13:金持ち父さん、貧乏父さん(13)

 足が痛い。まだ痛い。

 そして、黄緑色で非常に気持ち悪い。

 

 俺はその日、肩紐の緩くなった籠を修繕するのに少しだけ手間取ってしまった。手間取ってしまったので、少しだけヨルの居る、あの大岩に行くのが遅れた。

 

『今日は、ヨルが寝てたりしてなー』

 

 そう、俺が痛む足を引きずりながらいつもの場所に向かうと。

 どうだろう。

 

 いつもは大岩の上で、何か想いを馳せるように月を眺めているヨルが、この日ばかりは何故か岩の下で、落ち着かない様子で岩の周りを行ったり来たりしていた。

 

『…………ヨル?』

 

 どうしたのだろう。

 まさか、先にダンスの練習でもしているのだろうか。

 

 あぁ、きっとそうに違いない!それほどにまで、俺とのダンスを待ちわびていたとは!まったく遅れてしまって大変申し訳ない限りじゃないか!

 

『おーい!ヨルヨルヨルヨルヨルヨルヨル!』

『っ!スル―!?』

 

 俺は足が痛むのも忘れて、クルクルと回りながらヨルの元へと駆けた。回っていたせいで逆にヨルの元へと到着するのが遅くなってしまったが、けれど、俺の喜びの舞は上手に表現できた。

 俺はクルリと最後に一回転すると、大岩の横に立つヨルの前にかしずいて、片手を差し出した。

 

『あぁ!待たせて済まなかった!ヨル!今日こそ俺と踊ってくれないだろうか!』

『…………お前』

『さぁ、どうぞ!』

『…………』

 

 しかし、俺の差し出した手は一向にヨルに取ってもらえない。

 

 なんだ!これは!まるで昨日と同じ流れではないか!

 俺が「一体なんなんだ!」と憤慨した気持ちで、顔をヨルの方へと向けると、そこには予想外に、眉間に皺を寄せ、けれどどこかホッとした様子のヨルが居た。

 

 あれれれれ?これは一体どんな表情だ?ちっとも分からん。分からんのだが、これは。

 

『ヨル?どうした?またお前の兄貴に何か言われたか?』

 

 これは、きっと。少し泣きそうなのを我慢しているような、そんな顔なのではないか、と予想付けた。すると、必然的に何が原因かなど簡単に予想がつく。

 ヨルの兄。あの、夕まぐれの男だろう。

 

『ヨル。お前、あの呪文を使わなかったのか?どうやらあれは随分とアイツには効くようだぞ?忘れたのか?一回につき36回。ほら、言ってみろ』

 

 俺はかしずいていた態勢から、ヨルと目線を合わせるべく立ち上がろうとした。すると、その瞬間、力を入れた拍子にズキンと足がうずく。

 あぁ、まったく。まだ痛い。

 

『スルー、痛むのか?』

『あ?そうだな。痛い。36回も踏まれたもんでな』

『……もう、此処へは来ないと思った』

 

 そう言って、ヨルは縋るように俺の肩に手を置いた。置いて、落ち込むように頭を地面へと向けたヨルに、俺は一体何がどうしたのだろうと混乱してしまった。

 

『何故だ?俺はヨルと踊る約束をした。まだその約束を果たしていない』

『……踊ったら、もう来ないか』

『何言ってるんだ。なんでそうなる。俺はここでヨルと過ごすのが好きだから、死なない限りは此処へは来る』

 

 さすがに、死んだらもう来れないけどな。

 そう、俺は当たり前の事を口にすると、ヨルは弾かれたように地面に向けていた顔を俺の方へと向けてきた。

 その顔は、眉間に皺は寄っているが、先程のようなひっ迫したような表情はない。

 

『そうか』

『そうだ!さぁ!今日こそ月夜のダンスを二人で踊ろう!』

 

 俺は居ても立っても居られないと、俺の肩に触れるヨルの手に、片手で触れてみた。触れた瞬間、ヨルの表情が緩む。

 その顔に、俺はとっさに思った。あ、俺はこのヨルの顔が好きだと。当たり前のように、思ってしまった。

 

『ダメだ』

『えええっ!?なぜ!?』

『まだ足が痛いのだろう。さあ。そこに座れ。薬を塗ろう』

『くすり?』

 

 俺はヨルに導かれるように、原っぱに座らされると、そのまま流れるような動作で俺の靴は脱がされていた。その行為と、その体制に、俺はとっさに昨日のヨルの、あのとんでもない行為を思い出した。

 

 思い出したせいで、体がピシリと岩のように固くなる。

 そんな俺の体の固まりに気付いたのか、ヨルが俺から目を逸らしながら、なんとも言い難そうに口を開いた。まるで、口の中に砂でも混じっているような風だ。

 

『……その、昨日は。すまなかった。もう、あんな事はしない』

『ヨル』

『本当に、薬を塗るだけだ』

 

 そう、言いながら既に俺の足は靴から脱がされ、ヨルの上着のポケットから出て来た、陶器の入れ物にはいった何かを俺の足に、そっと塗り込んだ。

 

『っ!』

 

 なんだかこれはスースーする!変な感じだ!

 

『ヨル、これは変だ。スースーする』

『我慢しろ。患部を冷やして痛みを取る薬だ』

『薬は高いだろ?俺は何も返せない。そんなのは不要だ。こんなのは放っておけばいい』

『お前はまだそんな事を言うのか。まだ、お前は練習が足らんようだな……。この腫れ方だ。もしかしたら、骨にも異常があるかもしれない。そうしたら放っておいても良くなどならん。そしたらどうするつもりだ』

 

 どうするつもりだ、と言われても。

 俺は、いいと言っているのに、薬を塗り続けるヨルに困ってしまった。

 

『どうするも何も、治らなかったらそれまでだ。痛いまま。歩けなくなったら、それもそれ。そう言うものだろ?』

『……っ』

 

 俺の言葉に薬を塗っていたヨルが弾かれたように此方を見る。此方を見て、何か言いたげな顔をしたが、けれどヨルは何も言わなかった。

 

『ヨル?どうした?』

『コレは、エアが……お前の言う所の夕間暮れが付けた傷だろう。アレは俺の兄だ。だから、この怪我も俺のせいのようなもの。……だから気にしなくていい』

 

 気にするな。と言いながら、薬はどんどん俺の足に塗り込まれる。

 そして塗り込まれた後、ヨルは更に白い細長い布のようなモノを取り出すと、そのまま俺の足に巻いていった。

 

『そんな綺麗な布を足に巻くのか!?もったいない!もったいなさ過ぎる!』

『包帯だ。何がもったいない事がある』

『布は貴重だ!それを俺の足になんて使うもんじゃない!』

『……貧しさが、』

『おい、どうした?ヨル。今日は酔っていないのに様子が変だぞ?』

『……お前を、そんな風に言わせるのか』

 

 白く、美しい布を巻く体制のまま、ヨルは体をこわばらせて固まってしまった。俺はそんなヨルに、何がどうしたのか分からないまま、ただ、もう包帯の事は言わないでおこうと思ったのだ。

 

 ヨルが辛そうだ。

 

 何か、楽し気な話題はないモノだろうか。

 

『あぁ!ヨル!聞いてくれ!今日、お前の兄貴が俺のところに来たぞ!』

『エアが?』

 

 俺はハタと今日の出来事を思い出し、ヨルにも教えてやろうと一つの話題を思いついた。すると、それはとても良い選択だったようで、ヨルはすぐに先程までの辛そうな表情を消して、俺の方を見てきた。

 

 そう、俺は春を売り歩く男なのだ!素敵な職業を貰ったものである!

 

『エアが、何しに来た』

『いや、何しに来たかは知らん!ただ、俺に“つばつきやろうのばいしゅんふ”と言う職業をくれた!どちらかと言えば、俺は“つばつきやろう”よりは“ばいしゅんふ”の方がいいな!春を売り歩く男って事だろ!春を売れたら、俺は金持ちになれるな!』

『は?』

 

 そう思わないか!?

 

 そう、俺が此方を凝視するヨルに同意を求めていると、ヨルはそれまで握っていた白い布を手放し、勢いよく地面に拳を殴りつけた。

 

『っクソ!』

 

 えええええ!今度は何だ!今日のヨルは昨日のヨルより様子が変ではないか!これでは変わりやすい秋の天気のようだ!

 

『エア。アイツ……!』

『おいおい、どうした。ヨル。何をそんなに怒ってる?』

『お前は……何故怒らない!?』

『はぁ!?怒ったさ!アイツ俺に“相当具合が良いんだろ?今晩は俺の相手をしろ”って言ってきたんだぞ!?アイツのせいで、俺はこんなに具合が悪いのに、お前となんて踊れるか!って、ちゃんと怒ってやった!』

『…………っ!!エアッ!』

 

 こんなに感情を激しく露わにするヨルを、俺は初めて見た。どうやら今晩のヨルは嵐のようだ。夜の嵐は昼間のソレとは比べ物にならない程の被害を出す。

 夜の嵐は怖いのだ。

 

『スルー!?お前はアイツに軽んじられているのが分からないのか!?舐められているんだぞ!?』

『何を言ってるんだ!アイツの手なら俺が舐めてやった!俺は勝ったんだ!』

『舐めっ……何故そうなった!?エアに強要されたのか!?』

 

 最早、頭を掻きむしりながら俺に詰め寄ってくるヨルに、首を傾げざるを得なかった。別に強要などされていない。

 

 むしろ、俺は明日から、夕まぐれと娘のニアにダンスを強要している。

 

 あぁっ!そういえばコレはとても素敵で素晴らしい試みだった!そしてそれを思いついたのは他でもない俺!

 ヨルにも教えてやらねば!

 あぁ、ヨル。ヨル!怒ってないで聞いてくれ!

 

『俺は明日からお前の兄と俺の娘を共に踊らせる事にした!俺はアイツらにダンスを強要したんだ!』

『は?!ダンス!?』

『そう!ダンスだ!けど、それが下手くそにとっては一番だとは思わないか?上手い奴が下手くそに合わせて踊ってやるから……二人とも上達しない!下手くそが下手くそに“合わせて”踊る事を学べば、きっと二人共上手く踊れる筈なんだ!だから俺が一番素敵で、一番素晴らしい!ヨル、俺は素晴らしいよな!?』

 

 そう、俺はヨルがここで、あの日のように“お前は、素晴らしい”と言ってくれるものだと思った。否、その反応しかないと信じて疑わなかった。

 けれど、ヨルから返ってきたのは、まったく予想外の反応であった。

 

『素晴らしくないっ!意味がわからん!一体お前は何の話をしている!』

『だから、お前の兄貴と俺の娘のダンスを――』

『あぁっ!エア!やっぱり意地でも来させるのではなかった!!エア!エア!エア!アイツは昔からそうだっ!いつも!いつも俺の邪魔をして!俺の嫌がる顔を見て楽しんで!』

 

 夜の嵐だ。夜の嵐が吹きすさんでいる。

 何度も何度も地面に拳を突き立て怒り狂うヨルに、俺は何かを伝える事を、一旦諦めた。夜の嵐は昼間のソレより危険だ。なにせ、夜は昼間と違って暗くて見えない。

 

 見えなければ、何が飛んで来るかも分からない。

 夜の嵐の対処法、それは。

 

『クソクソクソクソ!アイツ!絶対に!明日には、屋敷から追い出してやる!』

『………………』

 

 大人しく、過ぎ去るのを待つ。

 それだけだ。

 

 俺は足を投げ出した体制のまま、ヨルが落ち着くまで夜空を眺めて過ごした。

 

 眺めながら、歌って。

 

 

『あんの!クソ兄貴がぁぁぁぁ!!』

『♪』

 

 

 

 大人しく、過ごしたのだった。