235:鍵を持つ者

「人間という奴は、自身の生が、年齢を重ねる毎に、年老い、そして終わりに向かっていく事から」

 

 

 世界もまたそうであると思い込んでいる。

 この世界は“前”になんか進んじゃいない。そもそも“前”なんて概念は存在しない。そして、言ってしまえば“時”なんてものも、まやかしだ。

 

 人が“時計”を生み出し、見えないソレを捕まえた気でいる。

 時を捕まえ、刻む事で、支配した気になっている。

 

 けれどね。

 “ない”ものは捕まえられない。

 

 ただ、時計という奴は面白いよね。人間が必死になって、存在もしない“時”を捕まえる為に作ったモノであり、的外れで空虚な道具に過ぎないのに、まるでこの世界と同じ形、マナの動きを模している。

 

「時計?」

「そう、この世界は大きな円を描き、その円の中を、まるで時計の針が時を刻むのと同じように、マナもぐるぐると円の中を巡っている。全部で5本の円が集まる事によって出来上がった、一つの大きな円。それがこの世界……」

「円……」

「そう、円。世界は丸いって事だよ!」

 

 前も、後ろも存在しない。

 あるのは“永遠”の繰り返しの世界。

 その円の1本が、この世界。第1輪目。

 

 世界の最も内側に位置し、そして、他の4輪とは全く性質の異なる“理”の

 

「……存在する、世界」

「異なる、理」

「そうだよ。君たちのマナと呼ばれる世界の源泉たる力の流れは、君たち人間でいうところの“死”で終わりを迎える訳ではない。なにせ、この世界に“終わり”はないのだから。マナは永遠に、川を流れるように、流れ続ける。輪を移動し、世界を……」

 

股にかけ。

 

 第1輪で生を全うし終えたマナは、次なる第2輪へと向かう。

 この時、隣合う輪の波が、輪と輪の間で大きくぶつかり合う。

 

 ぶつかりあって大きな波を生み、その時、第1輪から第2輪へと向かおうとしていたマナは、波から逃れるように……そうだな、なんて言ったら分かりやすいかな。ねぇ……

 

「アウト?キミだったら、海で大きな津波が、キミの体を海底に引きずり込もうとしたら、どうする?」

「俺。本物の海、見た事ない。つなみって、なに?」

 

 ヴァイスの言葉に、俺は一つの描画を思い出していた。

 そう、いつだったか、ウィズが描画してきてくれた、穏やかで青々とし、最後には空と繋がっているように見える、不思議でたまらない“海”の描画を。

 

 あれは、本当に美しかった。

 いつか、本物を見てみたいと、心から思った。

 

 だから、想像もつかない。

 あの美しく、そして穏やかな海が、俺を海底の底に引きずり込もうとするなど。

 つなみ。つなみとは、何だろう。

 

 そんな俺の思考は、そのままヴァイスとの“どーき”で伝わったのだろう。ヴァイスは「アウトの知る海は、優しくて美しいモノなんだね」と、苦笑した。

 

「そっか。じゃあ、想像して。自分の力ではどうにもできない、大きくて、怖いもの、苦しくて、冷たいものが、キミの体の自由を奪って、もう二度と光を見る事の出来ない場所へと連れて行こうとしたら、どうする?」

「……そしたら」

「そしたら?」

 

 俺の言葉を繰り返してくるヴァイスに、俺は想像する。

 大きくて、怖くて、苦しくて、辛いもの。そんなモノが襲ってきたら、俺は。

 

 

「部屋の中に入って、鍵をかける。ソレが入って来ないようにするために」

「部屋の中に、か。そっか。じゃあそうしよう。第1輪で生を終えたマナは第2輪へと流れ込む時、互いの輪の波の波動で起こる、津波……そう、大きくて、怖いもの、苦しくて、冷たいものから身を守る為に……」

 

 鍵のかかった部屋に隠れる。そしてこれは、その次も、その次も同じ事。

 

 第2輪から第3輪へ。

 第3輪から第4輪へ。

 第4輪から、最も外側の第5輪へ。

 

 こうして、一つの輪で生を終える度、マナは次の輪へ次の輪へと流れていく。

 途中、隣り合う輪同士の間で起こる“怖いモノ”から隠れる為に、毎回、鍵のかかった部屋へと逃げ込む。

 

 そして、最後。

 最も外側の第5輪から、最も内側のこの世界。第1輪へとマナが流れる瞬間。

 やっぱり、波は起こる。だから、マナは鍵の掛かった部屋へと逃げ込む。

 

 けれど。

 

 この時だけは、それまでとは違った現象が起こるよ。なぜなら、

 

「波が弱いんだ。それまでは隣合う2つの輪が、互いの放つ力で生み出してしまっていた波のうねりが……この時だけは、片波のみとなる」

「怖いものが来ない?」

「ご名答。だから、それまで起こっていた大きな怖いモノは、この時ばかりは生まれない。一瞬だけ高波が来たと思ったら、突然、静かになる。そしたらどうかな?アウト。今まで外からはうるさくて怖い音が聞こえてきていたのに、なくなったとしたら。キミならどうする?」

「……そうだな」

 

 ヴァイスの問いかけに、俺は想像した。

 それまでずっと一人ぼっちだった部屋。外からは怖いものが襲ってくるような轟音が聞こえてきていた。

 

 けれど、それが突然無くなる。

 静かになる。そうしたら。

 

「外に、出たくなる」

「そうだよね。きっと皆そうさ。一人ぼっちの部屋は寂し過ぎる。だから、皆外に出ようとするんだよ。けれど、ここに来て1つだけ、問題が発生するよ」

「どうしたの?」

 

 問題。その言葉に不安になった。

 俺の頭の中には、一人ぼっちの部屋で不安で体を丸める人達が居る。寂しいだろう。可哀想だ。

 

 早く、外に出てくればいいのに。

 

「その部屋は入る時は容易だけれど、どうやら出る時は“鍵”を必要とする部屋みたいなんだ」

「鍵を開ければ?」

「持っている人と、持っていない人が居る」

「どういうこと?」

「部屋に隠れていたのは、それまで流れていたマナの残滓。それは、それぞれの輪で生をまっとうする上で生じた、個々の“想い”。そして、波の消えた外へと出られるのは、その残滓たる想いが強く、鍵を自身で生成できた、たった一人だけなんだ」

 

 鍵。

 頭の中に浮かぶのは、古くて大きな、掌くらいはありそうな鍵。

 これは全員が持っているものではなく、たった一人が持てるモノ。

 なんで?どうして全員で外に出られない?

 

 怖いものが居なくなっても、外に出られるのが一人なら、結局それは一人と同じじゃないか!

 

「アウト、怒らないで。でも仕方が無いんだ。普通は狭い場所に、少ししかない日だまりに、そんなに大勢は入ってこられない。分け合えないんだ」

「そんな」

「だから、残滓の最も強いたった一人が、その鍵で扉を開ける。アウトはまた、怒るかもしれないけれど……」

 

 一人が鍵を開けた瞬間、その他4つの部屋の扉は永遠に閉ざされる。

 

 そうしなければ、外に出た一人の居場所が侵されるから。

 それをさせない為に、外に出た最も強いマナの残滓は、無意識に、他の扉に永遠に中からは空けられない南京錠をかけるんだよ。

 

 これは残滓の生存本能に近い行為だ。

 他は閉ざし、一人が生き残る為の。必死の行為。だから、

 

「責めないでね」

「……鍵は絶対に一つなの?」

「いいや?鍵は絶対に一つとは限らないよ」

「それならっ!」

 

 俺は頭の中に沢山の鍵が現れる事を想像した。

 鍵がたくさんあれば、皆、外に出られる!そうすれば、もう一人じゃない!

 

 けれど、そんな俺の思考にヴァイスは悲しそうな顔をして言った。