246:図星

        〇

 

 

 

———-今まで世話になったな。マスター。コイツは週末連れて帰る。

 

 

 そう、来訪者の誰も居なくなった部屋で、俺は先程、帰り際にアボードが口にした言葉を思い出していた。

 連れて帰る。どこに、とは言わなかった。

 彼は騎士の寄宿舎で寝泊まりしている為、きっとそこに連れて行く事は出来ないだろう。だとすると、俺が知らないだけで、二人の育った“家”というモノが、どこかにあるのかもしれない。

 

「それすら、俺は知らない」

 

 俺は未だベッドで眠り続けるアウトを見下ろしながら、そう、静かに呟いた。けれど、やはりその俺の言葉に、アウトが返事をする事はない。

 

「そうだな。俺とお前はまだ出会って日が浅い」

 

 秋の終わりに、突然アウトが俺の店にやって来た。出ていけと言っても聞かず、そこから当たり前のように、俺の日常に入り込んで来た。

 だから勘違いしていた。

 

「俺は、別にお前にとって、重要な“何か”では、なかったんだ」

 

 家族でもなく、昔からの親友でもなく、仕事の同僚でもない。ましてや、恋人でもない。

 血の繋がりはなく、共に過ごした時間は限りなく少なく、同じ方向を見て、同じ不満を抱えて同じ職務に従事している訳でもなく。

 

 愛していると、口にして互いを求めあった訳でもない。

 

 ただ、アウトが足を運んでくれる事で成り立っていた、店の店主と、客という関係。アウトが来なくなったら、それまでの関係でしかなかったのだ。

 

「アウトの人生の中で、俺は、ほんの一点でしかない」

 

 そう、線ではない。一点だ。

 ただ、アウトの目が俺をいつも“特別”にしてくれていた。俺を見る度に、喜びと嬉しさをその瞳に湛えてくれていた。

アウトの声が、いつも俺を“唯一”にしてくれていた。呼んでくれる度に、早くこっちを見て欲しいという気持ちが、存分に込められていた。

 

 そう、勘違いをしていた。

 こうして、アウトが目を開く事も、声を発する事もなくなって、そんな当たり前な事に、俺はようやく気付く事が出来たのだ。

 

「アウトの人生から、“俺”は排除される?」

 

 そうなのだ。それはただの勘違いで、こうして俺の酒場の一室で眠りについている事すら、本当は“当たり前”ではない。異常なのだ。

 だから、その“異常”を正される時が来た。アウトがこの部屋から連れて行かれたら、俺はその後、アウトがどこへ連れて行かれるのか知る術はない。

 

 きっとアボードは教えてはくれないし、周囲の誰であっても教えてはくれないだろう。そう言う事を、俺はしたのだ。

 故に、このままアボードにアウトを連れて行かれてしまったら、もう俺は二度と“アウト”の人生には関わらせては貰えなくなる。

 

「いやだ。そんなのは……耐えられない」

 

 そう、それはどう考えても、俺にとっては耐えられそうもなかった。俺の内側にある『インに会いたい!』と叫ぶ心と、それは拮抗する程の衝動。

 そんな事になるくらいだったら、アウトの体を抱えて、此処ではないどこかへ逃げ出してしまいたい。そうして、目を覚まさないアウトの体と共に、何も考えずに静かに生きたいとすら思う。

 

 俺は、もうここまで来てしまった。おかしくなってしまった。

 

 

「なぁ、アウト。先に突き放したのは、俺の筈なのに」

 

 俺は先程アボードによって止められてしまった手を、もう一度伸ばしてみる。もう、その手を止める者はここには居ない。だから、手を伸ばせば容易にアウトに触れる事が出来る。

 

 触れたい、触れたい、触れたい。

 俺は、アウトに触れたかった。

 

「何故、こんなにも俺が置いて行かれたような気になるんだろうな」

 

 けれど、伸ばした俺の手がアウトに触れる事はなかった。

 俺と眠るアウト以外に誰も居ない筈のその部屋で、俺の手はアウトに触れる直前で、強い力によって弾かれていた。

 

「っ!」

 

 弾かれピリとした痛みの走った手を見てみれば、そこには真っ赤になった掌がある。これは反発するマナに触れた際に出来る火傷の一種だ。

 俺は、俺ではないマナの放出によって弾かれたのだ。一瞬、アウトによって弾かれたのかと思った。アウトによって拒絶されたのか、と。

けれど、ピリピリと痛みを発する、指先に残るマナの残滓に、俺は納得した。

 

「……お前か」

 

 アウトではない。そもそも、自身の生命維持すら危うかったアウトに、ここまで外部に影響を及ぼせるマナなど存在しよう筈もない。

 あぁ、このマナには覚えがある。このマナは、アウトの体内で我が物顔にふるまう、気に食わないヤツ。

 

「やぁ!良い夜だね!ウィズ!」

 

 俺はアウトの横たわるベッドを挟んで、俺と正面から笑顔で向き合う幼顔の神官に、反吐を吐きたい気分だった。アウトと最後に会話をしたあの日から、この部屋にはコイツのマナの残滓が、至る所に残っている。

 ハッキリ言って、気に食わないどころの騒ぎではなかった。

 

「……この飲んだくれ」

「ご挨拶だなぁ!僕はアウトの為に駆け付けたのに!」

「駆けつけた?誰もお前など呼んでいない、この酔っ払いの不法侵入が」

 

 駆けつけたなどと聞いて呆れる。俺は皆がこの店を出て行った後、全ての出入口を、俺のマナで空間ごと歪めて外界と断絶させたのだ。

 そして、このままアウトと共に、どこか遠くに行こうと思っていたのに。

 

「ねぇ、ウィズ。お前さ、お前こそ一体アウトに何の権限があるっていうんだい?」

「……出て行け」

「きっと本当は自覚してるよね?お前にアウトへ干渉する権利なんてもうないって。だって、お前はもうアウトとは無関係じゃないか」

「っ!出て行けと言っているのが聞こえないのか!?」

 

 俺はまるで癇癪を起す子供のように部屋の壁を激しく殴打する。一番痛い部分に触れられ、ズケズケと土足で上がりこまれた気分だった。

 

 つまりは、図星だったのだ。

 

「それがお前の本性か。僕の見た目以上に、ただの小さな子供だ。その幼さで、どれだけお前はアウトを傷付けてきたんだろうね」

 

 けれど、そんな俺に対し、ヴァイスはまるで意に介した様子はない。それどころか、ごきげんに鼻歌混じりでそんな事を言ってくる始末。

 わかっている。全て分かっている。こんなヤツに言われずとも、分かっているんだ!俺は!