『ヨルヨルヨルヨル!』
『……なんだ、その頭は』
珍しく、今日のヨルは大岩の上ではなく、原っぱに座っていた。
どうやら、嵐の落ち着いたらしい。
俺は少しばかりホッとすると、ヨルの指さす俺の頭へと手をやった。
『はっ!』
『頭に花など付けて』
俺はあの夕まぐれとのダンスの特訓の帰り道に、気まぐれに付けた花が、未だにつけっぱなしになっているのに、今になって気が付いた。
そういえば、インもヴィアも何も反応してくれなかった!
ニアはいつもの事だからいいが、何だ!あの二人!反応しろよ!
お陰で、すっかり忘れてたじゃないか!
『俺は春を売る男だから、花を付けてるんだ!これは店の看板だ!』
『……そう言えば、昼間もそんなバカな事を言って村中を回っていたな』
『ああ!そうさ!俺はインと春を売り歩く仕事もすることにしたんだ!金持ちになる為にな!』
そう、俺は夕まぐれから貰った“ばいしゅんふ”という素敵な仕事をインとする事にしたのだ。俺とインの二人で春を売って、ニアとヴィアに秋を売ってもらう。
そんな訳で、さっそく今日は村のヤツらに“春”を売って行ったのだが、どうやら、ヨルにも見られていたようだ。
『スルー。悪い事は言わん。売春婦などと軽く口にするな』
なんだか、不機嫌そうな顔で何かを言い始めたヨルに、俺は慌てた。これはアレか!俺がヨルには何も“春”を用意していないと思って怒っているのかもしれない。
『“春”を売るというのは、』
これは一大事だ!
『ほら!ヨル!お前には一番、たっくさんの春を持ってきたぞ!今日、誰に渡したどの春より、いっぱいで沢山だ!』
『は?』
俺は片手で背中に隠していた、春の花束をヨルの前へと突き出した。これは特別な“春”だ。この原っぱでも、なかなか見ない“きいろ”の花が一番多く入っているから。
『ほら!ヨルはいつも俺に沢山良いものをくれるからな!春も一番いいのを持ってきた!』
『…………』
ヨルはしばらく俺から差し出された“春”を見ていたが、そのうち何とも言えないような表情で受け取ってくれた。
『嬉しいか?』
『……ああ』
———–こんな、嬉しい春を貰ったのは、初めてだ。
そう、昨日とは違って本当に穏やかな様子で微笑んだヨルに、俺は倒れるかと思った。
その場に倒れ伏して、何か叫ばなければ!!
そう衝動的な気持ちになる位、今のヨルは素敵の上の上の、上の、月まで届く位の素敵だったのだ。
こんな素敵なヨルの、大事な鳥に真っ黒のインクで染め上げるなど、アイツは、アイツは!
『おいで!ヨル!今日はたくさん抱擁と、ヨシヨシをしてやる!』
『……なんだ、急に。何がどうしてそう言う結論になったのか、順を追って言うんだ。スルー。まさか、お前は春を配るついでに、誰にでも抱擁を配っている訳ではないだろうな』
また怒った!急にヨルが!またあの、嵐の前触れのような顔になってしまったじゃないか!困る!それは困る!
『お、俺は、小さいヨルが可哀想で』
『小さいヨル?一体何の話だ?』
俺に詰め寄ってくるヨルに、俺はついでにヨルに抱擁をお見舞いしてやった。
だって、ヨルの顔を見ていたら、その奥に小さなヨルが真っ黒な鳥を抱えてシクシクと泣いているのが見えたのだ!
『っ!な、何があった?言ってみろ。スルー』
『可哀想になあ!小さいヨル!俺は、お前のかなりやが真っ黒にされた時に、お前の傍に居てやれなかった事を、本当に悔しく思うぞ!』
『……カナリヤ。っ!なんでお前がその話を知っている!?まさか!』
———-また、エアに会ったのか!?
俺は抱擁の途中だったにも関わらず、無理やり体を引きはがされ、心底力の入った手で肩を掴まれていた。
未だ、ヨルは嵐の前だ。
『夕まぐれとはダンスの特訓だったんだ』
『……そう言えば昨日もそんな事を言っていたな。何故、お前がアイツとダンスなんかする』
『違う、踊っているのは娘のニアだ。俺は隣で歌って、ダンスの先生をしている』
『……っなんだ!それは!?』
『クソッ、早く追い出さないと』そう言って奥歯を噛み締めるヨルに、俺は正直そんな事はどうでも良かった。俺はやっぱり、ヨルの後ろに見える、小さなヨルと真っ黒な鳥に、居ても立ってもいられなかった。
だから、引きはがされたけれど、もう一度抱き締める。
抱擁をしてあげないと、可哀想過ぎる!
『っぐ』
『ヨルヨルヨル!小さなお前は悲しかったよな?大事なかなりやを黒く汚されて』
『……』
立っていると、どうしてもヨルの方が身長が高いので、俺が抱きしめてやっても俺の胸にはヨルを納めてやれない。
やれないが、この気持ちは俺の胸に抱きしめてやらねば、落ち着かないのだ。だから、俺は無理やりヨルの頭を低くさせて、俺の胸に仕舞い込む。
きっと小さなヨルだったならば、こんな風になっただろうと言う場所まで。低くさせる。
『アイツは酷い奴だ!だから、アイツには春はやらなかった』
『そう、か』
『よしよし、ヨル。お前には、今度うちに居るお喋りするぴーちゃんを見せてやるからな』
『ああ』
ああ。
そう静かに胸の中で頷いたヨルに、俺はやっぱり血は争えんなと思った。それは、今日、夕まぐれがニアにしていた返事の声と、とても似ていたからだ。
———-女神を待たせたらいけないの。いいわね?
———-ああ。
『良い声で、歌う。素晴らしいカナリヤだったんだ』
俺が今日の出来事に想いを馳せていると、ヨルもまた、どこか遠い記憶に想いを馳せるように言った。
『そうか』
『そういう品種ではなかったから、羽は派手な色はしていなかった。暗緑色で地味な色合いだったが、それでも、とても良い鳥だった。大事だったのに』
大事だったのに。
そう言って、今まで俺からの抱擁で一度だって、俺の背に回されてこなかったヨルの腕が、スルリと俺の背へと回された。
一瞬だけ、ドキリとした。
ただ、それは“ヨルからの抱擁”とは、また違った感覚。回されたヨルの腕は、俺を抱きしめるというより――。
そう、子供は親に縋りつくような感覚と似ていた。
ギュッと握り締められる俺の服。
そうか、ここに居るのは“小さなヨル”か。
『よしよし。ヨル。大事だったのにな』
『アイツが真っ黒にした。汚されたんだ。アイツはいつもそうなんだ。俺の嫌がる事ばかりをする』
『……酷い兄貴だ』
『だから、俺は怒って、エアを庭の池に引きずって行って、突き落としてやった。そして、上から頭を抑えつけた』
『…………ん?』
————さて寝るかとベッドに入った途端、アイツが俺の首根っこを掴んで馬車まで引きずって行ったんだからな。そして、
色々と引っかかる言葉がヨルの口から、飛び出す。
———-そして、
そしてヨルは何をしたのだろう。聞いていなかったが、いや、聞かなくて良かったかもしれない。
あぁ、ヨル。そうか、そうだったな。
『また、俺のカナリヤに何かしたら、今度は池ではなく、崖から落としてやる』
『ヨル、もう……かなりやは飼うのは止した方がいいな』
『……次は絶対に』
夜の嵐は怖いのだ。
昼間のソレより断然恐ろしい。
俺はヨルがカナリヤは飼わないようにと必死に止めた。もう大人だから、夕まぐれもそんな事をしないと思うが、アイツは嫌な所もあるから、またするかもしれない。
そんな事になったら、夕まぐれが落とされるのはまだ仕方がないとして、ヨルが人殺しになってしまうから、ダメだ。
新しいカナリヤは、もう飼ったらいけない。
俺はヨルに禁止した。
酒を飲みすぎる事と、カナリヤを飼う事。
いいな?と念を押した俺に対し、ヨルは何故か『ふっ』と笑うと、最後にもう一度、ギュッと俺の服を握りしめた。