15:金持ち父さん、貧乏父さん(15)

 

        〇

 

 

『はぁ、はぁ……』

 

 夕まぐれが肩で息をする。

 ニアが蹲って足を撫でている。

 

 俺は元気に腕を組んでいる。

 

『……いたいわ』

『ニア、お前。その痛み、今までインにも俺にも、フロムにも、そして、こないだ一緒に踊った夕まぐれの子供にも味わわせてたやつだぞ』

『ちがうわ、この人の体が大きすぎて、そして、へたくそなのがダメなのよ』

『……ぐ』

『ニア。女神はそんな事は言わない。誰であっても笑顔で優雅に踊ってみせる。それに豊穣夜の時は、お前にとっては体の小さい4歳や5歳の子も居るんだ。体格差なんて言ってられないぞ』

 

 俺の言葉に、ニアはグッと口を噤む。

 噤んで何度か自分の足を撫でていたが、そこからすぐに立ち上がり、肩で息をする夕まぐれの前へと向かった。

あぁ、確かになかなかの体格差だ。

 

『いいわ。私があなたを上手に躍らせてみせる。なんたって、私は女神なんだから』

『……女神か』

『そうよ!あなたも私を女神と思ってダンスしてちょうだい!今日はもうお腹が空いたから帰るけど、明日も来るのよ!ゆうまぐれさん』

『…………』

『返事はどうしたの?ゆうまぐれさん、あなたお口がないのかしら?』

 

 いやはや、女の子というのはどうしてこうも口だけどんどん達者になっていくのだろう。口だけに年齢を付けてよいのならば、確実にニアの口は、兄であるインよりも年上に違いない。

 

 さて、夕まぐれがニアに怒り出す前に、俺が間に入ってやらねば、そう思った時だ。

 

『ああ、分かったよ』

『そう。じゃあ、ちゃんと来るのよ。女神を待たせたらいけないの。いいわね?』

『ああ』

 

 これは驚いた。

 ヨルの話や、婚姻の宴、昨日の様子からして、この男も大分と自惚れ屋で尊大な奴かと思っていたのだが。

 

『じゃあ、私は帰るわ。お父さん、いいでしょ?』

『ああ、俺もすぐに帰るとお母さんに伝えてくれ』

『ふん。じゃあね、ゆうまぐれさん』

 

 この夕まぐれの、ニアを見る目はどこか聞いていた話とは一線を画する。

 いや、確かにコイツも自惚れ屋である事は間違いないのだろうが。

 

これは。

 

『おい、お前。昨日俺の弟に何を言った』

『む?』

 

 急に俺を見る目が、昨日までの尊大で自惚れ屋のソレに戻る。あれ。勘違いだったか?

 

『昨晩、お前らまた気持ち悪ぃ逢引きをしてただろ?ったく、こんなヤツ如きの事で、何をそんなに怒る必要があるのか』

『あー、ああ!』

 

 

———–クソクソクソクソ!アイツ!絶対に!明日には、屋敷から追い出してやる!

———–あんの!クソ兄貴がぁぁぁぁ!!

 

 

『昨日はヨルの嵐が凄かったもんなぁ!お前には何かモノが飛んで来たのか?』

『はぁ?お前ほんとに訳のわからん事ばかり言いやがって。……危うく屋敷から叩き出される所だった。あんなに怒ったアイツは、あの時以来だ』

『あの時!?どの時だ!?』

 

 そう、何かを思い出すように眉間に深い皺を刻んだ夕まぐれに、俺は興味関心意欲の全てがそちらで花開くのを感じた。

以前やって来たという、ヨルの嵐は一体何だったのだろう!

 

『あ?子供の時だよ。アイツの大事に飼ってたカナリヤを』

『カナリヤってなんだ!?』

『……鳥だ。お前、本当にただバカなんだな』

『うちに居る、ぴーちゃんみたいなのか!?』

『いや、お前の家のぴーちゃんは知らんが、まぁ、鳥だ。声が良いか何か知らんが、アイツは大事にしていたな』

 

 なんだ!ヨルも鳥を飼っていたのか!

 

———人の言葉を模倣する鳥など、珍しくもない。

 

 だから、俺がぴーちゃんが喋ると言った時も、すぐに信じてくれたんだな!

 

 そうか、そうか。

 ヨルもぴーちゃんを飼っていたのか。なんだか急に、ヨルが金持ちの男から俺と同じ所まで降りて来たような気がする。これはとても良い事を聞いた!

 

『そのカナリヤに、俺はインクを付けて黒く塗り直してやった』

『っは!?』

『あの時並みか……それ以上だった。昨日のアイツは。なにせ、さて寝るかとベッドに入った途端、アイツが俺の首根っこを掴んで馬車まで引きずって行った、そして』

『お前!なんて酷い奴だ!!』

 

 そりゃあそうだ!

 俺もぴーちゃんをそんな風にされたら、今日のニア以上に癇癪を起すだろう。大人だろうがなんだろうが関係ない!

 大事なモノを汚されたら、そりゃあ怒る!

 

『お前は……なんて奴だ!本当なら、今日はお前は頑張っていたから、俺から春をやろうと思っていたが、ナシだ!』

『は?』

『じゃあな!夕まぐれ!お前はサイテーだ!また明日な!お前はサイテーだ!けど、また明日な!』

『なんなんだ』

 

 そう、ボソリと呟いた夕まぐれに、俺はクルリと背を向ける。

 お腹が空いたし早く帰らねば!

 

 そして、ポケットに入れていた1輪の春の花を取り出すと、仕方ないので俺の頭に付けた。きっと、素晴らしい俺が花を付けて帰ったら、家族が大喜びするからだ。

 俺はインが『お父さんは何でも似合うね!』と言ってくれるのを想像しつつ、そして、その傍らでは……。

 

 大事な鳥を真っ黒に塗りつぶされ、シクシクと泣く小さなヨルを思った。

 

 

 あぁ、こうしてはいられない!

 

 

 今晩は、小さなヨルごと大きなヨルをよしよしと抱きしめてやらねば!