12:金持ち父さん、貧乏父さん(12)

 

『よぉ。昨日の夜は俺の弟と随分お楽しみだったようだなぁ?』

——-この唾付き野郎の売春婦。

 

 つばつきやろうのばいしゅんふ。

 

 俺は夕暮れを背負ってやって来た男の言葉に「はて」と、首を傾げた。ヨルにも良く言うのだが、俺は言葉をよく知らない。

 金持ちのコイツらと違って、俺は学が無いからだ。

 確か「ばいしゅんふ」は女の人を指す言葉だったような気もするのだが、この場合、俺に言っているので、俺の知っている意味とはまた違うのかもしれない。

 

 ばいしゅん、売春、歩。

 もしや!この男は、俺の事を“春を売り歩く男”と言いたいのだろうか。

 

 春を売り歩く男!あぁ、なんて素敵な職業なんだ!なれるもんならなってみたい!

 けれど――。

 

『悪いなぁ。さすがの俺も、春を売れる程の手腕は持ち合わせてないんだ。できたら、ずっと季節を春にしておくのだが……』

 

 そうすれば、疾風も来ないし畑仕事も楽だ。ましてや、春を売れるならば、きっと皆欲しがるだろうから、俺は大金持ちになれるのではないだろうか!

 

 いや、待てよ。レイゾンの収穫もあるので秋も必要だ。そうしなければ、結局俺達は売るモノが無くなって貧乏のままだ。

 となれば、秋も売らなければ。 

 よし!秋はインに売り歩かせよう!そうすれば、うちは盤石な金持ちになれる筈だ!

 

『は?お前、今更とぼけても遅い。どうやって誑し込んだ。あの堅物の弟を。どうやってその気にさせたと聞いてるんだよ。なぁ、それ相応の手腕があるんだろう?』

『んんんんんん?』

 

 いや、この男。一体何が言いたいのかサッパリわからん!

 そして何だ!この妙な顔の近さは!ヨルではないが、顔がぶつかりそうじゃないか!

 

 俺は背負っていた畑用の籠がズルリと肩から落ちるのを感じ、慌てて背負い直した。もう夕方だ。もう少ししたら夕飯の時間だし、早く帰らねば。

 それに、今晩こそはヨルと踊るのだから。

 

 俺は夕まぐれの男の隣を通り過ぎようと、一旦後ろに一歩下がった。このまま突き進んでは、俺はこの男と顔面からぶつかってしまう。

 

 が。

 

『なぁ、お前。そんなに具合が良いのなら、礼は弾む』

———今晩は、俺の相手をしろよ。

 

 そう言って、下がった俺にまたしても近寄ってくる夕まぐれの男に、俺はそろそろ我慢の限界が来た。

 

『具合がいい、だと?』

『なんだ、怒ったのか?唾付き野郎の癖に』

 

 そう小馬鹿にしたように笑う男に、俺は更にカチンと来た。

 “ばいしゅんふ”が無くなっている!春を売り歩く素敵な職業の方ではなく、なんだか唾を付けただけの男に成り下がっているではないか!

 

 それは嫌だ!

 

『いい加減にしろ!』

『おおっと、卑しい貧乏人の分際で、自尊心だけは人一倍ときたか。まったく、卑しくてたまら』

『ばいしゅんふはどこへ行った!?』

『は?』

 

 俺は籠をもう一度背負い直して、夕まぐれの男へ詰め寄った。それにしても、この籠はすぐに肩からズレる。そろそろ、肩掛けの部分が緩くなってきているようだ。

今晩、ヨルの所に行く前に修繕した方が良いだろう。

 

『つばつきやろうは嫌だ!俺の事は、ばいしゅんふと言え!』

『はぁ!?』

『そして、だ!この俺が、具合が、良い訳が、ないだろうが!?昨日、お前とのダンスで36回も足を踏まれたんだぞ!具合はすこぶる悪い!まだ、ずっと痛いんだ!今晩、お前と踊ったら、更に悪化するだろうが!』

——–見ろ!

 

 そう言って、俺は昨日ヨルに見せてやったように、靴を脱いで夕まぐれの男に見えやすいように、真っ青から少し黄緑色を含むようになった足を見せつける。

 

 気持ち悪い気持ち悪い!

 やっぱり、この足は俺の足ではない!なにせ可愛くない!

 

『お前とのダンスは!あれはあれで楽しかったが!さすがに36回は踏み過ぎだ!下手にも程があるぞ!』

『うおおおい!黙れ!大声で何度も言うな!』

 

 俺が36回と口にした瞬間、夕まぐれの男は、それまで浮かべていた余裕そうな笑みを一気に消滅させると、俺の口をその手で勢いよく塞いできた。

 

———–1度のダンスで36回。

 

 ヨル!やっぱりコイツには相当有効な呪文のようだぞ!お前も何かあったらすぐ使うといい!

 

『おい、お前!それ以上言ってみろ!ただじゃおかねぇからな!?』

『ふごふぐ』

 

 タダじゃおかないかどうかは置いておいて、これじゃあ何も話せないじゃないか!

 俺はこの状況で何か反撃は出来ないものかと考えて、ふと、昨日の夜、俺がヨルにされた事を思い出した。

 

———-っふふ。お前が焦っているのは、たのしいな

 

 思い出して、一瞬妙な気分になる。ソワソワするような、落ち着かないような、背筋にピリピリと何かが走るような。

 

———-スルー、どうした。また舐めてやろうか

 

 俺は一瞬にして顔が熱く、火でも吹くような感覚に陥ると、それを振り払うかのように、口を塞いでいた夕まぐれの男の手を舐めてやった。

 

『うおおおおい!?テメェ!俺の手を舐めやがったな!?』

 

 俺の口を塞いでいた手を舐めた瞬間、夕まぐれの男の手が悲鳴と共に離れていく。

 

『そうなるよな!?その反応になるよな!?』

『いや、お前ほんと一体何なんだ!?』

『なぁ!?一体何なんだよなぁ!?』

——–ヨルのヤツ!酔っぱらっていたとはいえ、あれは一体なんだ!

 

 またしても籠が肩からズレる。あぁ、早いところ、籠の修繕をしなければ。

それか俺がオポジットのような厳つい肩幅になれば別なのかもしれないが、今更どうしてこの年で、俺の肩が男らしく厳つくなれよう。

 

『おとーうさーん、ごはんよーって。お母さんがよんでるわー!おとーうさーん!』

 

 そう、俺が焦った表情で、焦った夕まぐれと顔を見合わせている所に、娘のニアの可愛らしい声が聞こえて来た。

 どうやら夕飯の時間らしい。

 

『あ、おとうさん!こんな所に居た!ごはんよーって!……あら?』

『……』

 

 ニアが俺の存在と、すぐ傍に立つ夕まぐれの男に一拍遅れて気付く。

 

『あなた、昨日おとうさんと踊ってた……あの私と踊った子のおとうさん?』

『……あ、ああ』

 

 夕まぐれの男がニアの問いに、戸惑った様子で頷く。

 俺はニアと夕まぐれ。その両方を見ながらふと思った。良い事を思いついてしまった!

 

『おい!夕まぐれの君!そして、我が娘、ニア!』

『なっ、なんだ!』

『なによ』

 

 俺はズレてくる籠の事などもう気にせず、目の前に立つ夕まぐれの男の肩を、両手でガシリと掴んだ。掴んで、俺は春を届け歩く素敵な男なので、春のような笑顔で夕まぐれとニアを交互に見てやる。

 

『お前ら二人で踊れ!下手くそ同士練習した方が、きっと上達する!明日、また夕暮れ時にここに集合!』

 

決まり!

 

『『え』』

 

 まるで親子のように息のピッタリと合った戸惑いの声に、俺はなんて優れた素晴らしい男なのだろうか!と心から自分を大好きになったのだった。

 

 こうして、この日から俺は夕まぐれの男と、ニアの下手くそコンビのダンスを特訓する先生となったのである!!