23:げんめつ

「は?」

 

そう、あんぐりと口を開けたアカの目が、まるで夜の空に浮かぶお月さまのようにまんまるになった。そして、そのお月さまの目のままジッと俺を見つめてくる。

「は、え、兄貴、だって、兄貴は縄張りのボスで」と、最後まで続かぬ言葉の数々がアカの口から漏れる。

それがアカの混乱をわかりやすく表していた。

しかし、アカの言う“ボス”とはぼすの事だろうか。

アカはぼすの事を知っているのだろか。

 

『アカはぼすの事を知っているのか』

「へ?あ?ボス?ボスは兄貴でしょう?この土地のボスは兄貴だったじゃないですか」

『ボスはぼすだ。俺はもうこの土地の縄張りの主じゃないんだよ。もうとっくの昔に代変わりをしたよ』

 

俺の言葉にアカはいやいやというように首を横に振った。

嫌がられたって俺はもう主じゃないのだ。

それに、アカが生きていた頃から、俺は主であって主でなかった。縄張りなんて、ほんとはどうでもいい。

 

「兄貴はどんな猫にも負けない強い猫っす。なのに、どうして。いやだ、俺は兄貴が縄張りのボスじゃねぇと。なんでっすか、兄貴」

『アカ、俺は縄張りには興味が無いんだ。俺は俺の生きれる場所があれば、縄張りなんていらない。知ってるだろう』

「何言ってんすか!?兄貴は強いのに、わけわかんねぇ!縄張りだってメスだって獲り放題なのに!なんで!」

 

喚くように俺に叫び散らしてくるアカに俺はヒゲがピンピンと広がるのを感じた。

アカは俺が縄張りの主である事を子猫の頃からとても誇らしそうにしていた。

自分が主なわけでもないのに、いつも誇らしそうだった。

キラキラとしたアカのあの猫の頃の目を俺は今でも鮮明に思い出す事ができる。

だから、今、縄張りの主でもなんでもないタダの猫になってしまったという俺の告白が、アカの中でどれほどの衝撃なのか俺には容易に想像できた。

 

あにき

兄貴

 

そう、猫の頃から人間になった今まで輝いていたアカの目に陰りが見え始めた。

きっとアカは俺にがっかりしたのだろう。

なんてことない、ただの一匹の猫の俺が。

そう思うと、俺の中にあったアカの親である部分の俺がざわついて仕方が無い。

けれど、しかし。

 

『アカ。俺はね、死ねない変な猫なんだよ。縄張りやメスを手に入れたって、どんどん知ってる猫は死んでいくし、俺は変な猫だから他の猫からも嫌われてる。縄張りがあったって、メスがいたって今の俺には仕方がないことなんだ』

 

猫は行きたいところに行く。

やりたいことをする。

 

俺は人間に憧れて、人間になりたいと思った事は数知れない。

だけれども、俺は猫として生まれて生きた事した無いから、猫としてのその生き方しかしらない。

 

『俺は猫だから行きたいところへ行った。それが人間のところだった。俺が好きなのは縄張りやメスや強い事じゃなかったんだ。俺はとても人間が好きなんだ。だから俺はこうして今ここにいる』

 

わかってほしい、アカ。

そう俺が「にゃああ」と長めに鳴くと、アカは俯いたまま顔を上げなかった。

俺にがっかりしたのなら、それはそれで仕方が無いのかもしれない。

俺はアカの求める“あにき”にはもうきっとなれそうにないから。

そう俺が尻尾をぺたりと落としてアカの顔を見上げた時だった。

 

バタンという激しい音と共に、店の入り口の扉が勢いよく開かれた。

そのため、あの神社の紐を引っ張った時のような「からんからん」の音も、それと相成って激しく店の中に鳴り響く。

 

「津古さん!中島さん!居いますか!?」

 

アカ達と同じ服を着た毛の短い人間の子供が、勢いよく店の中に飛び込んで来た。

つこさん、なかしまさん、というのは誰の事だろう。

俺が突然の来訪者にしぼんでいた尻尾の毛をブワッと逆立たせた時だった。

 

「っ安武さん!居たんですね!あの、大変です!」

 

毛の短い子供はアカを見るなり、一瞬にして顔をホッとさせるとすぐにアカに向かってズンズンと近づいてきた。

そして、乱れた息を整える事もなくアカに向かって叫んだ。

 

「うちの1年が朝倉に喧嘩を売ったらしく、今それで大事になってます!人集めてこねぇとやばいっす!」

「……朝倉が?」

 

アカは先程までの情けない顔を一気にひっこめると、ヒクリと眉間に皺を作った。

そして、徐々にその皺は濃く、深くなっていく。

 

「向こうも人数増えてきてるし、昨日結局アイツらとやりあえてねぇから正直1年の奴らの統率も取れません!お願いです!安武さん来てください!アイツ化けもんっすよ!」

 

そう、毛の短い男が言い終わるか終わらないかのうちに、アカは自らの服の中に手を突っ込むと何やら平べったい入れモノのようなものを取りだした。

そして、静かにその中から1枚の紙切れを出すと、それまで座っていた机の上に乱暴に置いた。