかへ連れて行かれてしまった。

 

『まったく、アイツ。本当にお父さんソックリだな』

 

 俺は、いつも仲間達に囲まれ、笑っていたお父さんを思い出し、誰も居なくなった訓練場の一角で背伸びをした。

 

 ともあれ、俺は生き延びた。

 今度は俺が、ヴァイスとの約束を果たす番である。