予想外!本当に予想外な事が起こった!
『おお!夕まぐれ!ちゃんと来てるじゃないか!素晴らしい!』
『いやっ!いやいや!はなして!私踊りたくないっ!』
『…………』
俺は女の子達とお喋りをしているニアを無理やり捕獲すると、野生動物のように暴れ回るニアを無視し、無理やり昨日の約束の場所へと向かった。
まぁ、内心、本当に夕まぐれが居るとは思っていなかった。どうせ、夕まぐれは居ないだろうし、俺一人で、豊穣夜に向けたニアのダンス特訓教室をするつもりだったのだが。
『えらい!えらいぞ!夕まぐれ!俺の言葉がきちんと通じていたんだな!』
『……お前は、一体何なんだ』
『いやあああああ!』
俺の全身全霊の褒めと、ニアの全身全霊の拒絶が畑の一角に響き渡る。これはこれで、良い音楽の調べなのではないだろうかっ!
『さすが兄弟だな!夕まぐれ、最初にお前の弟が俺に言ってきた事と同じような事を言って!まったく、血という奴は争えんな!』
『血なんて関係あるか!?お前を前にしたら、誰もが同じような問いを抱くという事だ!』
『いやいや!おとうさんなんか大嫌いよ!』
なんて事のない大人同士の会話の合間に、ニアの絶叫が余りにも響くものだから、夕まぐれも耐えかねたのだろう。昨日までの嫌なヤツの顔はナリを顰め『離してやったらどうだ』と、遠慮がちに声を掛けて来た。
『離したらニアが逃げるだろう!ほら、ニア。そろそろ癇癪はやめろ』
俺は掴んだ腕の向こうで、人間とはここまで全身全霊でうねりそねる事が出来るのかという程、暴れ散らかすニアに目線を合わせるべく、その場に座り込んだ。
『かんしゃくじゃないわ!おとうさんが悪いの!私は今踊りたくないのに!おとうさんが全部わるいのよ!』
『ニア。でも、もうすぐ豊穣夜だろう?お前は村の小さい子らを導いて踊る、女神役じゃないか。練習をしないと』
『わたしは、可愛いから女神なの!ダンスだって、わたしはようりょうが良いから練習しなくたって踊れるの!』
ニアの言葉に、俺はガクリと肩を落とす。
ニアは確かに要領が良いし、賢い女の子だ。そして、顔はヴィアに似て大層可愛い。そのせいで、こんなに自惚れ屋になってしまった。
その辺が、何をやっても一発で上手くやれない、兄のインとは大違いなのだ。
『ニア、お前はどうしてそんな自惚れ屋なんだ?お前は春でも秋でもなくて自惚れでも売って歩く気か?』
『なによ!なによ!なによ!意味わかんないっ!おとうさんなんか嫌い嫌い嫌い!』
周りが甘やかすからだ!まったく!俺含めてな!
けれど、豊穣夜はもうすぐ。ニアももう来年には10歳になる。この、どこまでも伸びた鼻っ柱は、俺が責任を持って折ってやらねば。
『ふんっ!』
これは俺の非常に身勝手なエゴなのだが、ニアが手酷く転んで“痛い目”を見るなら、出来れば俺の前で経験しておいてほしい。
知らない所で立ち直れないくらい転んでいるニアの姿は、余り想像したくないのだ。
『ニア、ハッキリ言おう』
『なによ!』
『お前は、ダンスが村で一番下手だ』
『っっっっっ!』
『村の小さい子らを含め、お前が最も下手だ』
『ああああああ!きーらーいー!!』
ニアが俺の顔を叩いてくる。ハッキリ言い過ぎただろうか。いや、だってハッキリ言わなくとも、確かに実際のところそうなのだから仕方がない。
『おい、お前。言い過ぎだ』
すると、そこへ俺達の様子を黙って見ていた夕まぐれが、非常に苦い顔で俺の肩を掴んで、そんな事を言ってきた。
一体なぜ、コイツがこんな顔をするのだろう。
『なんでだ?まずは自分がどれだけ下手かを自覚して向き合わせないと。ニアはハッキリ言わねば伝わらない。周りが甘やかしてきたせいで、誰も言ってやらなかったせいで、こうなったんだ。こんな自惚れ屋に。自惚れなど、春や秋と違って、売っても誰も買ってくれない。だったら、親の俺が責任を持って伝えてやらねば』
『……とは言っても、もう泣きそうじゃないか』
『大丈夫だ。ニアはすぐ泣く。けれど、すぐ泣き止む。見てろ?』
俺はまたしても叫び散らかすニアに向き直ると、確かにそこには、夕まぐれの言うように目に涙をいっぱいに溜める娘の姿があった。
『うう、うう、ううううう』
そうそう、この顔を見るとすぐに皆慌てて言う事を聞いてやる。
あのイン大好きなオブでさえそうだ。そのせいで、何度かインを怒らせて喧嘩になっているのを、俺は何度も見て来た。
『ニア、お前はダンスが一等下手だ』
『あ、あ、あ、あ、あ!!』
男の子ってやつは、女の子の涙に心底弱いのだ。
まったく、迷惑な性である。
『今のままじゃ、豊穣夜で、お前は小さい子らの足を踏んで、子らを大泣きさせるだろう。そしたら、豊穣夜のお祭りはきっと台無しになる。そして、皆はお前を女神役にしたことをガッカリするだろうさ!こんな皆を泣かせる酷い女神は見た事がない!とな!』
一つ一つ、ニアを傷付けるように言う。
一つ一つ、ニアに分からせるように言う。
『うるさいうるさいうるさい!!あああん!きらい!おとうさん!きらい!きらい!なら、もうしない!めがみしない!したくない!』
誰も言ってくれなかったであろう事を、俺はハッキリと言った。言わなきゃわからないなら、何度だって言う。
『お前は、村で一番ダンスが下手だ!』
『ああああああ!』
だって、俺はニアの“おとうさん”なのだから。
『けれど!だからこそいいんじゃないか!ニア!』
俺は目から大粒の涙を大量に流すニアの涙を手で拭いてやると、大仰に両手をその場で広げた。そんな俺の突然の行動に、それまで大泣きしていたニアも一瞬だけ、ピタと泣き止んだ。
ここで一気に畳みかける!
『それにしても大きくなったな!ニア!さすが9歳!もう殆どお姉さんじゃないか!顔も可愛いし、将来が有望過ぎて仕方がない!大人になったら大層な美人になるだろう!ああ!素晴らしい!こんな子他に居るか!?ああ!居るわけがない!』
『……う』
う。
これは、ニアの短い『うん』だ。
この状況で、躊躇いなく頷けるその根性こそ、ニアの一番の武器だ。
“切り替え”と“切り返し”が早い!大波のような荒れ狂う人生という舞台で、それこそが最も必要とされる能力!
だからこそ、ニアは誰よりも強いのだ!そこは妻のヴィアそっくりである!
『何でもやれるニアが唯一出来ないダンスまでもが、上手になったら!こんな素晴らしい女神はこの村で、今後生まれなくなるだろう!村に代々伝わる言い伝えで、初代の女神が最も素晴らしかったと言われているが、その伝説をニアが塗り替えるのさ!』
『……』
本当は重いし、踏ん張ると足もそこそこズキズキするのでやりたくはないのだが、ここは場面的にやるしかない。
やれ!俺はニアの“おとうさん”だ!
俺はピタリと目から涙を止め、口を無一文字に結ぶニアの体を、勢いよく抱き上げた。
『っ!』
『塗り替えて伝説を残して、皆がニアに聞くだろう!“どうしてニアはそんなに何でもできるのか?”と。そしたら言ってやれ!』
重い。
最後にこうして抱っこしてやったのはいつだっただろうか。いや、9歳って半分は大人じゃないか!足が痛いな!まったく!
『“え?私、ダンスは苦手なんですけど、そんなに上手に踊れていたかしら?”ってな!なぁ!ニア!素敵だろう!?素晴らしいだろう!お前は涼しい顔をして誰よりも上手に踊って、そんな風に言ってやったら、それはもう格好良いじゃないか!可愛くて格好良いなんて!そしたら、いつかお金持ちの男が村にやって来た時に、お前をお嫁さんにしたいって婚約のお願いをしに来るかもしれないぞ!』
『……すてき!王子様ね!』
金持ちの男とは言ったが、急にそれが一国の王様に昇格してしまった。なんて娘だろう!
だけど、そういうの、俺は好きだ!
想像の中くらい、自由で大きくていい!
よく考えれば“自惚れ”もこんな風に使えるなら、売れるかもしれない!自惚れ屋は大繁盛だ!
『そうだ!可愛いだけの女の子は沢山いるけどな!可愛くて格好良い女の子なんて、探したってそうは居ない!お前は男をその可愛さで虜にし、格好良さで絶対に離さない女の子になるのさ!』
『それって、すごく、すてき!可愛いだけの女の子じゃないっていうのが、特にすてき!』
素敵!
そう言って、先程まで泣いていた涙をピタリと止め、止めるどころかキラキラと目を輝かせ始めたニアに、俺はストンとニアを地面に下ろした。
この会話を聞いていたら、きっとフロムが大泣きしていただろう。
悪いな、フロム。
まだ俺はオポジットを前に父親同士の婚約の話し合いをするのは避けられるものなら避けたいのさ!
それにしても。
『お金持ちの男の子……か』
それってオブじゃダメなのか?と思ったが、言うのは止めた。
きっとニアの中ではオブは完全に“金持ちの男の子”という認識ではないのだ。
まぁ、そりゃあそうか。オブは村に来たばかりの時こそツンとしていたが、今となっては村の子らと駆け回って遊ぶ、普通の村の子供なのだから。
『わたし、やるわ。そもそも、わたしはダンスがへたじゃないもの』
言うに事欠いて、まだそんな事を言い出すニアに俺は苦笑した。まぁ、いい。やる気になってくれたのなら、もう何だって。
自惚れ屋の凄いところは、調子に乗った時に発揮する、この無限の力にある。これを使わない手はない。
『……でも。ニア!周りの小さい子らは下手かもしれないぞ?下手な子を上手に躍らせてやるには“へたじゃない”じゃダメだ。“素晴らしいくらい上手”じゃないと!』
『私が下手くそを、上手におどらせないと、いけないのね』
『そうだ。だが、お前の周りには下手くそは少ない。お父さんは既に素晴らしいくらいダンスが上手だから、練習相手になってやれん。インもそうだ。けど、周りには内緒でお前は上手になった方がいいだろ?女神の舞台裏は見せるもんじゃない!涼しい顔、それがとても重要だからな!』
『そうね。だとすると、へたくそが必要よ。村の人間じゃない、へたくそが』
ニアがそう言うのを、俺は待っていた。
待って、俺とニアは互いに傍に立つ、腕を組んで眉間に大いなる皺を寄せる夕まぐれに目をやった。
やっぱり血は争えん!
何と言ってもこの顔!ヨルにソックリじゃないか!
『……悪かったな。下手くそで』
そう、苦々し気に応える夕まぐれに、俺はヤツの肩を叩いて笑った。
『まずは36回を30回に減らそうな!』
『うるせぇ!』
その怒声を皮切りに、さっそくダンス特訓が始まった。
俺の素晴らしい歌に合わせて、二人の“自惚れ屋”は互いに互いの“自惚れ”を買ってもらぬえまま、ひたすらに足を踏み、転び、ともかく、日が落ちるまで特訓は続いたのであった。