248:一緒に行こう!

「という訳で、キミはもうどちらに転んでも僕の後輩だ。おめでとう!これから長い長い地獄を、どうぞ楽しんで!」

 

 そう言って、俺の中からあっさりと出ていったヴァイスは、ついでに俺自身からもアッサリと背を向けた。背を向け、アウトへと向き直る。

 

「アウト、辛かったね。お疲れ様」

「……アウトに近寄るな」

「だからさぁ、お前にそんな事を言う権限はないんだって。しかも、最初っからね」

 

 俺に背を向けたまま、ヴァイスは此処にきて初めて感情を揺らした。不機嫌さと少しの苛立ちを含んだその声は、明らかに俺へと向けられている。

 

「こんな愚かな男の為に、アウトは……本当にバカみたい」

 

 バカみたい。

 そう苛立たし気に吐き捨てられた言葉に、俺は不思議と先程まで感じていた気持ち悪さが、一気に引いて行くのを感じた。

 不機嫌でも何でも、不愉快な気持ちをコイツにさせられた事に、少しだけ胸のすく思いだったのだ。

 

「っはは」

 

 あぁ、本当に俺は体だけ成長してしまった、ただの幼い子供だ。

 そして、その自覚が、少しだけ俺を立ち直らせた。俺は子供だ。成長しきれなかった大人の成れの果て。

 もう、それでいい。それが、俺だ。

 

 俺は口元に残った胃液の一筋を、手の甲で拭い去ると、ヴァイスの背を追うように一歩前へと進んだ。

 

「権利も義務もいらん。俺はお前にアウトに近寄って欲しくないんだ。だから、もう一度言う。アウトに近寄るな」

「……お前を見てると、鍵を持ち続ける人間って愚かで図々しい奴なんじゃないかって思えてくる。自分も“そう”だなんて思いたくないから、目を逸らしたくなるよ」

 

———全く、気持ち悪いったらないね。

 

 そう、本当に何かから目を逸らすように、ヴァイスの顔がチラとアウトから逸らされる。そして、逸らした先で何かに気が付いたのか、「あ」と短い声を上げた。

 

「これは……」

 

 ヴァイスの視線が向けられた先。

 そこには、ベッドの脇に置かれた灯燈台がある。つられるように俺も、少し暗めの色砂で調整された灯燈の方へと目を向けた。そこには、何の変哲もない灯燈と、そして。

 

「アウトの“お気に入り”だったモノだね」

 

 アウトの手帳があった。俺があの日、あの古市で新しく買ってやった手帳。

 

——–いや、もう。メモはしないかなって。

 

 アウトが気に入って長年使い続けてきた手帳カバーに包まれたソレは、あの時アウトが頑なに言っていたように、どの頁を捲っても、中身はまっさらだった。

 

 あぁ、いつからアウトは“こう”なる事を予見していたのだろう。いつから、俺が“アウト”と“イン”を、重ね、無理やりに一つとして見ていた事に気付いていたのだろう。

 

 なぁ、アウト。声が聞きたい。話がしたい。

 触れたい。

 

「……アウト、こんな事を書いて。いつから君はこの世界にサヨナラをしていたんだか」

 

 俺が分かれた2つのうちの一つで、必死にアウトを求めていると、いつの間にか、アウトの手帳を手に取っていたヴァイスが、ポツリと呟いていた。

 

 こんな事を“書いて”だと?

 あの手帳には、どこにも何も書かれていなかった筈だ。

 

「おいっ、それを見せろ!」

「……なに?気付いていなかったのかい?ほんと、お前はどこまでも愚か者だよ」

「いいから!見せろ!」

 

 俺は乱暴にヴァイスの小さな肩を掴み、こちらを向かせた。向かせ、ヴァイスの手にあったアウトの手帳を無理やりに奪い取った。

 そこには手帳カバーを半分外された、アウトの手帳。

 

 そして、確かに手帳の全ての頁は真っ白のまま。だけど。

 

「アウト……お前」

 

 手帳カバーを外した場所。見開いた頁が、ちょうど手帳カバーで隠れる位置に、アウトの癖のある筆跡で一言。

書き殴られた文字が、そこにはあった。

 

“3415.12.88 ウィズから、インへ贈る”

 

 数字は俺とアウトが出かけた日。

 そして、その隣にはハッキリと書かれた俺と“イン”の名前。

 

「ちがう、ちがう、ちがう!」

 

 手帳はもういらないと言ったアウトが、俺の無理やり押し付けた手帳を手にした時の気持ちが、そのままその一文へと現れていた。

 

———これで、忘れないだろう?

 

 アウトが俺に見せた時、そこには「3415.12.88 ウィズから」としか書かれていなかった。“ウィズから貰った事”を忘れないように、と。そう言ってアウトは笑ったのだと、愚かな俺は思った。

 けれど、違った。

 

———これで、インも忘れないだろう?

 

 そう、アウトは言いたかったのだ。元より、アウトはこの手帳を自分で使おうとは思っていなかった。

 あの時から、アウトは。いや、もっと、ずっと前から、アウトは。

 

 

——-ウィズ。一緒にインを探そう

——-会わせる。必ず、“お前”に、インを、会わせる。絶対だ。約束だ!

 

 

「これは、お前にっ、アウトに贈ったんだ!」

 

 俺は手帳を握りしめたまま、アウトへと駆け寄った。未だに眠り続ける。目を開ける事もなければ、声を掛けてくれることも、あの時のように抱きしめてくれる事もない。

 “コレ”はアウトであって、アウトではない。

 

「アウトは、そうは思ってなかったみたいだね」

 

 ヴァイスの冷たい言葉が俺の耳を突く。そして、俺の中の2つが、互いにぶつかり合い、今にも俺の精神は壊れておかしくなってしまいそうだった。

 

———-インに会いたい!

———-アウトに会いたい!

 

 最早、どうすれば良いのか分からない。分からないが、今、こうして主導権を握る意識を、俺は最優先にする。もう、心の中で騒ぎ散らすもう一方に、構っている暇はないのだ。

 

「おい、飲んだくれ」

「嫌だね、石頭」

「お前は、アウトの“中”に入る気だな」

「僕は黙秘権を行使するよ、石頭」

「俺も、連れて行け」

 

 俺の問答無用の要求に、それまで心底、俺に対して苛立ちを覚えていたヴァイスの表情が、それ以上の表情があったのかという勢いで、更に歪む。

 

「げ!何言ってるの!?図々しいとは思っていたけど、お前さ!逆に尊敬しちゃうよ!アウトを世界の崖から突き落とした当の本人が、アウトの中に入る?え?なに?落とした相手に、更にトドメでも刺しに行くの!?」

 

 あり得ない、あり得ないよ!と両手で肩をだきながら俺から距離を取ろうとするヴァイスに、今度は俺の方からズンズンと近寄る。

 今、アウトの現状を打破できるきっかけを作る事の出来る人物は、目の前のコイツしか居ない。あぁ、先程無理やり部屋から追い出さなくて本当に良かった。

 

 まぁ、結果論だが。