236:鍵を持たぬ者

 

「一つもない時も、ある」

「え?」

「それがまさに、アウト。君たちのように、前世の記憶を持たない者達だ」

 

 それまで、遠い、遠い、すごく遠くの物語の中だと思っていた世界の中に、一気に俺の名が入ってきた。

 

「アウトのように前世の記憶の無い人々と言うのは、“鍵”を持たないが故に、5人のうち、その誰もが扉を開けられなかったマナなんだ。そうなれば、必然的に、これまで同様、記憶も何もない、まっさらなマナが、この世界で生を受ける事になる」

 

 あぁ、そうか。

 “アウト”

 それは、確かに“俺”の名前だ。

 

「ねぇ、ヴァイス。どうして、俺には鍵が無かったのかな?」

 

 俺は頭の中で、先程まで両手いっぱいにあった沢山の鍵が、一気に消えて無くなるのを見た。そこにポツンと立っているのは、何も持たず、何も覚えていない、ぼんやりとした姿の、自分自身。

 

「さっきも言ったように。鍵は想いの残滓で作られる。そして、その残滓は、マナが次の輪へと移る瞬間に放った、想いの強さがそのまま比例するんだ」

「次の輪へと移る瞬間……それって」

「ねぇ、アウト。人の感情で、最も深く、強く、濃く、重いのは何だと思う?これ、僕もずっと何だろうって思ってたんだ。けれど、ずっと様々な人々を観察するうちに分かったんだ」

「な、に」

 

 マナが次の輪へと移る瞬間。

 それはすなわち、その輪の中での一人の人間の“死”の瞬間。

 

 その時に放たれる、人の感情の中で、最も強い感情は――。

 

「“後悔”さ」

「…………」

 

 何故か、その答えを、俺は既に知っていたような気がした。

 これまでの俺の人生で、出会った“前世”の記憶を持つ多くの人々。その人々の話を、酒を片手に聞く度に、語られる記憶に。

 

 強い後悔を、感じていたから。

 

「僕は今まで、この”僕”と言う存在と、そしてたまに現れる“お気に入り”達との違いを観察し続けて来た。その両者の違いは、全てそこに隠されていた。アウト、人って欲深い生き物だ。5つの輪で、その全てにおいて後悔を残さず終わりを迎えられる人間なんて、そうそう居ないんだ。だから……」

 

 この第1輪の世界に置いて、前世を持たない人間なんて、限りなく少ない。

 

 けれど、僕は知りたいんだ。

 終わりに“後悔”を残さず逝けた人々について。

 

 この第1輪は、後悔という鍵で、無理やり扉を開けた人々の支配する世界。

 そして、それは他の4輪の犠牲の上に成り立つ、残酷な世界。

 

 その世界で、記憶という後悔の鍵を有せず立っている君たちのような存在は……言い方は悪いけれど、やっぱり“異端”なんだ。

 

 この世界。まるい、まるい、永遠の世界。

 5本の輪と、それを俯瞰して見た時に見える大きな1つの輪。それを合わせて、全部で6つからなる世界。

 始まりも、終わりもない。永遠に、永遠に、回り続けるのが……

 

「この世界の理だよ。アウト」

 

 ヴァイスの話を、俺は毛布の裾をギュッと握りしめて聞いた。

 怖い話をされた訳ではないのに、背筋が震えたのだ。結局、一人ぼっちになる世界の理。鍵があってもなくても、最後には一人になる。

 

 いろんな想いを抱えて生きても、最後には強い後悔を残した、たった一人が支配するのか。

 それとも、誰も鍵を手に入れられず、何も持たない一人が立ち尽くすのか。

 

「そんなの、どっちも、こわい」

「……そんな風に思えるアウトだからだろうね」

 

 こわい。

 そう口にした俺に対し、ヴァイスはそれまで彼が一度だって俺に対し、向けた事のないような表情を浮かべていた。

 

「僕とはっ、正反対だ!」

「ヴァイス?」

 

 悲しくて悲しくて悲しくて。

 もう、悲しくて仕方がないとでも言うように、ヴァイスは表情を歪めた。それまで、俺の見て来たヴァイスは、いつも軽やかに笑っていた。

 笑って軽口を叩いて、酒を飲んで、風のようだった。

 

 それなのに、今、どうしてヴァイスはこんなに泣きそうな顔をしているのだろう。

 

「ヴァイス。悲しいのか?」

「……君が僕に助けを求めた晩。僕は君の異端が更に、更に深く、大きなものだと知った。僕も、自分が異端中の異端だと、思っていたけれど、僕とは正反対の異端だった」

 

 ヴァイスは、涙を流している訳ではなかった。

 けれど、ヴァイスは確かに泣いていた。涙を流す事なく、俺の肩を優しく撫でながら。

 

 心の中で、泣いていた。