『アボード!?』
落ちた地面で『ぐっ』と、膝と腕をついたままアボードは、まるで生まれたての小鹿のようだった。
『おいおい!アボード!』
『おい!救護班を呼べ!負傷した可能性が高い!』
『兄貴ぃ!』
『大丈夫なのか!?兄貴は大丈夫なのか!?』
俺の目の前で、アボードに駆け寄る大勢の騎士達。
その誰もが、アボードの身を案じ、心から心配している。
あぁ、もう。なんだよ。アボード、お前。こんなにお前の周りには、お前を心配してくれる人が居るんじゃないか。
男の矜持とか、兄貴としての生き様とか、部下に見せるべき背中とか。
こだわり過ぎているのは“お前”だけだ。
分かっていたが、此処でならアボードは、きっと幸せに生きられる。
そう、俺が心から安心した時だった。駆け寄って行ったアボードの上司らしき男に、アボードが衝撃的な言葉を言い放ったのだ。
『上官、すみません。勝手ですが、今日限りで、騎士団を退団させて頂きます』
時が、止まった。
それは、俺の時でも、アボードの時でもない。
それはその場に居た、騎士全員の“時”を、一瞬にして氷付かせてしまったのだ。それほどまでに、アボードの放った言葉は、騎士団の彼らにとっては、凄まじい威力を持っていたようだ。
長い長い沈黙。
固まる騎士団の男達。
その中にあり、まぁ、俺はと言えば、だ。
正直、驚きはしたが『あ、辞めるんだ。まぁ、それも有りじゃない?』と、その程度の感想を抱いただけの事だった。先程までの、しんみりとした「此処でならアボードは幸せになれるさ」と言う思考とは、まるで真逆だ。
けれど、別に俺からすれば、アボードは此処でも幸せになれそうだが、別に此処でなくとも幸せには成れると思っている。
別に場所を“騎士団”に限定する必要はどこにもない。
だから、俺はほんと“ぎょうかん”なんて一切読まずに口にしてしまった。
『まぁ、鞍替えも有りじゃないか?アボード、お前ならどこででもやれるよ。鞍替えの仕方わかるか?お前知らないよな?兄ちゃんが教えてやるよ!まずは、鞍替えのギルドに登録してー』
俺は成人してから、そこそこ鞍替えの経験がある。
だから、俺からしたら『初めてアボードに教えてやれる事が出来たぞ!』という気持ちで、アボードに声を掛けてやったに過ぎなかったのだが……。
それが更に大きな波乱を巻き起こしてしまった。
『おいおいおいおいおいおいおいおい!!!』
『何言ってんだお前!』
『つーか、お前誰だ!?』
『うああああ!あり得ねぇだろ!?兄貴が退団する!?なんで!?』
『鞍替えってなんだ!俺達に不満があるなら言ってください!直します』
『ちょっと!アボード、一旦、上官室に来い!話をしよう!まずはそこからだ!』
『師団長クラスも呼べ!緊急会議だ!』
『今日の試験は中止!他の奴らの日程は別日に組むから!一旦解散!』
『ここに居る奴ら全員に戒厳令を敷く!今の事は一切口外するな!口外したヤツは処罰の対象とする!』
俺は目の前で大勢の男達が、蹲るアボードの周りで発狂したように叫び散らかすのを、茫然と眺めていた。
え、ナニコレ怖い。
たった一人の進退問題が、組織全体にこれ程までに影響を及ぼすって、それは国防の最前線たる騎士団として、如何なものなのだろうか。
俺は騎士達の余りの脆弱な組織体制に心から引いていた。
そして――。
『兄貴!やめないでー!兄貴が辞めたらオレも辞めるよー!兄貴は永遠に俺達の兄貴だよー!不滅だよー!あああああん!』
『…………』
俺の横で本気で涙を流しながら叫ぶバイ。なんだ、コイツ。まるで、大好きな舞台演者が引退でも発表したような勢いじゃないか。
頼むから俺達の血税を無駄遣いしないでくれ。
俺は、まるでウィズのように頭を抱えると、心の中に住まうウィズに習って、お決まりのアレをやってみた。
『まったく……』
あぁ、まったくもう、まったくもう。
『せっかく、アボードに兄貴らしく鞍替えの技能でも教え込んでやろうと思ったのに』
俺は腕を組みながら、仲間達に囲まれ、立ち上がるアボードに向かって声を掛けた。
『アボード!多分、お前にとって、此処以上に優良な職場は、多分なさそうだよ!』
『……るせ』
アボードは目を真っ赤にしたまま、ジトっとした目で俺を見ると、騎士の仲間達に囲まれ、どこかへ連れて行かれてしまった。
『まったく、アイツ。本当にお父さんソックリだな』
俺は、いつも仲間達に囲まれ、笑っていたお父さんを思い出し、誰も居なくなった訓練場の一角で背伸びをした。
ともあれ、俺は生き延びた。
今度は俺が、ヴァイスとの約束を果たす番である。